八ヶ岳アカデメイア――細川英雄の早稲田大学での担当クラスの記録大学院担当クラス

日本語教育学研究法「研究計画の設計と方法」

2004年度春学期:受講生からの感想

講義後,受講生のみなさんからいただいた感想,質問,および担当者,細川からの回答です(編集の都合上,順序・敬称等を編集済み)。当日配布したレジュメもご覧ください。

「自分の

問題としてとることはいつも念におくべき」という先生の話を伺った瞬間,主観的なことを思い出した。しかし,続く先生の話によると,個人のプライバシーを意味するのではなかった。

「なぜそのテーマを研究するのか」の根本的な意識を探り出すためには「自分はなぜ日本語教育にかかわっているのか」そのなかでも「なぜ『〇〇〇』というテーマを選んだのか」というような問題意識が要求される。さらに,その根本的な問題意識は研究が論文としてまとまった形になるために必要な裏付けにもなりかつ,研究をしていく間の精神的な柱にもなることが分かった。

そういえば,論文というのは自分の一部になるものですね!!!(河イルムク)

細川より

はい,そうです。健闘を祈ります。

これまで

漠然としか理解していなかった「研究計画」というものが,具体的な形で理解できた。

現在,自分なりに疑問に思い,解決したいと思っているテーマはあるが,それを

  1. どのように研究テーマとして問題化するのか。
  2. どのようなデータを用いて検証・分析するのか。
  3. どのようにして他者が納得するような解釈を行うのか。

などの問題について,明確には考えてこなかった。(というより考えられなかった)

今回この授業に出席することによって,それらの問題を具体的にとらえ,今後の方向性を 見出せたことはたいへん良かったと思う。

これらを実際に自分自身が解決していかなければならないと思うと,果たしてできるのだろうかと不安は残るが,ここまで具体的な方法論が提示された以上,とにかく目標を見据えて,一段階一段階対処していこうと思う。(寅丸真澄)

細川より

他者とのインターアクションを忘れずにがんばってください。

「観察→

分析→解釈」のユニットを繰り返しながら修士論文の完成に向かっていくプロセスが,モデルケースを見ながら,具体的にイメージでき,これからの自分の論文作成を考える上で,非常に有益な授業であった。

授業の中でも特に自分にとって参考になったのは,細川先生が「論文を自分のために書くこと」「自分固有のデータを持つこと」の重要性を強調されていたことである。これまで,私はともすれば,「先行研究の穴探し」を論文の目的のように錯覚したり,先行研究における主張の善し悪しを直感的に判断することになりがちであったが,今回の授業で,論文の中心軸を「自分」に置くという(考えてみればあたりまえの)姿勢に立ち返ることができたように思う。

かのガリレオは,「どうしてあなたは他人の報告を信じるばかりで,自分の目で確かめないのか」と友人をたしなめたそうであるが,今回の授業は,私にとってガリレオの一言に匹敵するインパクトを残した。研究にとって一番重要な「自分の視点」について時間をかけて再考してみようと思う。(大工原勇人)

細川より

対象と自分との関係を明確にすること,これが「実証」の第一歩です。

私は中国の

大学院で,論文作成を経験したことはありますが,先日の講義で,大変勉強になりました。そして,今までの考えがいくつか覆されました。

まず,他者提示という言い方は初耳ですが,よく考えてみると,演習でやっていることはまさにそれです。お互い自分の考えを述べ,アドバイスを与えることによって,お互い高めていくことができるのです。しかし,私は,中国で指導教師とほぼ一対一の状態で,修士論文を完成しました。自分の論文を指導教師以外の人に見せたこともなく,同級生の論文を読むこともなかったです。お互いの論文内容を詳しく知るのは最後の論文公聴会くらいです。これからは,いい研究できるように,できる限り多くの人に,自分の考えを伝え,アドバイスしてもらいたいです。

また,オリジナリティに関しては,この前の論文はほぼ先行研究のまとめで終わってしまったので,改めて考えさせられました。オリジナリティを出さなければ,論文作成はまったく無意味になってしまいます。先行研究を超えるのはそう簡単なことではないですが,しっかり自分の立場を持って,やっていけば必ず何か見えてくるでしょう。

今の私にとって,テーマを決めることは一番の急務ですが,日ごろ疑問に感じているいくつかのところから,深く掘り下げてみて,その中から一番やりがいのありそうなテーマを見つけたいと思います。これからは先日の講義内容を常に念頭に置きながら,頑張っていきたいと思います。(秦衍)

