八ヶ岳アカデメイア――講座・実践活動細川英雄の早稲田大学での担当クラスの記録

2005~9年:日本語の文章表現(オンデマンド講座)
「書くこと・考えること――ひと・ことば・コミュニケーション」

2005春 受講者と作品レポート

伊坂 「福祉施設」

1. 動機

私は今福祉施設にとても興味があります。ここでいう福祉施設とは,老人ホームや高齢者ケアセンターなどの,お年寄りの方が生活する施設の事です。

理由は日本での高齢化が問題とされている中で,高齢者の方が老後の生活を豊かにするために,私にも何かできるかもしれない,何か役に立ちたいと感じたためです。また将来自分も生活するかもしれない場所を,明るいものにしたい,住みたいと感じるような空間にしたいと思いました。そして私は将来,お年寄りの方が日々充実して過ごせるような,福祉施設を設計してみたいと思うようになりました。

興味をもったのは,ある1冊の本を読んだのがきっかけです。私はその本を読み,高齢者の方が施設に入った時,今までの生活との落差からショックを受け,まったく別人のようになってしまったり,痴呆になってしまう方がいる事を知りました。この事実に私自身ショックを受けました。また私は以前から,福祉施設には暗いイメージがありました。私が見たり訪れた事のある施設は,見た目はいかにも“施設”らしく,色は淡白で箱のよう。中はまるで病院のように,長い廊下にいくつかの部屋があり,また床は光沢のあるビニール素材のもの。見ていて苦しそう,のびのびと暮らせるだろうかと感じた事がありました。現在では様々な工夫がなされ,建てられている施設もあります。しかしまだ多く普及していないのが現状のようです。

2. 議論

私は明るい施設,入居したいと思えるような施設はどのような所か,考えてみました。そしてそこは温かいものを感じさせるような場所であってほしいと思いました。見た目で言うと,建物に木の素材を使う,いっそ床や壁,机など全部木にしてしまっても良いのではないでしょうか。いつかの新聞で,学校をほとんどすべて木の素材に建て替え,それが子供達にとても馴染み嬉しそうにしている,という記事を読んだ事があります。福祉施設も一緒で,高齢者の方にも木の匂いややわらかい色が,心安らぐ存在になるのではないでしょうか。

また庭などを作り,皆で食事をしたり遊んだり,陽の光をあびたり,何かを栽培してみたりするのも良いと思います。また「日光を取り入れる」との意見をもらい,これもとても良いと思いました。

近くに公園や学校があるのも良いと思います。今回改めて「人とのつながり」は必要だと思いました。人との関わりが,今の私にとって大切であるように,老後の生活にも欠かせないものだと思いました。そして,私は親しみのある『我が家』のような施設を設計してみたいと思いました。

また「精神面でのバリアフリーも必要」との意見に改めて考えさせられました。私は見た目の問題や施設の構造に多くとらわれていましたが,やはり忘れてはならない課題だと思います。いくら物が充実していても,施設が我が家のような見た目であっても,精神面が満たされていないと老後の生活も豊かになりません。

そして新たな発見はTAの方に,「我が家」=「地元」とも考えられるとの意見を頂いた事です。「地域密着の福祉施設はみんなの我が家になり,自分が住みたくないようなモノはみんなが作らせない」との意見にとても納得させられました。今まで私の視点はほとんど施設そのものに留まっていました。人とのつながりは必要だと考えましたが,施設を地域として見直す事はしていませんでした。私はここで,新たな視点が増えた事を嬉しく思います。

3. 結論

私は意見をもらい,考えていくうちに,改めて福祉施設を設計してみたいと思いました。そしてそこは『我が家』のように感じる事のできる場所が良いと思います。それは見た目だけでなく,精神面でも高齢者の方の支えになる場所であって欲しいです。今回地域という少し違う角度からの視点を持つ事が出来ました。おそらく,自分で勉強したり,色々な人の意見を聞いたり,また実際に訪れたりする事で,さらに新たな発見や考えがあるのではないかと思います。

今後大学で積極的に学び,色々な考えを知りたいです。そしてそれを糧として,高齢者の方が日々充実し,自分らしく生活出来るような場所をつくりたい。今後の高齢者社会の中で,お年寄りの方ひとりひとりが豊かな生活である事を願って…。

