ディスカッション:グループ 6(ファシリテーター:橋本)
自己紹介となぜ添削と修正に興味を持ったか話していただけますか
- 添削と修正は私にとってはまだ身近な問題ではないが,誰が添削修正をするか,またそれが教室を変えていくこというに興味を持っている。
- 日本語学校で仕事をしている。添削と修正は中級以上のクラスを持っているので,大変身近な問題だ。添削をするとき,学習者の書いたものを読み,こんな意味じゃないかと推測したしながら添削することに疑問を感じた。言いたいことは何なのかと悩む。時間もかかる。このような活動が可能になるのは,どの位のレベルからなのだろうかと思った。
- 興味を持ったきっかけは,日本語別科の実習で文章表現を担当してからだ。上級者8Cを担当した。はじめの方針では添削はしないことにしていたが,苦しかったのは,学習者からの要望があったときだ。学習者は教師は直すものだと確信している。
- GBKの授業をとったが,もやもやしている。BBSをみても学習者の理解を把握できない。自分自身添削修正はしないほうがいいというビリーフを持っているが,実際に教えると,学習者の要望で,訂正してしまうことがある。自分自身が信じていることと,実際にしていることにズレを感じる。これでいいのかなと悩んでしまう。
- 私は真っ赤になるまで添削していた時期がある。しかし,学習者の日本語はそれで直らないし,やる気をなくしてしまう。以前このような研究会に出てから,インターアクションをとりながらやってみた。確かにすごい時間がかかるが,1対1で向き合い,こんなことが言いたかったのかということがわかってくる。
ディスカッション 1
- 学習者は自分でまちがいを修正していったのだろうか。
- 私もどうやって新しいことばや文型を習っていくのかと思う。他のネイティブから直してもらっている可能性もあるのではないか。教室内の添削はされていないが,外で添削されているのではと考えてしまう。
- 一方的に直していくのではなく,「どういうことがいいたいの」と聞いて確認していく。
- そのようなアドバイスを学習者は書き取ったりしているのか。あとで作文にするのなら,書き留める必要があるように思う。
- (クラスを見た体験から)ことばの間違いはすぐには直らない。表現は直らないが,内容は変わっていく。ぴったりくる表現はどうか内容を見つめるようになる。教師の働きかけで変わるのではないか。
- 最初は苦しいのではないか。言いたいことがあるけど,言えない(という状況は)。
- 仲間からの質問,指摘はあるのだろうか。
- 初級者を見たが,はじめは学習者同士ことばの間違いばかり見ていたが,「内容はどう?」という教師の声で急に変わった。
- 確実に変わっていくのか。崩壊してしまうことはないのだろうか。
- 長くなると言いたいことがありすぎ,ぐちゃぐちゃになりながらも1つにまとまっていく。
- 教師が与えるテーマではなく,自分が選んだテーマであり,なぜ書くのか,そのテーマは自分にとって,どのような意味を持つのかという動機を持って書き始めるので崩壊しないのだと思う。
ディスカッション 2
- 学習者間のインターアクションで学習することはできると思うが,このプロセスが見えないので,新表現をどのように身につけるか知りたい。「総合」ができるのは,学習意欲が高く,協調性があり,恵まれた学習環境でないとできないのではないか。サポーターをはずしたら,教室活動はできるのだろうか。書中級でミックスするようになった理由は何だろうか。
- 一度H先生から聞いたことがあるが,どのレベルでも出来ることを証明したかったからだ。
- 日本語を教えていて,教師は学習者がわかってよかったという思いがある。しかし,学習者自身がためになったというのであれば,いいと思う。真似をするのはむずかしいが。
- 学習者の声をビデオにしているのを見た。学習者は,これは全部自分で作った文だと言って満足感を示している。
- ビデオで,学習者は,内容について対等に聞いてくれたから良かったと言っていた。
- 早稲田だから,「総合」ができるんじゃないだろうか。他のクラスの成果がそこで出ているのではないだろうか。
- 他のクラスと並行するから「総合」は成り立つのではないだろうか。表現形式と言いたいことは表裏一体だと思う。学習者間のインターアクションで表現形式の学習はどう深まっていくのだろうか。いろいろなレベルの学習者が入るのはいいと思う。しかし,初級者が上級者からインプットされるものはあるが,上級者はどう思うのだろうか。双方向の学習ということがあるのだろうか。
- 学習の目的は表現形式を得ることではない。最終的に文章を直すことではない。内容が深まっているかということに目を向ける。
- 文章表現クラスで交換日記をした。なるべく,直さないつもりで(間違いに)印だけつけた。いくら印をつけても直らないところは,最終的にインターアクションになった。内容には手が出せないからだ。
- 私も気づき添削(印をつけ,学習者自身の再考を促す方法)を赤,青と色分けしてやったことがある。
(記録:阿部葉子)
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