細川より

自分にしかできない研究をめざしてください。

「研究計画の

設計と方法」というテーマ設定で,大変にいい勉強になりました。その中でもっとも印象に残っているのは「論文は誰のために書くか」というところです。論文はいったい誰のために書くのでしょうか。小学校の時,宿題などは全部先生のために書くと思いましたが(笑)。

論文はあくまでも自分のために書くと思われます。自分が書きたいもの,興味深く研究したいものがあって,それを書きましょう,というやる気が必要です。消極的にほかの人に言われたから,まあ仕方なく書くというように他者のために書くのではなくて,積極的に自分がやりたいというように,自分のために書くのです。

しかし,今まで「他者提示」ということも論文の不可欠な要素だとは考えなかったです。確かにそうですね。論文を書いて自分だけで楽しむのではなくて,自分が伝えたいもの,明らかにしたものを明示し,自分の考えていることを明確に解釈して,他者に理解させてもらうことも重要な一環です。「読者は世界にいます。」

本当にいい勉強になりました。(李颯(リ サツ))

細川より

「自己把握」「他者認識」の意味をよく考えましょう。

研究計画書と

修論の書き方の流れがわかりました。特に,一通りのモデルを提示していただいたので,非常に参考になりました。本当に,ありがとうございました。(彭佳)

細川より

何がどのように参考になったのかを,もう少し具体的に書いてください。

ある院生の

修士論文の製作過程をもとに研究の取り組み方を提示してくださり,具体的でわかりやすく,非常に有意義な講義であったと思います。講義の中で特に印象深かったのは,他者とのインターアクションの重要性です。研究過程では自分の世界をもつ傾向が強くなり,自分の考えや意見が絶対的と思いがちになりますが,他人は全く別の角度からみていることも多々あります。自分自身の殻に閉じこもらず,自分の意見を臆することなく人にぶつけ,研究を進めていきたいと思います。(児玉美友紀)

細川より

他者とのインターアクション,がんばってください。

今まで

自分は,修論のテーマは決まっている,このままのテーマで続けていこうと思っていました。研究計画についても,内容は細かくはないがある程度の骨組みはあると思っていました。しかし,今回の講義を受けて今までの研究計画は自分自身の中で考えていただけで,他者の誰かに自分の研究計画を読んでもらったり,意見をもらったりしたことがなかった上にとても曖昧であったということがわかりました。自分にはやらなければいけないことが想像以上にたくさんあるのだと痛感しました。先生が用意してくださったレジュメを読み,このようなことに気づくことができ今までとは違った視点で,修論までの研究計画を見ることができました。自分の思いつきを他者に説明できるようにすること,他者とのインターアクションが大切なことを学び,これから自分のテーマや研究について,たくさんの人に見てもらったり,聞いてもらったりして,説明できるようにならなければいけない,と思いました。

また,修士という二年間の中で自分の研究から新しいものを開発したり,発見したりしなければならないと考えていましたが,先生の「修論が終わってからはじまる。」というお言葉は,研究について改めて考え直すきっかけとなりました。

漠然としていたものが具体的になって,自分に足りなかったものがたくさん見えてきました。大きな道しるべをもらった気がします。ありがとうございました。(設楽智恵子)

細川より

他者とのインターアクションを大切にしつつ,修論がんばってください。

新しい

学習生活の始まりにあたって,先生の「研究計画の設定と方法」という講義を拝聴していただきまして,誠にはかり知らぬほど有益だと思います。短い修士2年間でよりいい修論を出せるように頑張りたいと思いますけど,最初は頭の中に本当にぼんやりしています。一体どういう方向に進むぺきか,どこに焦点を絞るぺきか,何もはっきりしていない状態でした。勿論,ただ一回の授業で,すべての問題を解決できるわけはないんですが,おしえてくださいました論文作成におけるながれ,方法論及び基本原則を聞いて,何とか自信がでてきたという感じでした。

その中に,いくつか印象深いことがあげられます。

1,「論文は自己把握と他者提示のために書く」という点。論文というのは,自分がまだ分からないが,興味がある現象を一定の方法論の上で,よく分析して,その中に潜む真相或いはその原理を明らかにして,他人に納得させるように文字化したものが,論文そのものだと理解しております。

2,自己把握からスタートして,問題点を探し出し,観察ーー分析ーー解釈という三段階を何回も繰り返し,最後他の人に理解させるようにという他者提示に到着します。

4,論文作成の過程で,他者とのインターアクションがとても大事なこと。まったく同感です。賛成意見でも反論でも必ずその中からヒントをもらえますから。ただし,他人の意見はやはり他人の意見で,一番重要なのは自分の判断だと思います。これは主従関係ではないかと考えています。