私にとって福祉施設とは,今後の課題であり,また大きな目標です。

最後に

今回の文章表現で自分が興味をもっていた事を文章にする事で,改めて深く考えさせられました。自分の中で考え,文章にするのは難しい所もありましたが,楽しかったです。また,他の方から意見をもらう事で,新たに視野が広がった事をとても嬉しく思います。この気持ちを忘れず,これから前に進んでいきたいです。

そして今回お世話になったすべての方に,心から感謝したいと思います。

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伊藤1 「心理学」

私は心理学に興味がある。なぜかと言うと,他の人が何を考えているのかを想像する事が好きだからだ。例えば自分がトイレにいる時,「どうしてあの人達は,真ん中の便器が空いているのに端の便器に並ぶのだろう」という様な,日常の中のささいな行動に疑問を持つ事がよくある。そういう時,「隣に人がいるより壁がある方が,人は落ち着く」等と仮説を立ててみる。そしてその仮説が電車の座席やレストランのカウンター等のよく似た状況でも成り立つか,いつも確認してしまう。また時々心理学関連の本を読んだ時,自分の仮説が心理学的に見て正しいと分かると,とても嬉しい気持ちになる。

この様に他人の行動に疑問を持った時,どうしてその行動をとるのか考える事が好きなのだ。

この事について,「自分の行動には興味が無いのか」という質問を頂いた。それに対して私は次の様に考えた。

私は過去に自分の行動に興味を持った記憶がほとんど無い。だから私は自分の行動に興味を持つ事が最初から無いのか,興味を持ったとしても印象に残らないのか,そのどちらかだと思った。

私はまず前者ではないと思った。少なくとも一回は自分の行動に興味を持った記憶があったからだ。なので後者について考えた。

自分の行動について考える事も他人の場合同様にあるなら,それが印象に残らないのは,他人の行動について考えなければ得られない「何か」があるからだろうと思った。そしてそれは「支配欲が満たされる事」だろうと考えた。自分の行動と他人の行動の違いは,それをコントロールできるかできないかだと思ったからだ。

つまり自分の行動に興味を持ち疑問を解決できたとしても,自分は既にコントロールできているので支配欲は満たされない。支配欲が満たされないので嬉しいという気持ちも起こらない。嬉しいという気持ちが起こらないので何も印象に残らず,結果的に他人の行動に興味が向くのだろう,と思ったのだ。

そしてその事に対し,次の意見を頂いた。『他人の行動により興味があるのは「支配欲が満たされるから」ではなく,「満足感が得られるから」ではないか』というものだ。『自分の事はわかっているけど,人のことはわからない。だから知りたいし,「どうしてだろう」と考えることはパズルを解くみたいに面白くて「わかった」と思ったとき満足するんじゃあないか』そう言われて,全くその通りだと思った。他人の行動について考えた時にだけ得られるものは,「格段に大きな満足感」だったのだ。謎が複雑であればある程解きがいがあり,満足感も大きくなるので,自分の行動よりもはるかに分からない他人の行動について考えるようになるのだ。

また,『心理的に人を支配するのは良くないのでは』との意見も頂いたが,相手を支配するのではなく自分が謎を解く事自体が目的だったので,これも前の意見で説明がついた。

そしてもう1つ,これらの意見に対する答えとして決定的なものとなり得る出来事に気が付いた。それは私が小学生の頃,仲の良かった友達に嫌われたという事だ。その事がきっかけで,私は人から嫌われる事が異常に怖くなった。

そして嫌われない様に振舞う為に,他人の顔色をうかがって,自分の事をどう思っているかを推測する必要があったのだ。

つまり元々,自分の行動に興味を持つ必要が無かったのだ。また相手を支配する事ではなく,自分の心を相手の心に近づける事が目的だったのだ。なので他人の行動に疑問を持ち始めた当初は,その疑問が解決できた時に「満足感」の他に「安心感」のような気持ちも感じていたのだと思う。だんだんと時が経ち友人関係のトラブルは無くなったが,他人の行動を観察してその人が考えている事を想像する癖は残ったのだと思う。また記憶が薄れていくと同時に観察する目的も変わっていき,ただ単に分からない謎を解き明かす事が目的になっていったのだろう。

