近年,国語と日本語の連携が話題になりはじめています。
たとえば,従来,言語形成期の児童・生徒のための母語教育としての国語教育と,日本語以外の言語を母語とする成人のための第2言語教育としての日本語教育は,その対象を異にするものとして区別されてきましたが,いわゆる帰国生徒や外国籍児童等の受け入れによって,この枠組み自体が内側から揺らぎはじめています。
この研究会では,こうした国語と日本語をめぐるさまざまな連携という課題に向けて,今,なにが問題なのかを整理しつつ,これからの母語=日本語とその教育の在り方について考えてみたいと思います。
教育の現場と研究の方法論を結ぶとともに,既成の権威・序列・様式などにとらわれない,自由で活発な発言の場にしたいと考えておりますので,どうぞふるってご参加くださいますようお願い申しあげます。
このページでは,本会の発表記録および質疑応答の記録を公開しております。なお,第7回以前の研究会の記録の詳細は『ひととことば』(ひつじ書房)でご覧いただけます。
武一美(早稲田大学大学院日本語教育研究科)
教育実践能力は,知識として獲得することができるものではない。それは,教師自身が自らの実践の中でもがきつつ身につけていくものであり,教師自身が意識的に育てていく他ないと考えられる。もちろん,先輩教師や同僚教師から教えられることは多いが,はじめに自らの問いのない学びは自らの実践に戻していくことは難しい。
従って,教室の中から自らの問いを見出すことが,教育実践能力獲得の第一歩であると考える。この第一歩を踏み出す場として参与観察型実習について考えてみたい。
島 映子(国語実技教室 主宰)
伝えることは,教えることではない。覚えたことは忘れることもあるが,身についたことは忘れない。
学習者が学びの価値を実感し,能力を身につけられる活動・体験をセッティングできる「仕組む力」を教師は持たなければならない。-それが今,何よりも必要とされている教育改革である。
「仕組む力」は,どうしたら養えるのか。
過去2~30年,私が模索してきた国語実技の教え方を紹介しながら,皆様と共に考えてみたいと思う。
参考:島映子 2001 朗読上手は味わい上手-朗読のテクニック 文芸社
佐藤典靖(埼玉県秩父市立秩父第一中学校)
光村図書の教科書(中学1年)には,「自然の不思議をさぐる」という単元において,「海の中の声」「クジラたちの音の世界」という二つの説明文が載せられている。また,教育出版の教科書にも「動物たちの睡眠と暮らし」という説明文がある。
どれも動物を扱った大変興味深い内容であると共に,それぞれが違った構成を持つ魅力的な文章である。
そこで,私の担当している一学年の3クラスにそれぞれ違う教材文を与え,学んだことを未習クラスに教えに行くという授業を組むことにした。
このような場を設定することによって,明確な学習の必然性が生まれ,生徒のやる気を引き出すことができる。また,教材文から初めて知ることやおもしろいことなどの情報を見つけ,それをまだ知らない相手に伝わるようにわかりやすく書き換えることによって,
を養うことをねらいとした。
学習の流れは以下の通りである。
林 敬子(西町インターナショナルスクール)
日々の現場で忙殺されながらも毎日性懲りもなく,埒もなく頭の中をぐるぐる巡っていることといえば実際に下記にあげたことがらに直結する小さな事例の山である。
大上段に構えたこんな命題もしくは何箇条かの問いかけ,叙述の羅列も日々の格闘の悲鳴と溜め息の間に横たわった越すに越されぬ川のようなものである。
だからと言って手を拱いてもいられず単純かつ小規模ではあるが調査をしたものがあるので,その結果についてお話をしたいと思う。
一般的に日本語を母語として習得する者にとっても,外国語として学習する者にとっても難しい用法は同じである。例えば助詞,否定疑問にたいする答え,あげる・もらう・くれる,行く・来る,それ・あれ等の用法があげられる。
またここでは年齢を特定しないが,日本語が母国語かどうかは上記に加え,~てある・~ている,自他動詞,受け身,使役受動態,条件,仮定の表現がその判断材料のひとつとなる。
ここで調査をしたものは7名のバイリンガルの園児の1年間の発話の中から抽出したものである。
加藤康子(梅花女子大学文学部児童文学科)
表現学習にとって大切なことは,表現者が自分と向き合って表現したい内容を自覚し,意欲的に伝えようと試行錯誤していく,主体性を重視した学習のあり方であろう。このような学習の中で表現力が付いていくものと思われる。国語教室に表現意欲を高める学習の場が設定され,コミュニケーションを取りながら表現活動が展開され,自他によって表現の評価がされるように,教材と指導方法が支援されることが望まれる。2003年度から使用される「国語表現Ⅰ」「国語総合(表現部分)」(三省堂)を例に挙げて,新しい「国語表現」をめざした主体的な表現学習の必要性を提言したい。
森元桂子(早稲田大学大学院日本語教育研究科)
言語教育において学習者の表現力を考える場合,それは,学習者が実際の場面で他者に対し,自己の意思を伝え得る力でなければならない。授業者は,学習者が他者とのインターアクションの繰り返しを通じて自己の意思を見つめ,その意思を表す語彙や表現を自ら考え,探り,選択することのできる環境を用意し,学習者が教室を離れた後も,他者とのインターアクションを通じて表現を探り出していける土台を作ることが必要なのである。
本発表では,その環境・土台作りの要件として,授業者や授業支援者が,学習者に対し,表現を「探り出す」きっかけを与える意識と技術を備え,意識的・自覚的な発話をもってインターアクションに参加し,授業を組織していくことの重要性について述べたいと思う。
学びの場としてのレトリックから生成的カリキュラムへ
宇土泰寛(東京都港区立三光小学校)
日本人大学生の表現法授業/日本人大学生と留学生との作文交換のケースから
大島弥生(東京水産大学)
2000年以前の記録は,「交流誌 ひととことば」に掲載されています。