しかし,いずれも抽象的なものとして捉えたので,今後どういうふうに具体化できるか,私にとって現実な大問題です。

質問

3,論文のオリジナリティということ。ここでは,先生が「自分なりのデータ」を特に強調しましたが,(勿論独創性をもつ論点ーー仮説及び結論ーーが言うまでもない)その他に,論証過程について,例えば採用した分析方法などに関して,いかがでしょうか。各方面においても必要ですか,或いはその中の一点または何点にあたっていいでしょうか。(張全林)

細川より

分析方法は人さまざまです。それを考えることがオリジナリティにつながるでしょう。

私も韓国の

日本語学校で教えたとき,韓国人は文法項目や漢字などは母語と似ている部分が多くて習得が早いですが,アクセントやイントネーションなど音声のプロソディーは,学習時間がかなり多くてもなかなか上達できないことに気付いて,体系的な音声教育の理論・実践研究をしたいと思いました。しかし,韓国では音声の指導に力を入れているところは少なかったし,私自身のアクセントやイントネーションもとても不安定だったので,やはり日本で学んだ方がいちばんの選択だという結論にたどりつき,早稲田大学の音声・音韻研究を志向し進学することになりました。

とはいえ,最初はとても漠然で,「アクセントもイントネーションも発音も。。」のようにあっちこっち欲張るだけで,結局自分で何がしたいのか決められないまま四月を過ごしてしまいました。

しかし,発音指導実践研究に参加し,学習者の発話を観察してみたら,ソウル出身の学習者と釜山(プサン)出身の学習者は,発話の中で文レベルのイントネーションにおいてかなり差が見えてきて,釜山出身の学習者のほうが上手に聞こえました。

ここで,その差は本当に母語から来るのなのか,なら,もしソウル出身の学習者に日本語のイントネーションをどうやって気付かせればいいのか,釜山出身者の学習者はそのままでいいのか。などいろいろと疑問点が私の中で出てきました。

私自身も,第2言語として日本語を学んでいる学習者の立場なので,個人的な経験によると発音は時間が経つにつれ上達になるものではありませんでした。いくら学習して上級まで行っても,学習者本人が気付かないと直らないようです。究極的には,韓国人の学習者が日本語の標準語のイントネーションを習得しやすい方法を見つけるのが目標なのですが,現在としてはその気付きが優先されるべきだと思い,イントネーションの気付きから考えようとしている段階です。

未だにも漠然ですが,指導先生である戸田先生にアドバイスをいただきながら,2年にならない短い期間ですが,日本語教育という大きな海に一滴の水玉を足すことのできる研究になるよう頑張りたいと思います。(金海美(キム ヘミ))

細川より

指導教員だけでなく,さまざまな他者とのインターアクションを大切にして,音声・音韻研究,がんばってください。

これから

取り組もうとしている研究テーマが,まだ自分の問題として捉えられていないことに気づきました。なぜそれを研究対象とするのか,そして自分にしかできない研究とは何かを,「OAI」を大切に,もう一度よく検討する必要があると思いました。

また,データ収集や他者とのインターアクションの重要性など,研究を進める上で大変参考となるポイントを数多く頂きました。特に「固有のデータなしで先行研究を読んでも,何も見えてこない。」というお話が印象に残っています。自分の意見・立場の位置づけに,固有のデータが生きくる,それによってオリジナリティーの高い研究を目指すことができるのだと思いました。

研究計画を本格的に検討するにあたり,不安な気持ちもありますが,いろいろな方とのインターアクションを通して,自分の中の曖昧で漠然とした考えを整理していきたいと思います。貴重な時間をありがとうございました。(加藤綾子)

細川より

自分の立場を明確にした研究をめざしてください。

私は今まで,

きちんとした形の論文を書いたことがなく論文の書き方の本を読んでもぼんやりとした想像しかできなかった。しかし,授業で「製作過程」の具体例を聞き,そのぼんやりした形から「~をする」と具体的な活動計画を箇条書きに列挙することができるようになった。

ただ,現段階では,先行研究を読んでいても授業を受けていても知識も少なく自分の固有のデータも少ないため,すべてが正しく思えてしまう。授業を聞いて,改めて自分が問題意識を持ち,経験をし,自発的に集めるデータ及びその分析の大切さを感じた。また関心あるテーマが多すぎるのも問題で,その中から論文テーマとして一つを選び出すため意識化を優先に,実践に参加したい。