これらのやりとりを通して気付いたのは,自分はただ漠然と心理学に興味があると思っていた事に,もっと深い理由があったという事だ。自分にとって興味のある事は,その事に興味のある理由など無いと思っていた。だがこうして他人の視点を通す事で,今まで自分では気付かなかった「興味のある理由」について考え,自分なりの答えを見付ける事ができた。

結局きっかけは,小学生の時に友達に嫌われた事から,他人の行動を観察してその心理を推し量り,安心感を得ようとした事であった。それがだんだんと他人の行動に見られる謎を解き,満足感を得たいと思う様に変わっていったのだった。

また同じグループの方から「何であの人はこんなことをするんだろう?て考えるのは,自分と違う人の考えを知りたい・そして理解したいという気持ちの表れだと思います。」とのコメントを頂き,自分でも上に「自分の心を相手の心に近づける事が目的」と書いたように,自分の中に「他人を理解したいと思っている自分」がいる事にも気付けた。他人をもっと理解できるようになる事も心理学に興味がある理由なのだろう。

このような理由に気付けて,心理学が一層好きになった。

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伊藤2 「演劇」

演劇。それは常に私の周囲にあったものだ。

私は幼稚園からずっと女優になりたいと思っていた。もちろん,その頃は所詮子供の夢である。なにかの劇団に入っていたわけでもなんでもなかったが,何故か演劇に何かしらの魅力を感じていたのだ。よく母が見ていたドラマのワンシーンを,鏡の前で再現していたのを覚えている。

表現力が豊かだと言われてきた私は,人前に出ることも大好きだった。声を出すことも大好きだった。

九歳の私は,四歳から住んでいたアメリカから帰ってきてインターナショナルスクールに入学した。そこで演劇の授業を選択した。そのクラスでは舞台メイクをかなり本格的にやった。あざや切り傷,目を腫らしたり,そして時には鼻の高さを変えたり,目の大きさを変えたり。しかし,私が興味のあった,肝心の演技や発声の練習などはあまりしなかった。

唯一そのクラスでやった舞台は「星の王子様」だった。そしてその舞台で私は「王子様役」を頂くことができた。

しかし,私はそのせっかくの機会をきちんと活かせなかった。いくら演劇に興味があったからといって,私はド素人。凄い量の台詞を,全て英語で。頭はパンク寸前だった。

舞台本番,私は最後の最後で台詞をすっかり忘れてしまった。真っ白の頭で必死に考え付いたことは,小道具のノートの裏に舞台袖から取ってきた台本を隠して読むこと。無事に舞台は終わったものの,私は大恥をかいた。公演後の控え室でメイクを落としている私の耳に飛び込んできた,陰口。ショックだった。大泣きした。でも,私は「次こそ頑張ろう」と思えた。幼いながらに私は何故か,舞台が成功した時には,「達成感」というものがあるはずだと分かっていたからだ。しかし,結局その学校で「次」が来る前に,私は日本の中学校に転校することになってしまった。

中学校の演劇部は全く盛んでなく,入部はしなかった。が,合唱の時の声の大きさのせいか,よく演劇部から「手伝って」と頼まれた。私たちは短い劇を放送を通してやった。ここでも,本格的な発声はあまりしなかったが,演劇に触れ続けることは出来た。

しかし,これで満足は行かなかった。

私が高校を選んだ理由に,「演劇部が盛んである」というのがあったことは事実だ。

県大会に出場した経験がある高校に,私は最終的に入学を決めた。

新入生歓迎会の演劇部の公演を観て,私は感激して泣いてしまった。なんだか悔しかった。この人たちは,人を泣かすことが出来る演技をしてる。私は一体何なんだろう。

私も,絶対にやってやる。

入部した私は,そのトレーニングのハードさ,そして本格的さにびっくりした。腿上げ5分,背筋,腹筋1000回,ダンス,ストレッチ1時間半,発声,そしてストップ,エチュード,ワルツ,砂時計,フリーズなどの,本格演技トレーニング。毎日のタフスケジュールに筋肉痛は全く治らなかった。でも,演劇部のメンバーの中で誰一人,文句を言う人はいなかった。皆演劇に触れたくて仕方ない人だらけで,このつらさでさえも楽しく思える人々だったのだ。

