ことばの教育を
アイデンティティ形成の観点から捉えなおす
お知らせ
単行本
『言語教育とアイデンティティ ― ことばの教育実践とその可能性』
去る3月5~6日に行われた国際研究集会『言語教育とアイデンティティ形成―ことばの学びの連携と再編』での成果を踏まえ,新たな論考等を加えた単行本が,『言語教育とアイデンティティ ― ことばの教育実践とその可能性』として刊行されました。
もくじ
- はじめに
- 第I部 講演と討論
- 国際的な移動の中にあるアクターたちの新たな争点と戦略【アリーヌ・ゴアール=ラデンコヴィック】
- 討論・会場との質疑応答【司会:牲川波都季】
- 「移動する子ども」からことばとアイデンティティを考える【川上郁雄】
- 自己欺瞞の物語にいかに抗うことができるか【森美智代】
- 発見アプローチは何をめざすのか【細川英雄】
- 〔コラム〕崖の向こう側の世界―通訳者としての立場【山本冴里】
- 第II部 論考
- 第1章 《わたし》は何を語ることができるのか―ことばの学びにおける複合アイデンティティ【クレア・マリイ】
- 第2章 「場」としての日本語教室の意味―「話す権利」の保障という意義と課題【三代純平】
- 第3章 「中国に行く」/「中国に帰る」―言語マイノリティ生徒の「想像の共同体」【米本和弘】
- 第4章 移動主体のために言語教育は何ができるか―アイデンティティを紡ぐ場として【鈴木寿子】
- 第5章 多言語話者の言語意識とアイデンティティ形成―「ありたい自分」として「自分を生きる」ための言語教育【小泉聡子】
- 第6章 「自分らしさ」を規定するもの―複数の〈わたし〉を語る一人の日本語学習者のライフヒストリーから【鄭京姫】
- 第7章 言語教育において「自分史を書く」ことの意義―アイデンティティ形成の視点から【長嶺倫子】
- 第8章 日本語の教室における意味の構築とアイデンティティ形成―ことばの意味世界を共同構築する〈私〉〈他者〉〈教室コミュニティ〉【寅丸真澄】
- 第III部 前景と展望
- 言語教育における体系・能力・アイデンティティ―私はなぜアイデンティティにたどり着いたか【細川英雄】
- 言語教育とアイデンティティの問題を考えるための文献案内【三代純平】
- おわりに
- 相互文化性による教育実践の可能性を拓く【細川英雄】
「はじめに」と「おわりに」は春風社のサイトからご覧になれます。また,『春風目録新聞』第9号に掲載の細川英雄へのインタヴュー記事「この研究室が面白い!」を細川英雄研究室のサイトからご覧になれます。
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開催要領
- 日程
- 2011年 3月5日(土)~6日(日)
- ※時間等,くわしいプログラムは,こちらの「プログラム」のコーナーをご覧下さい。
- 会場
- 早稲田大学 早稲田キャンパス22号館[アクセス]
- 主催
- 早稲田大学大学院日本語教育研究科細川英雄研究室,
早稲田大学日本語教育研究センター言語文化教育研究会
- 協力
- 言語文化教育研究所
- ※この国際研究集会は,科学研究補助金による共同研究「アイデンティティ形成にかかわる言語教育とその教師養成・研修プログラムのための実践的研究」(基盤研究(C)課題番号:22520540 研究代表者:細川英雄),早稲田大学日欧研究機構一般研究費,早稲田大学国際的ワークショップ等開催助成費,および笹川日仏財団からの助成を受けて開催されます。
- 参加費
- 無料。当日1,000円(予価※)にて,予稿集(各発表につき,約10,000字弱)をお配りします。
- ※一部ご案内にて,予稿集予価が2,000円となっておりますが,1,000円を予定しております。お詫びして訂正いたします。
- 参加申し込み
- 当日,直接会場までお越し下さい。
- 参加事前登録は,規定数に達したため締め切りました。
- ※事前登録いただきますと,当日1,000円(予価)にて頒布します予稿集を(出席・欠席に関わらず,先着100名様まで)確保いたします。ご欠席の場合の入手方法等は,欠席のご連絡をいただきました際に,折り返しご連絡いたします。
- ※会場のスペースの関係上,消防法に基づき,定員に達した場合,事前登録いただいていない方のご入場をお断りする場合がございますこと,ご了承下さい。
- ※なお発表の申し込みは締め切りました。多数のご応募ありがとうございました。
- お問い合わせ
- identity@gbki.org 国際研究集会事務局
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国際研究集会「言語教育とアイデンティティ形成―ことばの学びの連携と再編」の開催へ向けて
細川英雄 早稲田大学大学院日本語教育研究科
近年,多文化共生社会での言語教育のあり方がさまざまな場面で問われている。たとえば,最近発表された「留学生30万人計画」の背景には,日本の産業市場にとっての外国人労働力の問題があり,そこには常に外国人のための日本語教育の問題が横たわっている。
戦後の日本語教育は,国語教育から分離独立したが,これは新しい方法にはなりえても,新しい理念には至らなかった。ここでは,言語による人間理解の理念とその達成ではなく,「外国人に何をどのように教えるか」という方法・技術が模索されたに過ぎなかった。また,学校教育としての国語教育が,めまぐるしい「国際化」の中で,個人と社会への総合的な視野を失い,ことばと人間形成の本来的な機能を果たしえなくなっている現実を直視しなければならない。そして,国際化に名を借りた英語教育の猛威は,小学校のカリキュラムの中で,ことばと人間の関係を子どもたちに考えさせる余裕を失わせている。しかも,それぞれはほとんど別のこととして,協働・連携の意識もなく,ばらばらに行われている。
ことばは人をつくり,文化をつくり,社会をつくる。人は何のためにことばを学ぶのか。この重要な問いを見失ったまま,「効果的」な教育方法をめざして突き進んで来たツケが,今,日本のことばの教育を根底から揺さぶることになっている。この言語教育―日本語・国語・外国語の教育をどのように連携・再生させ,新しい言語教育として再編して位置づけるための思想が今,求められている。言語教育そのものが人間形成の支援であり,人間によって行われる文化的かつ社会的な営みであるという視点に立てば,ことばの学習/教育の社会的・文化的意味を問うという行為は,当然のこととして,非母語話者に対する「日本語」教育と母語話者に対する「国語」教育,そして国際化のための「英語」教育といった見方の変容をも迫ることになるだろう。
以上のようなことばの教育を,アイデンティティ形成という観点から新しく総合的に捉えなおす試みを開始したい。ここでいうアイデンティティとは,個人が様々に有している,複数の「居場所」感覚をさすものと仮に定義しよう。そうした内在する「居場所」感覚の形成・更新にとって,言語教育はどのような意味を持つのか。また,その際に果たすべき教育実践の役割とは何か。こうした問題を,言語教育政策の問題を視野に入れつつ,継続的な議論を積み重ねていくこととする。(2010年5月)
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