質問

固有のデータを集めることが研究にとって重要な位置をしめることは認識しており,普段から実践を行い現場でそのデータのもととなるものに触れるようにはしている。しかし,データの対象(私の場合は子どもたち及びその家族)に対し,質問すると迷惑ではないか,気を悪くしないか,仲良くなった関係を壊しはしないか,逆に不安になり遠慮してしまいがちだ。その点,他の方はどうしているのでしょうか。

論文作成までの具体的な進め方が少しずつではあるが見えてきた。その一歩となる授業で,大変有意義だった。(山田初)

細川より

データ収集は,よく相談しながら話し合って行ってください。

「大学院は,

自分の考えを作っていくところ」という先生のお話を聞き,先行研究を読むことの重要性と様々な視点から意見をくれる仲間の大切さに,あらためて気付きました。

まずは,先生がおっしゃっていた,「自分の動機をどこかに書き留め,その後研究を進めながら,またいつでもそこに戻って振り返る」という作業を,早速実践し,今の時点での自分の考えをまとめておきます。そして,この先様々な迷いが生じたとき,初心に立ち戻って,また冷静に考えたいと思います。

二つ目は,自分の固有のデータをもつこと。今まで様々な環境で経験してきたことを,自分らしい視点でデータを取りたいと考えます。せっかく,このような研究できる機会に恵まれたので,精一杯自分らしさを出していこうと心を新たにしました。(籔本容子)

細川より

動機をしっかり見つめ,固有のデータによって自分にしかできない研究をめざしてください。

研究計画の

設計と方法について,詳しいご説明を教えていただき,全体としての流れが少しずつ明確になってきました。先生がおしゃった論証の三原則ー観察,分析,解釈が立論の三本の柱だというお話はたいへん示唆的だと思います。

質問

他者とのインターアクションが他者提示の段階では,すごく重要だとプリントに書いてありますが,自己把握の段階ではインターアクションが必要ですか。

もう一つ,論文が「自分の研究成果を他者に分かってもらうように書く」と理解してきましたが,「自分のために書く」というお話がどうしても理解できません。愚かな質問ですが,教えていただければ幸いです。(曽 宏)

細川より

何がどのように理解できないのでしょうか。もう少し具体的にお願いします。

今回の

授業で今の自分に一番響いたのは,「テーマを自分のものをして捉えているか」ということと,「他者とのインターアクションを取り入れているか」ということであった。

7月までの短い間に,自分と対話して問題関心を深く見つめ,それと同時に,周りの人に恐れずに自分の未熟な考えを提示してコメントをもらうことを早いうちから積極的にしていきたい。

細川先生は院生のどんな質問であっても役に立つコメントを返し,教室全体に還元して下さった。インターアクションの重要性を改めて痛感した。

質問

ところで,言葉がまとまらず授業で質問することが出来なかったのだが,疑問に思ったことがあった。

現段階(Ⅰ期)は,個人的な体験・興味から動機固めをしテーマ設定をする,ということだが,現段階のテーマ設定は,主観的で構わないということだろうか。

「固有のデータを持ってから先行研究に当たらなければ,criticalに読むことはできない。」ということだが,現在,私が先行研究を読んでいてもどの研究も鵜呑みにしてしまい,ますます方向性が定まらないという原因がよく分かった。しかし「固有のデータを持つ」とは,パイロット調査の後のことだろうか。パイロット調査以前に先行研究を読むことはあまり意味がないことなのだろうか。願書で提出した研究計画書は,先行研究をからヒントを得て作成した部分が多いので,非常に不安になった。これから根本から練り直すつもりである。

具体的にどういう手順が必要なのか今ひとつまだ分かっていない。(高橋佳子)

細川より

研究の出発はすべて主観からはじまります。その主観によってどのように他者を説得していくか,という合意が必要です。

大学院

出願書類のひとつとして研究計画書を書いたとはいえ,わたしにとって「研究」というのはつかみどころがなく,現実味のない,あいまいなものだった。入学前に『月刊日本語』に連載されていた細川先生の「大学院に行こう」は読んだけれども,自分が研究をするのだという実感があまりわかなかった。今,振り返ってみると,当時は研究というよりも,どうすればよい研究計画書が書けるのか,形式や技法を学ぼうという姿勢で読んでいたからかもしれない。

今回「研究計画の設計と方法」というテーマで細川先生の話を聞いて,なんとなくではあるけれども,自分の研究に対するイメージ,研究のプロセスが少し見えてきたように思う。とくに,テーマを自分の問題として捉え,自分固有のデータを持っていることがオリジナリティにつながるというヒントを得られたことが,わたしにとってはよかったと思う。