文化祭,新人公演,新入生歓迎会,姉妹校での文化発表会,地区の春季大会,秋季大会,。一年間で計6舞台やった。私はその全てに役者として出演することが出来た。その中でも最も印象深いのは,文化祭,文化発表会,秋季大会の三舞台で公演した「夏休み」という創作劇だ。私はメインの男役を頂いた。時にはスランプに陥って,全く演技が出来ない時もあった。夏に行った合宿では,自分のことを「俺」としか言えなくなったときもあった。日常生活がまともにできないくらい,役の性格が自分の本来の性格を上回ってしまったこともあった。

もう嫌。

そう思いながら立った三つ目の舞台。なにも考えなくても出てくる台詞,演技。台詞も読みとれないくらいに書き込んだ,ボロボロの台本。見慣れた,いつものメンバー。

安心しながら自分の演技が出来た。舞台が終わって,本当に嬉しくって,ようやく開放された,そう思った。

そして貰った賞は優秀賞。二位だった。生まれて初めて悔し涙を流した。

あんなに嫌になった役が,またやりたいと思った。なんでもっと頑張らなかったんだろう,なんで嫌だなんて思ったんだろう。悔しさがこみ上げるにつれて,次こそは。そう思えた。

その後にやった舞台でも,毎回そう思った。満足できた舞台は一回もなかった。でも,それが良かったのかもしれない。だからこそ,進み続けることが出来るのだから。

高2の時,私は交換留学生として,一年間オーストラリアに行った。留学先の学校で,私は演劇の授業を選択した。高校で鍛えた演劇の知識が使えるのではないかと思ったからだ。

確かに,言語の壁にぶち当たったこともあった。それは英語が使える,使えないという問題ではない。国にはそれぞれのカルチャーがある。そして,そのカルチャーは言語に影響を及ぼす。自分が今まで生活してきた日本での「朝」を想像しながら,生活したことがない,異国の「morning」という台詞を言っても,その台本に込められた「morning」は全く活かされてこない。そういった,「カルチャーショック」を私は沢山感じたということなのだ。そして,それは台本を書くときにも影響した。テーマを自分で提起しても,向こうの生徒達に理解してもらえないこともあった。また,台本を読んだ時に感じ取るものも,全く違った。

しかし,考えが一致しなくても,それは演劇を知っているもの同士の会話だった。

あぁ,こういう演技の仕方もあるんだ,と互いに理解しあえた。日本でやってきた演劇は決して無駄にはならなかったのだ。

向こうで習った実存主義時代の演劇。演劇の歴史背景を学んで,特徴を踏まえた三,四分の舞台を製作したり。時には沢山の,シェイクスピアを含めた舞台を鑑賞して。日本では学んだことがなかった,また新たな演劇の一面を知ることが出来た。

「高校の演劇部」という世界だけでなく,異国の地の「高校の演劇」を見ることが出来たのだ。

高3の私は,新入生歓迎会でもう一度役者をやることが出来た。今度は精神科医兼ナレーターの役だった。私の演技に,オーストラリアでの経験が反映されていることは明らかだった。そして,また新たに高校で「talk & listen」という,演技の練習の仕方を学んだ。言葉一つ一つを掘り下げていき,言葉本来の意味に触れて,自分が口から発する台詞一つ一つを責任もって,きちんと意味のあるものにする。簡単そうで,今まで意識したことのなかったものだった。

大学を決めるにあたって,早稲田の演劇のサークルの評判の良さは聞いていた。早稲田に入ろう。入りたい大学は即決まった。

これまでのように,これからも,私は演劇に触れていくことになるだろう。演劇の世界はまだまだ私にとって未知の世界である。しかし,確実に分かったことが一つだけある。それは私が,演劇に対する押さえきれない想いを持っているということだ。そして,この想いは私に確信を持たせてくれる。これからも私にとって演劇は,「常に私の周囲にあるもの」であり続けるだろうということを。

