四季の講演会:第3回
添削と修正をめぐって――第3の言語教育への方法論
- 日時
- 2004年10月16日(土)15:00~18:00
- ところ
- 早稲田大学西早稲田キャンパス22号館8F会議室[MAP]
- 参加費
- 無料(但し,資料代として500円をいただきます)
- プログラム
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- 講演「添削と修正をめぐって-第三の言語教育への方法論」
細川英雄(早稲田大学日本語教育研究科教授)
- ワークショップ:講演をめぐって,会場のみなさまとともに,問題を深く掘り下げて考えます。
担当:細川英雄+NPOスタッフ
講演者からのメッセージ
添削と修正の問題は,言語教育における重要な課題です。
「言語文化教育研究所」では,この数年の「国語と日本語の連携を考える会」の活動を踏まえ,国語教育と日本語教育を結ぶ第三の言語教育としての“言語文化教育”を提案してきました。
今回は,この添削と修正の問題をめぐって,まず,従来の国語教育と日本語教育それぞれの問題点を指摘します。そして,それを乗り越える方法論として,“インターアクションの方法”を提示し,さらに,その具体例についてお話しします。あわせて,この話題をめぐる討論を,みなさまとともにワークショップ形式で行い,参加者の交流を図ってまいります。
今,言語とその教育に関心を持つ人すべてに開かれた議論の場となるでしょう。奮ってご参加ください。
細川英雄
ディスカッション
小グループに分かれて行いましたディスカッションでは,それぞれのグループで熱のこもった議論が展開されました。
皆様から頂戴したご意見・ご感想
1. 問題提起
- 言語教育とは何をするものか。コミュニケ-ション能力とは何か,というあたりの思想は共感できるところが大なのですが,それが未だにminorityなのかと,このようなテーマのdiscussionに参加する度に思わされます。あまり他の機関や国語教育の現場について知らないのか,「従来の」という言葉で私達がひとくくりにしているものは,どれだけ実態に合致しているのだろうと思いました。
- グループで話し合うことによって様々な意見を知ることができました。個人的には「正しい日本語とは何か?」ということに興味があります。修正や訂正をするからにはその基準になる「正しいもの」があると思いますがそれについていつか取り上げていただけるといいなあと思います。
- 今日のお話と,ワークショップで細川先生の「修正と添削」は,私の考えていた「表現形式の修正と添削」ではなく,「内容の修正と添削」のことではないかと,理解しましたが,これで合っているでしょうか。私も,確かに,内容そのものを添削すべきではないと思います。表現形式(文法・文型・語い)は総合では,問題にしていないと細川先生はお考えだと思いますが,内容を表現するための形式は,教室内のインターアクションだけで充分に獲得できるのか,という疑問があります。いくら問題とならないと言っても,よりよく(伝わりやすく)表現したいという,学習者の欲求は教室内では解消しきれないように思いました。
- 教室が学習者にとってよき場であることを望みますが,いったいどういう教室がめざされるべきなのか。教師として何ができるのかを今後も考えていきたいと思います。学習者は一生を教室で過ごすわけではなく,教室は流動的なものですが,教室で学ぶべきこととは何なのでしょうか。
- 相互学習はやはり日本語学習の中の一つのスタイルであり,これですべての言語教育が可能にはならないと思う。四機能を統合して使っているという視点は重要だが,四機能すべてでなくても,二機能,三機能と様々なバリエーションがあってもいいと思う。結局,今日の試みも四機能は使っているが,最後の評価は作文(レポート)である。この試みも一つのスタイルとしては参考になるが,他にも…。
2. ご要望
- 細川先生対フロアのQ&Aになってしまったのは残念でした。
- 国語と連携という点ではあまり問題点の指摘もなかったし,ものたりなかったと思います。
- グループディスカッションの時間をもう少しとっていただけると,もっとそれぞれの話も深まったと思います。
3. ご感想