正直,2年間で修士論文が書けるのか,とても不安に思っていた。今回の講義で,わたしの不安は,論文を「書く」ことそのものではなく,資料収集が要領よくできるのか,意味のあるデータを集め,それをきちんと分析できるのか,つまりオリジナリティが出せるのかという不安だったことに気づいた。まずはテーマをしぼるために動機を書くことから始めたい。できることからやっていこうと思う。(六笠 恵美子)

細川より

ぜひ,二年間で修論を書き上げてください。

観察,分析,

解釈をぐるぐるとまわっていくうちに,自分の考えを鋭敏化していく。90分の講義を終え,論文を書くためには,どれだけ自分を「鋭敏化」していく努力ができるか,が重要だと考えました。

そのために必要なのは,

  • 観察する力
  • 事実を客観的にみる力
  • 「なぜ」にあきらめないで取り組む力
  • 周りと接しながら,自分の考えを練り上げていく力

などがあると考えます。

今の私には今すぐにでも身につけたいものばかりです。

さらに私にとって難しいのは,他者とのインターアクションです。自分の考えを変容させていくという作業は,「グレイドアップ」に欠かせない要素となります。

他者とのやりとりの中で,自分の考えが揺らぐということも受け入れなければなりません。つまりは,自分の為に論文を書くということは,産みの苦しみを2年かけて味わうことなのだと思います。

大学院に入学したばかりのこの時期に,「研究計画の設計と方法」について考えることができたことは,私にとって深い意味を持つものとなりました。(荻野 裕子)

細川より

産みには,苦しさだけではなく,楽しさもあります。健闘を期待します。

自分は

学部のときから日本語教育にかかわっており,院での研究も,学部からの延長という気持ちでとらえてきています。今回の授業を受けて,その気持ちに基本的に変わりは無いものの,漠然としすぎていた自分の研究テーマをぐっと絞り込む,いい機会であったと感じています。

学部のときと,研究の内容は同じようなものだとはいっても,卒業論文と修士論文とではスケールの大きさが全く違うように感じられ,院生活も始まったばかりでなかなか慣れないなか,まず何から手をつけていけば良いのかと,もやもやしている状況でしたが,この2年間で,どの時期にどの段階まで研究を進めておけばよいのか,ということを具体的に提示してくださり,大変参考になりました。

研究を進めていく過程においては,やはり「他者提示」が大切なのですね。自分は正直言ってあまり得意なほうではありません。が,よい修論を書くため,将来の自分のために,これを肝に銘じて頑張ろうと思います。(譜久村 優子)

細川より

「自己把握」と「他者提示」をくりかえしながら,がんばってください。

先回の

講義における私にとってのキーワードは,“初心忘るべからず”と“現場”でした。

実は前日(5月5日)の夜苦悩していました。6日の演習時に,「修士論文計画書」に現段階での計画を一通り記入し発表することになっており,初めて具体的かつ細かく自分の研究計画を省みたのですが,その作業の途中で,「何を」「何のために」明らかにして,どのように「日本語教育に貢献するか」が自分でも明確に表現できないことに気づいたのです。

それまで,どうしても大学院教育の主目的である“論文作成”のみを念頭に置いてしまい,先行研究のみを重視して,理論のための理論を考え,“現場”で何が起こっているのか,何が問題になっているのかを考えていない自分がそこにいたのです。まさに,“事件は会議室で起こっているのではなく,現場でおこっている”(踊る大走査線The Movie )ことを忘れていたのです。

そのようなときに講義を聴いたので,細川先生の言葉は一言一句私の体全体に響きました。講義当日朝まで悩み続け,徹夜明けの状態だったにも拘らず,講義中私の瞼は一度たりとも重くなることはありませんでした。それどころか鱗が落ちました。

とりわけ,“自分だけのオリジナリティの必要性”と“自らの具体的な経験と動機から結論までの一貫性”という言葉は響きました。

自分が何故日本語教育に興味を抱き足を踏み出したのかをもう一度思い出し整理してみること,問題意識を持ちながら積極的に実際の授業に参加してみる(とりわけ私は現場での経験があまりないので)ことを論文作成の初めの一歩としたいです。

“初心忘るべからず”と“現場”です。(土田賢介)

細川より

何をめざして日本語教育にかかわるのかを考え続けてください。

「データ」が

論文の要ということを心に留めました。

それから,「なぜ,このテーマを選んだのか,書き留めておいたほうがいい」との先生のお話もなるほどと思い,受験前に書きとめてあったことを思い出し,読み返してみました。私の原点を再確認するとともに,今の私からみると,表層的だなと感想を持ちました。

今,自分の「なぜか」を絞るために,先生の言語文化教育研究に出席しています。そして,仲間と話し合う過程の中で,それをはっきりさせていきたいと思っています。(渋谷順子)