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依田 「クラシック」

動機

『クラシックの魅力って一体なんなの?』『オーケストラのどこが楽しいの?』よく友達に聞かれることだ。クラシックに携わったことのない人には,説明がなければ理解が難しいことである。そこで,この講座を機会に,今までのバイオリン生活十三年で学んだこと,そしてオーケストラに所属していたという実体験に基づいて,『自分』がありのままに感じ取った『クラシック論』を書いて見ようと思った。この文章で,一人でも多くの人にクラシックの良さが伝わればいいなという期待もこめながら書いていこうと思う。

議論・展開

クラシックには,大きく分けて二つの観点からの魅力がある。その第一は,『聞き手側』からの魅力。大抵の人がクラシックに興味を持つきっかけはまずこれだろう。ここではその中の二つを取り上げることとする。まず一つ目は,クラシックは指揮者によって,まったく違う表情の曲になるということだ。これはなかなかJポップの曲にはないことだ。若手・ベテランにそれぞれの味がある。

いわば『味噌』のようなものだろうか。出来立てでももちろん美味だが,成熟し年月が経つにつれて,コクと深みが出てくる。そんな一面がクラシック音楽にはある。

そして二つ目は,特にクラシックは,演奏するホールにより聞こえ方が違うことだ。東京芸術劇場とサントリーホールでは微妙に響きが異なる。形状により,反響などが違ってくるからだ。クラシックが音楽の話から,建築様式にまで話が及ぶように,話が多方面に派生することを,私は『心の総合芸術』と呼ぶ。

楽譜上だけでない音楽に心惹かれた。

第二に,『演奏者側』からの魅力について。これは,実際にクラシックを演奏した者にしかわからない,いわば特権的なことだと私はいつも考えている。これについても二つの話題を取り上げる。まず一つ目は,実際に演奏すると,見えなかった音符が見えてくるということだ。私は伴奏パートで演奏していた関係で,主旋の引き立て方というものがとてもよくわかった。伴奏ができることで,パート別の絡みがよくわかり,曲全体のイメージがつかめるのだ。特に,ベートーベンの『第九』でそれを実感した。

二つ目は,オーケストラは皆で曲を作り上げるということだ。僕の部活では,『管と弦一体の音楽作り』を第一目標としてやってきた。曲を咀嚼すると,作曲家の個性や,成立の歴史背景などが分かってくる。しかし,そこから感じ取る『個人』のイメージというものは十人十色だ。そこを,一つにまとめて,みんなでおなじ目標に向かって練習を進めていくのがオーケストラというものだ。

そこでウィーン交響楽団にもN響にもできない,自分たちだけの演奏が出来上がるのだ。みんなの心が一つになって初めて,その曲の言いたいことが表れてくる。演奏する側が一つになれば,それが観客にも伝わる。会場が一体になって初めて,その曲は完成し,命が吹き込まれたと言えると私は思う。なかなか,すべてが一体になるのは非常に難しい。BBSの中でも『自分たちの頑張りを見せるだけの自己満足な演奏』になってしまったという意見があった。難曲になればなるほどこの傾向が出てくるのは,痛いほど良くわかる。『観客を置いてけぼりにしない』という言葉が非常に心に残った。

これらについて,アシスタントの方がこういっていた。『まさに人生の寓話のようだ』と。クラシックは人生の縮図でもあるのだなぁとしみじみ感じた。

議論・結論

BBSで議論を重ねてわかったことは,音楽知識を兼ね備え,クラシックを深く掘り下げて聞いている人は,まだまだ少ないということだ。だから今回は,他の人の意見を聞いて自分の考えが変わるということはなかった。しかし,最もうれしかったことは,みんな僕の意見に共感してくれ,お互いに音楽の表現の難しさを語り合えたことだ。特に『音楽の情景を言葉で表せない・楽器をやっていて無性にやめたくなったことがあった』という意見については,考えを共有できる人がいて本当によかった。僕のグループの人は,偶然にも過去に楽器・音楽に携わっていた人が多かった。だからこそ,議論がここまで盛り上がったのかなと思った。

