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「ことばの市民」になる――言語文化教育学の思想と実践


「ことばの市民」とは何か? 日本語教育における「学習者主体」の提案者が,ことばと文化の統合をめざした実践研究を経て,第三の道程にいたる言語文化教育学の思想。言語教育の未来を照らす一条の光。15編の論考と5つの論点を収録。

著者より

この本は,前著『日本語教育は何をめざすか――言語文化活動の理論と実践』(明石書店,2002)のあと,ほぼ10年の仕事を振り返りつつ,前著の大きな問いに答えるべく執筆した原稿を,論文集の形でまとめたものです。

今,改めて読み返してみると,文章の重複や繰り返しが多く,また論述のスタイルもきわめて恣意的で,もう少し踏み込むべきと思いつつ確証のなく,宙吊りのまま強引に結論づけたものも少なくありません。ただ,この歳月の中で少しずつ切り口が変化しているため,たとえ同じ結論に至る場合でも,その切り込みの仕方において,ちょうど大小の錐のように,あるいは螺旋を描きながら対象を捉えようとしていることがわかります。

この本をまとめるにあたっての最大の困難は,私自身の思想的変容でした。このことは,関連する用語・述語の概念記述に象徴的に表れています。「文化リテラシー」から「相互文化性」へ,また「コミュニケーション能力育成」という個体能力還元主義の問題性への気づきは,本書の構成自体へ大きな影響をもたらしました。

そうした動態性を論文集に取り込むこと自体,当初はきわめて困難であると思い,一時はこの出版をあきらめようとしたこともありました。しかし,この動態性こそ,自分自身の軌跡であると認め,それを真摯に受け止めて,そのプロセスを記述することこそ重要であると気づかせてくれたのは,日々の「総合活動型日本語教育」の教室における,重層的で複雑な活動への振り返りだったのです。その意味で,この歳月をまとめなおすという作業は,私にとって大変意味のあることだったように思います。

前著以後のこれまでを振り返ると,日本語教育とは何か,言語教育とは何か,という問いを何度も反芻している自分がいます。それは,必然的に「言語教育の専門性とは何か」という議論と重なっています。言語教育の専門性について考えると,この本で批判した準備主義・下請け意識の存在と意識がその闇を形成していることがわかります。

言語教育が光となって人間の形成を照らすには,この準備主義・下請け意識からどのように自由になれるかが大きな課題でしょう。その方向性としての「ことばの市民」という概念こそ,これからの言語教育の未来を構想するうえで重要な鍵になると私は思っています。

この「ことばの市民」という概念について考えたとき,母語教育の中で戦前から言われてきた言語活動の主体としての自己のあり方に必然的につながっていくのではないでしょうか。今後は,この言語活動主体という概念をめぐって,人物研究等を含んだ歴史的な観点を踏まえつつ,専門分野(たとえば日本研究)と日本語教育との関係のあり方などについて,その閉ざされた闇の中に深く分け入ってみたいと思っています。

この10年を振り返る著作でありながら,この本には,言語研究者として出発した私が,国語教育・日本語教育との出会いから言語文化教育学をめざすようになるまでの30年がすべて投入されています。先月出版された『研究活動デザイン――出会いと対話は何を変えるか』(東京図書,2012)と併せて,この30年の思想的変遷を提示することになりました。

光陰矢のごとし,学成り難し,です。みなさまのご教示,ご叱正をいただきたく。

メルマガ『ルビュ言語文化教育』421号(2012年10月12日)より転載)

目次

  • 本書の提案と考え方――言語文化教育学とは何か

第1部 言語教育は何をめざすか

  • 第1章 日本事情から始まる学習者主体――教育方法論としての日本事情
  • 第2章 クレオールは言語教育に何をもたらすか――日本語教育クレオール試論
  • 第3章 日本語教育学のめざすもの――教育パラダイム転換とその意味
  • 【論点1】「学習者主体」とは何か――日本語教育における教育概念の推移とその意味

第2部 言語教育における文化のあり方をめぐって

  • 第4章 ステレオタイプとは何か――日本語教育におけるステレオタイプと集団類型認識
  • 第5章 日本文化のルールは取り出せるか――「社会文化能力」批判
  • 第6章 文化は実体か認識か――日本語教育における「文化」解釈の現状と展望
  • 【論点2】「個の文化」の意味――言語文化教育学の思想と挑戦

第3部 ことばと文化を結ぶ教育をめざして

  • 第7章 崩壊する「日本事情」――ことばと文化の統合をめぐって
  • 第8章 相互文化性と対話のダイナミズム――ことばと文化の統合のために
  • 第9章 動的で相互構築的な言語教育実践とは何か
  • 【論点3】「相互文化性interculturalit」とは何か――インターカルチャーという視点から議論形成の場の構築へ

第4部 ことばの実践を研究することの意味

  • 第10章 「私はどのような教育実践をめざすのか」という問い――実践研究とは何か
  • 第11章 日本語教育はどのように実践を研究してきたか――その位置づけと意味
  • 第12章 実践研究は日本語教育に何をもたらすか――その課題と展望
  • 【論点4】コミュニケーション能力育成批判――ことばの学びとは何か

第5部 言語文化教育学をめざして

  • 第13章 「私のことば」で表現することの意味
  • 第14章 「国語表現」の新しい可能性――問題発見解決学習とは何か
  • 第15章第三の言語教育をめざして――母語・第二言語教育の連携から言語教育実践研究へ
  • 【論点5】対話・協働・コミュニティ――学習者主体における個人と社会
  • 終章 結論にかえて――「ことばの市民」になるということ
  • 言語教育の光と闇――あとがきにかえて