細川より

他者とのインターアクションを大切にして,ニッコリ笑ってください。

先日の

講義をきいて,論文を書く上で「他者」の存在がとても大切だということが強く印象に残っています。大学の卒業論文を書いたときには,ゼミの先生に何度か見ていただいた以外は全くだれにも見てもらわないまま提出しました。そのときは誰かに見せることをとても恥ずかしく思って見せることができなかったのです。でも先日の講義の中で「自己把握」と「他者提示」の繰り返しが論文を書いていく上で大切なんだということを知り,大学の卒論を書く前にこの講義を聞いていたらもう少しまともな卒論がかけたのではないか・・・と思いました。

そして修士論文に取り組むときには研究室の仲間や他の研究室の方など,いろんな方の意見や批判を聞いて,そのたびに自分の意見や立場を見つめなおしながら書いていこうと思いました。

他者とのインターアクションを通じて自己を把握していくということを常に念頭におきながら2年間頑張っていきたいと思います。(相馬森 佳奈)

細川より

さまざまな人との出会いを大切にしてがんばってください。

“日本語教育に

ついて全く知識のない人に対しても,興味の持てるようなテーマを選択すること,そして内容を説明できること”

これは,私が論文を書くうえで最も心がけていることである。さらに簡潔に言い表すのならば,これは細川先生のおっしゃる「自己把握と他者提示」ではないかと授業を受けながら漠然と考えた。したがってここでは,このうやむやな漠然を整理したい。

まず,テーマを選択するには,やはり丹念な先行研究が必要不可欠である。他の研究者がテーマのどの部分に焦点を当て,どのように研究し,どのように考察したのかを詳しく知らなければならない。なぜなら,テーマを論じるための切り口を見つけなければならないからだ。同じ研究テーマでも,切り口によってものの見方,論述の組み立ては大きく異なるため,オリジナリティのある論文を書くには,切り口の見定めが大きな鍵となるだろうと考える。

次に,内容を説明する,つまり論ずるには,自分の研究の位置づけ(先行研究に対する)や考察の切り口,オリジナリティ,強調したい部分,弱点などのすべてを把握することから始めなければならない。特にその対象者(聞き手)を日本語教育について全く知識のない人までも含めるならば,よりわかりやすい構成を組み立て,わかりやすい文章表現を選択する必要があるだろう。

このように「自己把握と他者提示」を常に意識しながら修士論文を書き進めることが今後の私の課題である。(山本直美)

細川より

オリジナリティのある研究,楽しみにしています。

今回から

という修士論文の製作過程は,自分の場合はこんな感じになるのかな。という大まかなイメージが持てたので,参考になった。

研究の動機に関して,自分の考えを,誰かに提示できるように相対化できていないので,頭の中でなく,文章化してみようと思った。

入試時に計画書は書いたが,これでいいという自信が持てない。知識不足のため,参考文献,論文をたくさん読まなければならない。しかし,数ある先行研究をすべて読むことはできない。自分の方向性,問題意識がしっかりしていなかったら,方向違いのものを読んで,いずれは役に立つのかもしれないが,修士2年間という限られた時間を浪費してしまう。また,細川先生がおっしゃっていたとおり,自分の立場がはっきりしていないと,先行研究を読んでも,あれもこれも,正しい素晴らしい。といった感想しか持てないだろう。自分の立場がしっかりしていれば,批評的に見ることができて,論文にも還元できると思った。

先生方,研究室の人たち,その他の人たちとのインターアクションの中で,自分の論文について頂ける意見はとても大切なものである。自分の殻に閉じこもってないで,意見を自由に述べられる,述べてもらえる環境,人間関係を作っていきたい。(熊倉裕子)

細川より

他者とのインターアクションを活かして,自分の立場を作ってください。

今回の

講義を受けて私は二つの感想を得た。一つ目は,自分の思考の道筋が大筋で容認できるものであるという一種の安堵感である。今回の講義では,研究の出発点は「自己把握」であった。しかも,望ましい研究として先生が強調されたのは,「実践」を扱ったものであった。この考え方は,海外での日本語教育実践を経験した私にとって,背中を押されるような思いがするものであった。というのも,今回,大学院に進学したのも,「聴解」というテーマで修士論文を書こうと思っているのも,全ては,教育実践の中から生れた疑問に基づいており,その疑問を深く掘り下げて考察する,言い換えると「自己把握」が,研究の出発点となっているからだ。そう考えると,研究の入り口部分までは,実践と研究の整合性が保たれており,今回示された自己把握と他者提示の循環という研究の最低限の要素を満たしているように思える。