『少なからず,音楽・楽器に携わっていた人は,自分なりの芸術論を持っている』ということも発見できた。『自分の芸術センスはマイナスだ』と語った人がいた。僕はこれは,相対的に見てみなければわからないことであり,このことが発見できるだけ,この人は芸術に対する感性があるんだなぁとしみじみ思った。

また,『継続することの重要性』も実感した。僕は,続けてきて気づいたら十三年になったが,他の人は『やってはいたけれど,諸事情で休止』というケースが多かった。ここに自分なりのクラシック論を書けるのも『細く長く』ではあるがバイオリンを続けてきたおかげだと思った。つらかった時期も幾度となくあったが,今日に至るまでになったのは,ある意味『奇跡』に近いものがある。まさに『継続は力なり』とはこのことであると悟った。

僕にとってクラシックとは,『時間的であり空間的な広さを兼ね揃えた総合芸術である。』

終わりに

この講座では,入試の際の一人の先生との論文添削指導とは異なり,様々な人からの多方面からの意見をいただきながら,論文をレベルアップしていくという新しい文章の作り方を会得できた。この講座を企画してくださった方々,そして一緒に議論をしてくれた仲間たちにお礼を言って,この文章を閉じようと思う。

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磯部 「建築」

私は建築やインテリアに興味があります。小さいころから家を見て回ったり部屋をアレンジするのが大好きでした。しかしそのころは,なぜ私は建築に魅かれているのかと考えたり,もっと詳しく調べたりはしていませんでした。

しかし今少し時間的余裕が出来,今までより視野を広げて,本で外国の建築について読んだり見たりするうちに,建築のことをただ見るだけでなく,いろいろな角度からしらべていきたいと思うようになりました。ですから私はまず一番興味のある国,イタリアから初めて,西洋の建築を調べてみることにしました。どうしてイタリアに興味があるのかということを付け加えておくと,イタリアは今日の日本とは違い,とてもゆったりとした時間の中で暮らしている人が多いということや,芸術大国だけあって,いたるところに歴史的価値の高いすばらしい建物がところ狭しと立ち並んでいるということにあります。

BBSでいろいろな意見をもらいましたがそのなかに,「どうして国によって建築の方法が違うのか」や,「どういう風に歴史などが建築を変えていったのか」という質問を受けました。そのことを受けて調べていくうちに,まず初めに感じたことは,日本が「木」の文化であるのに対して西洋の国々のほとんどが「石造り」の文化であるということでした。日本は元来,住居も城も寺もすべてが「木」で出来ていました。それに対して西洋は,一部の地域を除きほとんどが「石造り」です。たとえばイタリアのフィレツェの町並みも,ナポリの白い家々も・・・。どうして国によってそのような違いがあるのでしょうか?それはやはりその土地の風土に関係があると思いました。日本は国土の約70%が森林という,木に恵まれた国です。そのため必然的に昔からその木材を利用して生活を営んできました。同様に世界中の国々は様々な気候条件において,その土地ならではの知恵と特産品を利用して家造りをしてきたのです。

またそのことの裏づけとして,世界遺産が挙げられます。イタリアはユネスコ世界遺産の登録件数が39件と世界最多を保有する国ですが,そのうち38件が文化遺産であり,自然遺産は1件だけだそうです。これに対し日本は,屋久島や白神山地を始め,白川郷や法隆寺,東大寺など,やはり「木」に基づく遺産が多いように感じられます。これも,その国その国の風土を生かして人々が築き上げてきた,歴史,文化の賜物だと思いました。

また,私は「西洋はキリスト教なしでは語れない」ということも強く感じました。このことに対して「具体的に,宗教が建築にどのような影響をもたらしたのか」という質問も受けました。代表例として,私たち日本人でも目にする可能性の高い,世界遺産に指定された西洋の建造物を見てください。西洋の芸術的価値のある建物にはもちろん,いたるところにキリスト教に関する建物,そして絵や装飾がなされています。これは現代の日本における仏教よりも色濃く西洋の人々に根づいているように思われます。それだけ西洋の人にとってキリスト教は,どの時代でも大きな意味を持っていたのではないでしょうか。教会側も17世紀の宗教改革で危機感をつのらせ,民衆の心を引き付けるために視覚的効果の高い豊かな装飾,彫刻を用いた建築様式を確立させた,という努力もしたようですが・・・。

