[2025-07-04] Revue Langue,Culture et Education. n.897 ###################################################################### [ 週刊 ] ル ビ ュ 言 語 文 化 教 育(RLCE) ─897号─ ###################################################################### ■ 897号:もくじ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ --◆◇研究所より◇◆-------------------------------------------------- ひやひやする感性、について                  松井孝浩 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 研究所より ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ひやひやする感性、について                         松井 孝浩(日越大学) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 25年以上も前の大学生時代のことだが,鮮明に覚えていることがある。 ある文化人類学の研究者が私の通っていた大学に来て講演をした。その後の懇 親会で,一人の学生がその方(いわゆる「白人」の容貌をしている方)にこう 言った。 「先生は本当に日本語がお上手ですね。」 その研究者は,眉ひとつ動かさずにこう言った。 「ええ,あなたが生まれる前から日本語使ってますからね。」 思わぬ返答に目を白黒させながら,その学生はさらにこう言った。 「でも,本当にお上手ですよ。」 その方はそれ以上何も答えなかった。 その学生はなんだか変なことを言っているな,と当時の私は内心ひやひやして いたのだが,そのひやひやの正体はわからなかった。しかし,今ならその正体 がわかるような気がする。 その学生としては自分の驚きを素直に口にしたという以上の含みは全く持って いなかったと思う。しかし,そのことこそが有無を言わさぬような何かを孕ん でいると言えないだろうか。つまり,この学生は無意識的にではあるがこのよ うなことを表出していたのだと思う。 ・「外国人」が日本語を使いこなせるわけがない ・しかし,あなたは例外的に使いこなせていると「日本人」である私は評価す  る ・「日本人」である私は「外国人」であるあなたの日本語を評価できる立場に  いる たぶん,日本にいる間この方は幾度となくこのような有無を言わさぬような何 かの押しつけを受けてきたのだと思う。それから25年。21世紀が始まって四半 世紀が経っても,日本語の教科書では,こんなやりとりが扱われている。 A:日本語お上手ですね。 B:いいえ,まだまだです。 確かに処世術としては,安全で無難なやり取りなのだろうし,もちろん,これ は日本語を学んでいる人に,「日本語お上手ですね。」と声をかけるのがよく ない,こういう表現は使わないほうがよい,と言いたいのではない。 ここで言いたいのは,もう25年も前に「でも,本当にお上手ですよ。」と言っ たある学生がいて,それをうんざりするような思いで聞いていた人がいた,と いうことを日本語教育に携わる者としてどう考えるかということだ。 日本語使用者が多様化している昨今,日本語の教科書にもバリエーションの一 つとして,こんなやりとりが出てきてもよいのではないかと思う。 A:日本語お上手ですね。 B:ええ,あなたが生まれる前から話していますから。 このようなやり取りから,日本語使用者が多様性についての気づきを得るとい うか,想像力を持つ機会を教材に盛り込めないだろうか。ただしこれはほんの 一例であり,こういうことはあらゆる場面で起こっていて,別の場面では,自 分もその学生と同じような振る舞いをして誰かを辟易させていることだろう。 ところで,もう一つ。その方はこんなことも言っていた。 「なぜ,私のような人間を「白人」と呼ぶのですか?私の肌をよく見てくださ い,白ではなくてどちらかと言えばピンクです。ですから私,実際は「ピンク 人」。でも,なぜ私は「白人」なのか。いつからこう呼ばれるようになったの か。これはよくよく検討する必要があると思います。」 この二つの発言は,今でも鮮明に覚えている。 何と細かなことをやり玉に挙げて,と感じる方もいらっしゃるのかもしれない が,日本語教育に携わる者として,個人的にはこの時のようなひやひやする感 性はいつまでも大切にしたいと思っている。 ハノイで大学生に日本語を教えて,早1年が経つ。自身の教育実践では,例え ば「いいえ,まだまだです。」だけではない,学生一人ひとりにとって自分ら しい表現が見つけられるような活動ができたらいいな,と思っている。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ★メルマガ『ルビュ言語文化教育』(RLCE)バックナンバー  こちらから『ルビュ』のバックナンバー(一部)がご覧になれます。  https://gbki.org/mailmag.html ★ご意見、ご感想、ご提案  ご意見、ご感想、ご提案等、なんでも  info@gbki.org(言語文化教育研究所)宛までお願いします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 誌 名:ルビュ「言語文化教育」897号 発行日:2025年7月4日 発行所:言語文化教育研究所 八ヶ岳アカデメイア     〒408−0311 山梨県北杜市白州町花水278−43     http://gbki.org/ 編集,発行責任者:細川英雄     http://gbki.org/#greet 協力:ケイ商店 配信システム:まぐまぐ     http://www.mag2.com/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━