二つ目は,自分のデータから先行研究を批判するという考え方が参考になったという点である。私は以前,研究とは,先行研究を批判することから成り立つと思っていた。私の卒業論文は,「スピーチレベルシフト」研究の不十分な点を指摘した上で,自らデータを収集し,理論的なフレームワークから分析した。そして,そこから導き出された結論について述べたというものであった。つまり,先行研究がなければその研究は成り立たなく,その研究過程は,「先行研究→批判→調査(観察・データ収集)→分析」という流れであった。しかし,今回の講義では,自分が収集した「データ」が自分の意見の拠り所となり,データがなければ,先行研究の批判はできないという説明があった。つまり,「自分のデータ→先行研究への批判」という「自分のデータ」に重点をおいた研究過程である。このプロセスは当然のことと言えば当然なのであるが,テーマを自分の問題として捉えるという重要性を改めて気付かされる思いがした。「先行研究を10本読んでも,自分のデータがなければ全てが正しく思える。」という言葉が非常に印象的であり,そのために,パイロットスタディが研究の良し悪しを左右する重要な鍵を握っているように思えた。(杉山充)

細川より

クリティカルに思考すること,これが研究の原点です。修論,期待してます。

今日の

講義を伺って,先生は基本的なことをわかりやすくお話しになった,というのが率直な思いです。そして,特に感慨深かったのは,以下の5点でした。

1.論文執筆の手順は,教育研究を続けていく上での様々な手続きを学ぶことである。そして研究の大原則は,自分自身の研究テーマを把握していることと,それを誰かにわかりやすく提示できるか,ということである。

2.ケーススタディーも,質の高いデータを取ることで,立派な研究になる。

3.調査をする場合でも,答えてくれる人が答えたくなるような質問を作ることで,回答率が上がる。

4.常に他者からのコメントを聞くことで,自分の考え方も洗練されていく。

5.データの声を何度も聞き,見たいものの背景を探っていく。

基本的なことながら,実践するのは非常に難しいことだと思いますが,迷ったらこの授業のハンドアウトに戻って,出直すつもりです。ご講義いただき,ありがとうございました。(和田晃子)

細川より

インターアクションを大切にしてがんばってください。

私にとって,

とても勉強のなる授業でした。一年生であるので,自分の研究計画にはたくさんの疑問を持ちました。

それにしても,一番基本的などうやって計画書を書くのが,よく分かりませんでした。先生の授業のお陰で,筋を分かるようになりました。これで気持ちを少しでも晴れて,後はOIAのステップを立て,頑張って書くようにしたいと思います。(邵雪飛)

細川より

他者とのインターアクションを忘れずにね。

この講義は

私に,どのように研究を設計・計画,構成,実行していくかについての洞察を与えてくれた。

細川教授は例を用いて研究のデザインというものは,らせん状を描くものであると説明した。

1.テーマの設定。これは通常は研究者の個人的な関心から抽出されるものである。

2.問題分析。これは,研究者自身の日本語応用言語学分野における,研究の動機や立場を再確認するものである。さらに,研究者は提案されたテーマが適切であるか,扱えるものであるか,意義深いものであるかについて再保証することを要求する。

3.方法論。計画にはデータ収集,データ分析,証明や,仮説の再設定。それぞれの段階は,多様な研究の方法における実行性や可能性を計算することを必要とする。そして,もっとも重要なことには,研究計画の妥当性,および信頼性を確証することである。

4.結果の解釈と結論。解釈とその表象は研究の独自性を意味する重要なオリジナリティを担う。

細川教授は,修士論文の執筆過程を強調し,ガイドラインを提案した。それは,他者との共有がよい修士論文へのキーワードであるというものである。良い修士論文はそのテーマのアイディアに沿って一貫性を持つものである。その執筆過程は継続性を持って処理されなければならない。修士論文は,自分のために書くことものであるが,どのように自分の意見やアイディアを他者と共有し,理解させることが研究者が磨くべき技能である。

細川教授が述べられた,共有ということは,単に論文を執筆するという次元にとどまらず,むしろ人と人とのコミュニケーションの原点に通じていると思う。私は,誰でも人生の中で一度は,自分がすんでいる世界を良くしたいと思うものであると思う。

共有することはおそらく,その行動の第一歩であるだろう。この授業のおかげで研究計画をどのように立てるかについて深く理解することができただけでなく,一人の研究者,教師,書き手,そして,人間として,新たな世界についての視点を理解することができたと思う。

質問

日本で,研究における倫理的な問題はどのように扱われているのでしょうか?この問題についてのガイドラインは存在しますか?