信じている宗教に関係させて建物を考え,その土地の材料を使い,時代の流れを取り入れて,その民族の古くから伝わる知恵を生かし,1つの建物を作り上げる。そうしてできた建物には,このようにいろいろな意味が含まれているのだと思いました。

このように調べていくことで,今まで単に建造物を見るだけでは分からなかった,面白く,深みのある建築に私はさらに魅かれていきました。建造物にはその時代の歴史,文化,宗教,風土,人種的,民族的背景など,実に様々な要因が多いに反映されており,それらの絶妙な組み合わせが私をこんなにも魅了するのだと思いました。しかし,それらの様々な背景が反映されているのは,なにも建造物だけではありません。例えば服装や食文化,文学などです。その中でも私が建築に魅かれるのは,古くからその土地に形あるものとして残り,壮大で迫力あるものだからだと思います。外国,特に西洋の国々に行きたいとずっと思ってきましたが,実際に行ってみなくてもこうやって調べることでその国のことを,いろいろな側面から知ることができました。私にとって建築とは,歴史を辿る旅の手段なのです。

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浦嶋 「携帯電話」

1. 「携帯電話」は本当に悪か?

携帯電話が普及し,我々人間の生活は一変した。近年では携帯電話が個人を中傷したり,犯罪を助長する道具になる傾向があるため,その便利さが危惧されている。しかし私は使い方さえ誤ることがなければ,携帯電話ほど便利なものはないと思う。

私は高校時代,応援団人文字装飾係に所属し携帯電話から多くの恩恵を受けた。私の学校に部活動としての応援団はなく,体育大会前になると部活と掛け持ちした人が応援団員として全校生徒を指揮する。急ごしらえにもかかわらず各団約35名の大所帯である。しかも人文字の練習時間は大変少ない。そのため応援団員は綿密な練習計画を立て,1人1人が同じ方向に向かって積極的に行動することが必要だ。しかし急造応援団の中で敏速に意思疎通をはかるには「以心伝心」という言葉に代表される日本的情報伝達法は通用しない。論理的思考に基づくメッセージ(言語コード)を用いた情報伝達法が必要である。だがそれは当時の私にとって容易なことではなく,そのため私は練習後の反省会を切望したが,応援団を優先し部活の練習を休むことは許されていないため,放課後の反省会は断念せざるを得なかった。そこで帰宅後に反省会を行うということになったが,帰宅時間が遅い応援団員の家に電話をかけることはマナーとして避けるべきだった。そんな中,家を通さない携帯電話や時間に制約のないメ-ル機能は本当に重宝した。

2. 議論から分かった「携帯電話」の善と悪

ここで私がどのようにして携帯電話を反省会代わりに使用していたかを以下,記す。

  1. 反省内容を吸い上げるため個人と個人を繋ぐ(議題の提出)
  2. 集まった反省内容をメ-ルにまとめ応援団員に送信(議題の共有)
  3. 応援団員は自分が考えた対策法を団長と人文字責任者にメ-ルで送信(意見の提出)
  4. それをもとに団長と責任者はより良い対策法を考えたり,団員に意見を求める(議題についての議論)
  5. 団長と責任者は対策法や次の日の練習内容を決定する
  6. 決定事項をメ-ルで送信(情報の共有)

私ははじめ,携帯電話を重宝した理由を,携帯電話が個人と個人を繋いる画期的な通信手段だからだと考えていたが,アドバイスをもらううちに,それだけではないことに気づかされた。

まず携帯電話が個人と個人を繋いでいるという点だが,携帯電話は一対一だけではなく,一対多も繋ぐことができることに気づかされた。携帯電話にはメール転送機能や複数に同時送信する機能が備わっている。そのためわずかではあるが個人の主観が混じってしまう固定電話や携帯電話の電話機能より,より正確な情報を反省会に参加できない人にも伝達することができた。

