ディスカッション:グループ 7(ファシリテーター:村上)
グループ・ディスカッション (1)
● ワークショップに参加したきっかけ
- 日本語学校で自分たちが取り組む「書く協同活動」に似たもの,同じ匂いを感じる,と思った。
- 公開講座の方でお知らせをもらったのがきっかけ。
- 後期から受講しているため,前期に行われた細川先生の講義を聴くことができなかったこともあり参加した。
- 一番興味があるのは作文ではなく,初級の文型と表現の関係である。
- 現在,初級クラスを実際に担当していて,学生から文法の間違いの添削や,文法の違いの質問が多い。それに対してどうフィードバックしたらいいのかという悩みに,ここから何かヒントをもらえればということで参加した学習者のニーズとわたしのやりたいことに最近ズレを感じる。
- むかさ・作文を書かせた時のフィードバックに興味がある。
- カイ日本語スクールで作文サポーターをやった。
- 「学習者を支援する」ということばは,自分もそうしたいとすごく思うのに,実際自分がやっていることは,何か違うかもしれない。目指すものと,自分のやっていることがちょっと違うのかもしれないということに,最近やっと気がついた。そのようなこともあり,「作文」と名のつくようなものには顔を出している。
● ディスカッションの論点
- 「何のために添削をするのか。添削をした場合,そこから何が生まれるか。逆に,添削をしないとしたら,そこから何が生まれるのか」という発題についての考察
- 教室において教師が問いかけていこうとする姿勢と学習者の求めるものとのズレ
- 「作文」における「学習者」の直してほしいという求めと,作文サポーターとしての態度の理念的な方向性とにズレが存在し,その結果,サポーターとしての実際の行動にもズレが生ずる。
- 自分の想像以上に「教師的」な振る舞いや,答えを出していくという行動をとっていることを知った時の驚き。(活動の様子の音声記録を振り返った経験から)
- タイプの違う学習者に同じようにやっても,あまり伝わらないようだ。その辺をどうすればいいのかというとまどいがある。
- インターアクションによって変えていった学習者,変わらなかった学習者の例
- むかささんの作文サポーターとしての活動でのエピソードから。
クループ・ディスカッション (2)
- 教室における学習者側のビリーフやスタイルと教師側のビリーフやスタイルの鬩ぎ合い
- ひとつのクラスでいろいろな学習者がいて,いろいろなスタイルとかビリーフスというものを持っており,また教えたりコーディネートする教師にもスタイルとかビリーフスがある。ある一部の学習者とそれが合致し,あるいは同じ方向性を持てばよいのだが,全然違うものを持っている学習者というのはどうしたらいいのか。皆さんはどう対応されているのだろうか。
- 方向性をまとめる最初のオリエンテーションの大切さ
- 「一人でやる」「やり取りは必要ない」という学習者の固定観念を打ち崩す。
- 強要せずに,「なぜ必要か」ということをオリエンテーションする。
- ひとつのタスクを媒体としていろいろな考え方を知る楽しさをわかってもらうようなオリエンテーションの工夫。
- カイ日本語スクールの中級クラスの「書く活動」実践例
- 教室の風土を築く仕組み
- 学習者同士の人間関係と「聞く姿勢」
- ゼロ初級の時から時間を費やして意識的にクラス作りをする
- ことばをやり取りする感覚や,意見を交わすというところをおもしろいと感じる。
- 昨日今日でできた話ではないのではないか。
- その授業を通じてシャイな人でも他の人と話したりするきっかけを持つことが出来て,なんとなくみんなで話す雰囲気が出来ていく。
● 「寄り添っていく」ために〔ここまでのまとめ〕
(小川さんのカイ日本語スクールでの取り組み例を通したディスカッションから)
- 学習者や教師がそれぞれ持っているビリーフやスタイルとかというものに,どうやって寄り添っていくかということに関しては,ある意味で教師が介入していく,ということ。
- 一番初めの,つまりラポールを築く段階のところでどうやって,そのビリーフやスタイルといったことも併せて,お互いが寄り添えるようになるか,ということが大切である。
- ゼロで入ってきた方たちを引き上げていくスタイルのコースの中で,互いがインターアクションすることを,初めの段階からかなり意識して,言語教育に取り組む。
- コミュニティーとしてのビリーフの構築とインターアクションの質
- コミュニティーのビリーフというのはどのように出来ていくものなのだろうか。
- 方向性としてある固まりが出来ていく中で,一人ひとりがいろいろなところを向いているだろうが,それは,自ずと調整されてくものなのか。
- 小さな衝突は具体的に教師が話をして,なぜそのようになったのか,というところを話し込んでいく,というところもある。
- 「だから書け」と,そこを強要するのはやめようという感じでいる。
- 学習者に尋ねたところ,作文サポーターに「すぐに直してくれる」とか,「すぐことばを教えてくれる」といったような,即効性を求めていた。
- 問題はこれなのだから,という理由で学習者はすぐに教えてほしいと言う。そこが欲しいのなら,与えてもいいのではないか。ただ,こちらの考えや価値観の押し付けでなく,学習者とこちらとの考えの摺り合わせがなされていればいいのではないか。
- 2班の山中さんからの発信に関係してくるが,その学習者の満足度というものをどう捉えるか。どのようなものを仕上げた時に,学習者は「ああ,よかったなあ」と思えるのだろうか。それは,難しい。
- 作品を通しての学習者のインターアクションは段階的に変わっていくようだ。初めは文法的なことから,書かれている内容や心情そのものへのコメントへ。
- 内容そのもののインターアクションは,直接文法を取りざたしなくても次第に読みやすいものへと変わっていく。
- いわゆる「日本人」だったらどのように言うのか,というと表現の選択肢を与えられて選ぶこととは違う軸で「表現を模索する」ということが起こっているように見える。
- 自分たちの取り組みでの「書く活動」と細川先生の「書く活動」とは,確かに作業内容というか,やっていることが違うような気がする。
- 「総合」でのインターアクションについて
- 確認だが,それは何回かやっているわけですよね?その中で内容について話すようになったり,「てにをは」はあまり気にならなくなるのか?
- 初めは,出されたものが読みにくかったり,これはどこに掛かっているのかということは当然ある。
- いろいろなやり取りを通して,全体を自分の意見としてまとめていく時に,前にディスカッションしていた部分を直すために,流れの中で他の部分が変わる。結果読みやすいものになっていく。
- 最終的にはどのような形で出てくるかというのに(他者が)すごく影響している。
- インターアクションを起こそうといった時に,どういうことばのやり取りがそこで起こるのかということと,それをどう目指したらよいのか。
- インターアクションが起こる環境というか,それには信頼関係が結構大きいと思う。
- 最初は形式的なことや表記の問題や「てにをは」というところからしか相手に対してコメントできない。それは,やはり内容に突っ込んだものを言う怖さがあるからである。そこはAさんとBさんがいて,言っていいのか悪いのかというところで,関係作りが未熟だから言えないということだろう。
- 信頼関係というのがやはり必要である。
- なぜインターアクションするのかということろを学習者がちゃんとわかってくれていないと難しい活動だと思う。また,やり取り下手な人など,その人の元々持った性格なども関係する。
- 活動を成功させるために,学習者側に「インターアクションは大切なことである。だから,そのように心得て授業に臨むのだ」ということは,前提として必要だと思うか。
- そう思う。
- そのような「文章」として理解する,というよりは,感覚というか,体験的に一度は「これはいいものだ」と思うことができたら,どんどん受け入れるのではないか。
(記録:村上)
▲