「共有」させていただきありがとうございます。(チャイー)

細川より

「倫理」にガイドラインを設けるとどうなりますか。フーコーを読んでみよう。

今回の授業で,

今後どのように研究を進めていけばよいかが具体例もあって大変よくわかった。いつまでに何をどうすればよいか計画が立てやすくなった。

しかし,私自身今はまだ計画のほんの入り口で足踏みしている状態である。それはなかなかテーマの絞り込みができないのと,自分がやろうとしていることに「オリジナリティ」があるのか,というところでいつも躓いてしまうからである。何を書いても,だれかがどこかで既に言っていることだと感じてしまう。それは恐らく,自己把握,つまり動機がまだまだ掘り下げきれていないせいであろう。だからこそ,テーマが絞りきれないのだと思う。動機は既に何度か書いたのだから,そこから何かが出てくるはずだという気持ちがあったが,動機というのは何度も何度も繰り返し自分の中に問わなければならないのだと,今回の講義を聞いて気づいた。「動機固め」とは,そのようにしてやっとできることなのだろう。細川先生の授業では「動機は何か」と常に問われるのだが,それを問うことがいかに大切か,改めて感じた。研究が進んでも,恐らく何度もこの動機に立ち返る必要があるのではないかと思う。何か迷った時は常にそこに戻って,自分がやろうとしていることを確認し,そこからまた先へ進んでいく。「動機」は研究の要になる。したがって,観察・分析・解釈をスパイラルに繰り返すと同時に,動機を振り返るということも繰り返し行っていくことが大切なのではないだろうか。

私の動機は私のものでしかないのだから,そこからテーマを設定していけばおのずとオリジナリティは出てくるのかもしれない。今頃何を言っているのかと言われそうだが,これまで色々な講義で行ってきた他の人とのインターアクションも踏まえて,まずはもう一度動機固めから始めたいと思う。(古賀和恵)

細川より

「動機」がすべての出発点です。迷ったら何度でもここに立ち戻って考えてみてください。

今後の

修論までの流れを時間の流れに沿って説明されていて,大変わかりやすい内容でした。しかし,幾つか疑問点がありましたので,ご報告したいと思います。

先行研究分析に関してですが,「自分のデータを持ち,それを元にして批判的に文献を読み進めていくことが大切である」ということでしたが,実際に,我々院生が現在演習でしていることは,先行文献を読み進めることであり,データを集めることはしていないのではないでしょうか。その点,先生の言われたことと反しているような気がしました。また,独自のデータがなくても,先行文献の問題点や,まだ研究されていないことなどを発見することは可能なのではないかと感じました。もちろん,独自のデータを早い段階で持つということは大切だと思いますので,その努力は今後していきたいと思います。もう一点ですが,修士論文製作過程を具体的な例を取り上げて説明してくださったのは,大変ありがたいと感じました。しかし,実践研究でデータを取って,それを修論まで持っていく院生よりも,早稲田以外でデータを取る院生のほうが多いと思うので,外でデータを取る「苦労話」のようなものが入っていると,より,自分の身近なものとして感じられたのではないかと思いました。(清水寿子)

細川より

演習でやることと修論のデータを集めることは別のこと。オリジナリティの発見とは何かを考えてみましょう。この次は,後輩のために,あなたの「苦労話」をしてあげてください。

率直に,

「衝撃的な」授業でした。

他の大学で卒業論文・修士論文の段階を踏んで,ここに来ましたが,このように手取り足取り,学生の立場から,ここまで丁寧に,研究計画の設計や方法まで教えてくれる授業なんかありませんでした。

私の場合,「論文」とはなんぞやと,本当に真っ白な,「無知」の状態から始めましたので,なんとか自分で調べて,周りに聞いて,走り回って…,というような,手探り・体当たりの,試行錯誤の連続だったような気がします。周囲の先生方も,「後になると時間なんかなくなるんだから,早め早めにやっておきなさい」とおっしゃってはくださいましたが,このように,論文の提出時期や作成段階まで考えてくださったり,指導してくださる方まではいらっしゃいませんでした。

確かに,これまで自力でやってきたことに関しては胸を張っていえますし,その過程の中から学んだことも数多く,後悔はないですが,もしあの時にこのような授業があったら,あの時間と努力を,もっと有効に使えたかも知れません。

私も今後,様々な先生方に,いろいろとお世話になりながら博士論文に取り組むことになるだろうと思われますが,しかし,これからここで修士論文を書く皆様が,心底,羨ましいです。(辛銀眞)

細川より

博士論文,がんばってください。