八ヶ岳アカデメイア――既刊一覧
私はどのような教育実践をめざすのか――言語教育とアイデンティティ
- 細川英雄,鄭京姫 編
- 3,024円[Amazon.co.jpで購入]
- 2013年10月,春風社より刊行[春風社による紹介:もくじ・まえがき・あとがき]
- ISBN: 784861103797
国際研究集会「私はどのような教育実践をめざすのか――言語教育とアイデンティティ」(2012年9月開催)の成果が単行本化。「教える/教えられる」の関係を超えた言語活動主体のあり方を問い、人間形成としてのことばの教育を考える。
まえがき――めざすべき教育実践と言語活動主体のあり方
細川英雄
本書のメイン・タイトルは,「私はどのような教育実践をめざすのか」で,サブ・タイトルは,「言語教育とアイデンティティ」です。言語教育を考える限り,アイデンティティの問題は外せない,いやむしろ,アイデンティティの問題こそ,言語教育の大きな課題だという編著者の問題意識によるものです。したがって,本書は,自分の実践はこのようなものだという現象を提示することを目的とするものでは決してなく,「私はどのような教育実践をめざすのか」という課題を議論するための場を形成することの重要性を問うものだと言えます。
このような編著者の姿勢に対して,第Ⅰ部の議論の中で,考え方を示して実践を考えるという順ではなく,実践を示して,その考え方を議論するという手続きが,これまでの私のやり方と異なっているのではないかという鋭い質問も出ました。
「なぜ」と「どのように」のどちらを優先させるべきかは,たいへん難しい問題で,どちらにすべきかどうかをここで決めることはできませんが,重要なことは,この両者が循環しているということでしょう。
つまり,「どのように」で始まっても,いずれは「なぜ」を問わなければならないし,「なぜ」と問うたとしても,いずれは「どのように」という答えを出さなければならないのです。それは,いずれにしても言語教育の内容それ自体を問う試みでしょう。
戦後50年の言語教育の歴史の中で,そうしたことを議論するための場を私たちはつくってこなかったのも事実だといえるでしょう。
ここでは,まず「私はどのような言語活動主体となりうるか」という問いを前提として持つことが,議論形成の場をつくるための新しい課題として意味を持つのではないかと私は考えました。
「私はどのような教育実践をめざすのか」という問いの前提として,「私はどのような言語活動主体となりうるのか」という問いを対置させることにより,私たちは,言語教育の本当の目的と向き合わざるを得なくなると私は考えたからです。
そこには何か一つの正解があるわけではありません。「私はどのような教育実践をめざすのか」という問いは,冒頭で述べたように,決して自分の実践はこのようなものだという現象をただ提示することを求めているわけではないからです。むしろ,個人の持つ日本語教育観,つまり,言語教育に対する個人の立場の意識化を問題にしているのです。
個人の立場の意識化とは,自分の言語活動に対する考え方を明らかにすることです。同時に,それは,言語によって活動する個人を形成することでもあります。自らの言語活動を意識化して初めて,言語を教えるという行為へ関わることができるからです。
この場合の個人とは,まぎれもなく,「この私」でもあります。「私はどのような教育実践をめざすのか」という問いには,「どのような言語活動主体となりうるか」という問いが前提としてあることを私たちは認識しなければなりません。
「どのような言語活動主体となりうるのか」という問いを前提として考えると,これまでの言語教育との齟そ齬ごが際立ってきます。とりわけ個体能力主義に基づくコミュニケーション能力育成が言語教育の目的だとする思い込みに対する強い批判的立場に,私たちは立たざるを得なくなるでしょう。
ここでは,言語活動主体としての問いを通して,一人の人間として,ことばの活動をめざすことの意味を改めて捉え直すことを試みようとしました。
第Ⅱ部の論考編では,さまざまな議論をしていくために,具体的な材料を出す必要があると考えました。今までは,そのような提示を一人ひとりが自分の立場を意識化して議論するという場そのものがありませんでした。だからこそ自分がどのような教育実践をめざすのか,自分がどのような言語活動主体となるのか,というプランを持ってそこから議論していこうとしたのです。その結果,なぜ・何のための言語活動なのか,という問いとそれに対する答えが見えてきたのではないでしょうか。これまでは,その「なぜ」が機能しない場でした。議論のとっかかりがない議論をずっとしてきたように思われます。
第Ⅰ部の議論の中で,ピエール・マルティネーズさんは,「私がクラスですることのためには,私自身はどのような言語活動主体であるべきか」という問いについて,つぎのように結論づけています。
このようにして私たちはクラスから出発しますが,結局はその世界全体,環境全体を問うことになります。ですから,あなた方,そして私たち言語教師というものは勇者なのです。勇気ある者と言うことができると思います。私たちの前にはたくさんの仕事が待っています。「勇気ある者」として,「たくさんの仕事」をしなければならない私たちにとって,本書は,多くの材料とその議論の場を提供するものです。
「私はどのような教育実践をめざすのか」という問いは,言語教育に関わるすべての者にとっての挑戦的な課題です。言語活動主体としての充実とは何か,なぜ私たちはことばの活動によってこの社会を支えていかなければならないのか,という大きな課題を担う責任を自覚しつつ,本書をその議論の中核に据えたいと思います。
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本書は,2012年9月8~9日に実施された国際シンポジウムの講演及び当日の会場での議論をもとにして構成され,さらにそのシンポジウムの趣旨に賛同された多くの方々からの投稿をもとに編集委員会において編集作業を行い,最後に,共同編著者である鄭京姫が,本書を締めくくっています。本書が,これからの言語教育の未来に向けて,言語教育とアイデンティティをめぐる議論の場の形成への一助となることを願います。
本書は,JSPS科研費「アイデンティティ形成に関する言語教育とその教師養成・研修プログラムの実践的研究」(基盤研究(C)22520540,研究代表者:細川英雄)の研究成果の一部である他,JSPS科研費「新しい言語教育観に基づいた複数の外国語教育で使用できる共通言語教育枠の総合研究」(基盤研究(A)23242039,研究代表者:西山教行)の助成を受けました。あわせて,早稲田大学日欧研究機構・ヨーロッパ言語教育研究所(所長:細川英雄)からの研究活動費による成果でもあります。
多くの方々のご協力とご支援により本書が刊行されることを喜びとするとともに,改めて深く御礼申し上げるものです。
2013年5月2日 編著者を代表して