言語文化教育研究会――過去の記録

四季の講演会:第2回
第3の言語教育をめざして――国語と日本語を結ぶ言語文化教育

日時
2004年 7月3日(土)14:00~17:00
ところ
早稲田奉仕園セミナーハウス[地図
定員
50名程度
参加費
1,000円
内容

昨今,日本語教育においても重要な問題となりつつある,母語と第二言語との連携について,「第三の言語教育」である“言語文化教育”の立場から提言する講演を行いました。

その後の討論では,当研究所のスタッフがファシリテータとなって,参加者のみなさまとともに,各自の言語文化教育に関する問題意識をより明確化し,みなさまそれぞれの言語文化教育理論・実践の有効な足場を構築していきました。

ご来場いただいた皆様からいただいた,ご意見・ご感想を公開しております。

講演者からのメッセージ

細川英雄この数年の「国語と日本語の連携を考える会」の活動を踏まえ,国語教育と日本語教育を結ぶ第三の言語教育として“言語文化教育”を提案します。

従来の国語教育と日本語教育のそれぞれの問題点を指摘しつつ,それを乗り越える方法論としての「思考と表現の往還」を提示し,その具体例についてお話しします。あわせて,この話題をめぐる討論をワークショップ形式で行い,参加者の交流を図ります。

今,国語教育と日本語教育に関心を持つ人すべてに開かれた議論の場となるでしょう。奮ってご参加ください。

細川英雄

ディスカッションより

小グループに分かれて行いましたディスカッションでは,それぞれのグループで熱のこもった議論が展開されました。

グループ1

ディスカッション公開講座から流れてきた方,定年されもうすぐ中国で日本語を教えることが決まっている方,日本語教育を勉強している大学生,現職の小学校の先生,日本語教育新聞委託のフリータイターの方,大学院入学希望の留学生の方など,多彩なメンバーで議論できました。普段なにかしらの問題意識をもってらっしゃる方が,講演者の話を聞いてそこから考えたことをお話され,全員で話題を共有したといった感じでした。以下直接講演者に投げかけたもの以外の主だった感想や意見になります。

発表の内容について
配られたレジュメの内容は,形式と内容について整理されて話されていたので,よく理解することができた
作文でも紙芝居でも,なにか「伝える相手」がいることが大切なのではないか。相手を意識することで,活動にかかわるもの同士のコミュニュケーションが活性化するのだろう
国語の教科書がだいぶ変化しているようだが,アクティビティばかりが先行して,“話せるけど書けない・読めない”といったことにならないか心配。どこにむかって国語教育は進んでいるのかがわからない。
さまざまな分野で「第3の場」が語られるようになってきている。今回も第3の教育の場ということで,この次のステップとしての「第3の場」が今後の活路を見出す方向性を指し示すものになるのではないかと講演者の話をきいていて感じた。
「総合」について
総合の授業はレベル別にグループ分けされている,ということであるが,レベル別に分けること自体「総合」の理念に反するのではないか。いろいろな言語能力の人が集まって行われるべきではないのか。
グループ2
発表の内容について
オリジナリティーは他者と関わることで相対化するのか?個と他人(BlachBox)の書かれた絵を見ながらの質問でした。オリジナリティーは流動的であるか,その中で他者と関係性をもつとはなに?というような質問でした。オリジナリティーと他者との関係についての質問だと解釈しました。
対象と自己との関係とは普遍的なものではないか?
このように自分の視点をもつことを視野にいれた教育が幼いときからあるといい(当時行っていた「作文」の授業も形式的なものだった)。
「総合活動型日本語教育」のレポート作成に関して,その他,要望事項
具体的にどんな内容のものなのかを総合経験者に尋ねていました。
グループ内で議論する時間が長かったらよかったのにという意見がありました。
グループ3

武蔵野大学の院生,日研院生(お名前失念),現職の国語・日本語教師のみなさん。武蔵野大学の院生で,専門学校で日本語教師をしてらっしゃる方と,現職の国語・日本語教師の方から疑問・質問がだされ,それをグループの中で共有するという流れで議論がすすみました。

発表の内容について
国語教育での「形式」の意味がよくわからない。日本語教育が「形式」を重んじているというのは理解できるが,自分の現場を実際に考えてみても,国語教育において「形式」だけを見て授業を行なうということはありえないのではないか。「内容」は必ず関係しているはずだ。
総合について
ディスカッション細川の本を読むと,「訂正しない」という方法のようであるが,それで学習者のレポートは良くなるのか。また,自分のクラスを考えた場合,学習者は作文を書くのが苦手であり,このような活動がうまくいくか疑問。これに対し,早稲田の院生から,自分は学習者が書いたレポート集を読んだが,日本語の問題ではなく,中には院生の書いたレポートより心に響くようなレポートを書いている学習者もいるという意見が出された。
内容と形式に関連して,留学生の方から,自分の日本語学習を振り返えると,形式を念頭に入れて書くことが多く,形式を教えてもらえることは楽であり,安心するものであったが,内容については考えることがなかった(適当に書いていた)という意見が出された。が,具体的な話に入る前に時間切れとなってしまった。

最後の留学生の方のお話から,さらにもしろい議論ができたように思いますが,時間が足りませんでした。現場を持つ先生方が,自分の授業に疑問を持っていない場合(いい意味でも悪い意味でも),ここでの話を聞くと,自分が攻撃されているように感じて,拒否反応が出てしまうのかなと思いました。

グループ4

質疑メンバーは,細川の授業を受けた方・日本語教師養成講座を修了した方(日本語個人指導の経験あり),大学院で日本語教育を専攻としながら日本語の先生をしている方,日本語教育に興味がある大学学部生および日本語教師のみなさんでした。

多くの質問は

  1. オリジナリティの意味がよくわからない。
  2. このような活動をしてみたいが,どのくらいの日本語力があればできるのか?
  3. 総合型活動ができるところまで日本語力を育てることで現状は終わってしまう。

についてのものでした。

グループ5

皆様から頂戴したご意見・ご感想(アンケートより)

皆様から頂戴したご要望(アンケートより)