ディスカッション:グループ 4 (ファシリテーター:塙)
- 「総合」では3ヶ月間かけてゆっくり出来るが,自分の学校では,週1回で一つのテーを2回でやるのが精一杯。
- 自分も,教師と学習者のインターアクションとしては,分からないところを聞いたり,もっといい表現が無いか促したりするが,学習者同士のインターアクションはやりたがらず「総合」のようにやるのは困難,時間も無い。学習者のモチベーションが低く,まず無理。
- 「総合」は理想論で,実際にどこでも実施するのは困難。人数が多いし,他人の文章に興味を持たせるのは難しい。内容と形式のバランスが大事で,内容だけで形式は全く無関心というのもおかしい。
- 添削によって学習者の表現意欲を損なうことになってはいけないと思う。
- 鳥取の役所でアルバイトをしたとき,役所だったからも知れないが,みんなと協力して決められたスケジュールでやれ,お前みたいに自分のペースで仕事をしてはダメとすごいプレッシュアを受けた。韓国では「私はこうする」でどんどん仕事が出来る。日本はきつい。教室でも,社会でもみんなと同じようにしなければならない。日本語でも日本の文化でも,基本のルールはきっちり教えてもらって,後は社会で経験で学べばよい。
- 基本とは何か。それを誰が判断するのかがやはり問題だ。作文でも何でも,学習者が社会に出ても自分の立場をはっきり説明し,どういう状況でもコミュニケーションできる能力をつける事が大事だ。
- それを日本語教育でやると言う意味は?
- だから私は日本人がそういう能力をつけることが肝心と思って,日本語教育にも関心があったが,国語教育へ転向した。
- 日本語で文化を含んだ表現があるとき,必ず「私の場合は~~といいます。他の人は或いはちがうかもしれません。」と学生に説明する。作文でも教師の表現を「添削,修正」で押し付けてはいけないのではないか。
- とは言っても,厳密にこの表現でもいい,あの表現でもいいというと,学習者はかえって迷う。
- これは一つの意見であるといっても,教師はネイティブだから,まず間違いは無いだろうと学習者が考えるという要素もある。
- 講師がこのテーマに正解は無いといっているのに,会場の質問者はどうして講師に「どうしたらいいのか」と正解を求めるのか不思議だ。みんな現場で苦しんでいるのは分かるが,早道や万能薬は無いと思う。講師の意見も一つの参考として自分で現場に即して考えればいいのではないか。
- 5W1Hで学習者のいいたいことをつかみ出すというのは良くわかるが,例えば,学習者は教師や仲間の質問に答えたいのだが,日本語力が十分でないとき,どうするのか。初級レベルではやはり「総合」は無理なのではないか。
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