- 学習者が添削してくれることを当たり前だと思っていたとしても,教師のBeliefを学習者が次第に理解していく,あるいは教師も生徒の発見から新たなる世界に直面し,それを解明(学ぶ,考える)していく。また生徒も次第に主体性をもち始める。これはやはり教師・学習者とのある意味Communicationを通した互いの対話による,変容だと考えました。最初から(教室にあつまった日)皆のBeliefが同じなわけはありません。しかし,人と人とがBlackBoxであることと同様,教室において最初から皆が理解しあっていてうまくいくなんてこと自体,ちょっとおかしい教室はシステム化された無機質なものとなっていることだ。大切なのはCommunicationしつつ,教室内を共同体へと変容創造させていく。有機能的教室へと変えていくことだと思う。(学習者の非主体性?)(学習者の正しさを求める姿勢とは?)「できない,ムツカシイ」を変えるのは,やはり人と人との主体から始まる創造的Communicationだと考える。また,学習者と共にでしか教室はうごかないと実感しました。教師Beliefと学習者の対話から合意が生まれる,こうなれば…。
- 無機質な世界,教室の自明性のベェルをはがし合意形式もひとつの教室というCommunicationを創造する言語コミュニケ-ションだととらえまいた。本当に今日も,本当におもしろくて時間たつのがはやかったです。
- 添削,修正にとどまらず,教室活動の話を広くできて大変有意義でした。どんな形態の授業であれインターアクションを活発にする手段はあるように思います。それを考えるのが教師のつとめなのだと感じています。披露宴形式,とてもよかったです。
- 「日本語」が規範として考えられることがはらむイデオロギー性は教師の無意識,無自覚のなかで,温存されつづけているというのが(私自身ももちろんふくめての)日々の実感です。
- 正確は無いという点から自分で考える必要性を感じる。日本語教育で考えたいことを国語教育で行おうと考え,国語教育大学院へ入ることに決めたのだが,細川先生の理論や考え方に強く影響をうけている自分を改めて認識することになる結果であった。これから自分で,必死で考え差別化できるものを考えだそうと決意を新たにした。
- 今までの自分の視点,考え方とは違った考え方,見方を知ることができ,新鮮でした。日本語教育を「教育」として捉える視点が自分には余りなかったと思います。
- 作文を越えて教室活動をどのようにしていったらいいか,日本語教室とはどうあるべきものなのかを考えるいい機会となりました。今回の細川先生のお話は,私がこの1年間ぐらいつらつら考えていることともつながっているところがあり,本当に興味深く伺いました。このような日本語がもっと広がって(日本語教育というより“考え方”なのですが)いくといいと思います。
- 言語教育について考えさせられました。現役の日本語教師の方々が現場で抱えている悩みというのは様々だと思いました。もっと時間的にも精神的にも余裕のあるカリキュラムを組みたいと思いつつ,現実の制約の中では難しそうだと参考になりました。
- テーマも,現在の自分の立場に大変参考になりました。多くの教室担当者である参加者の方々のお話も興味深く思いました(来週からの授業の活力になります)。
- 前回のワークショップより,グループディスカッションがおもしろかった。ある程度,興味の方向が近かったからだと思う。「添削と修正」というテーマが具体的に示されていたからかもしれない。
- 「教える」ということに,とても疑問を持っており,自分のスタンスが揺らいでいるところです。日本語学校教えている関係で,なかなか理想の形には持っていけないのですが,総合の授業は細川先生にしかできない,という話はほっとしました。そこで考え方をおかりして,自分の授業を見直していこうと思っています。
- グループディスカッションの時間が多くてよかったです。最初モヤモヤしていたことが,少しすっきりした気がしました。
- 色々な意見アイデアを頂きました。明日へつなげたいと思います。
- 日本語教育の多くの場面で,正しい表現,その場にふさわしい応答,書き方というのを提示すぎることが多いということを反省させられ,学習者自身から引き出す姿勢を常に忘れないようにしようと思いました。教室活動が単なる練習の場ではなく,それ自体がコミュニケ-ションの実践であるというのは大切なことだと思います。
- 総合クラスのビデオをみて,風景(クラスの形式)は拝見できましたが,クラスの方針や理念が分からなく,このようなクラスのやり方には納得できませんでした。研究会に参加することによって,自分なりの解釈ができました。それは,「日本語教育における言語文化教育とは,日本語で「私」を語れる能力の育成だ」と思っていますが。これからももっとぴったりの解釈を探し続けたいと思います。
- 添削と修正をめぐってー自分の考えを振り返ることができてよかったです。インターアクションの質の問題や教室の環境づくりは分からないことや解釈すべき問題ですが,少し勇気を持って前進できそうな気がしました。
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