また私は,携帯電話を通信手段としてだけではなく情報ツールとしても用いていたことにも気づかされた。上記のように私は毎晩,応援団員に決定事項(反省内容とその対策法,明日の練習内容)を送信していた。みんなが集まって口頭で反省会を開く場合,その流れの中で全ての内容を頭の中に入れるのは難しい。しかし応援団員一人一人の手元に正確で,且つ全員に共有された情報が記された議事録が残る携帯電話を使用した反省会の場合は,内容確認が容易であった。練習のはじめに反省内容を確認し仲間の手を煩わせることもなく,スム-ズに練習に入ることができたのであった。

しかし携帯電話がもとらした負の部分も記しておきたい。携帯電話のメ-ルアドレスは簡単に変更できるようになっている。これは迷惑メ-ルの防止のためだが,その一方で私たちは,何かトラブルになったときにアドレスを変えてもらえばいいと思って,本人の承諾もなく簡単にメ-ルアドレスを他人に教えてしまうようになった。私たちは携帯電話を持つことによって,他人の個人情報も常に携帯しているということを認識しておかなければならない。

3. 「携帯電話」の恩恵と所有することの責任

多くのコメントをもらった今,私は,携帯電話は個人と個人,個人と複数を繋ぐことができ,また通信手段と同時に情報ツ-ルとしても使うことができる画時代的なものだと思う。ただ私たちは他人の個人情報に対する責任を身につけた上で,携帯電話を使用していかなければならない。携帯電話から自立した上での所有・使用が我々人間に多大な恩恵をもたらすのである。

終わりに・・・

『あなたの言いたいことが伝わらない』そう言われ続け,評価が低かった高校時代の小論文添削・・・「自分の思っていることを他者に伝えることができないもどかしさを克服したい。」それが,私がこの活動に参加した理由でした。

怠け者の私は受講前,この講座を続けられるか不安でしたが,細川先生の毎日のように送ってくるメ-ルや,みんなの具体的なアドバイスのおかげで最後まで根気強く続けることができました。ありがとうございました。

この講座を受講して本当に良かったと思います。なぜそう思うかというと,繰り返し同じテ-マについて考えるうちに,自分を見つめ直せたからです。今まで私は,他の人がどうして私の考えていることが分からないのかが分かりませんでした。でも今は,私が私自身をよく見つめていなかったからだと思います。私が私を分かっていなければ,私がその問題について深く考えていなければ,他の人が私の考えを理解することができるはずがなかったのです。みんなが繰り返しアドバイスをしてくれるうちに,それがわかりました。

自分の考えとはここまで考えて,はじめて自分の考えといえるのだと気づきました。

まだまだ未熟者ですが,大学に入ってからも深く考えていきたいです。

ありがとうございました。

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奥村 「テニス」

1. テーマ・動機

習い事が続かない私が唯一続いたもの。それがテニスだった。人付き合いも同じことが言えるが,長いこと付き合っているといいところも悪いところも成功することも失敗することもあるものだ。テニスと言う存在がそんなものだった。そのテニスを通じて学んだことはいろいろあるののだが,改めて文章化し,テニスが私に与えてくれたものとは何であるのか考えてみようと思った。

一番にぱっと浮かんだのが,努力する快感を得られたことだった。練習を一生懸命やれば,いい試合ができたし,勝って上にあがるというのは,何だか一つ有名になったような,何ともいえない達成感が胸にこみ上げる。また,努力する快感は,勉強や,その他の私生活においても作用してくれたし,私にとって,いい方向にばかり働いてくれた。しかし,そううまくは続かなかった。高校に進学し,勝たなければいけないと言うプレッシャーを体験した私は,試合はもちろん,日々の練習においても,不必要な重荷を負ってしまった。思い出せば,高校時代の私のテニス模様は苦しいことが多かったが,そんなときでも,決して努力することを忘れない大切さを学んだ三年間だったように思う。そんなことも踏まえながら,私とテニスを考えてみたい。

2. 議論の内容

確かにテニスに対して努力をしてきたのは私自身で,辛いことも苦しいことも,私自身が乗り越えた。だからその分私が成長できているのだと断言できる。数名の方から意見をもらったが,テニスなどのスポーツでなくても,みんな様々な場面において,努力の大切さを実感している体験があった。そんな中一つ考えさせられるアドバイスをいただいた。間渕さんの苦しい時どうやってそれらを乗り越えたかということだ。その問いの私ははっとした。

辛いことや,苦しいことを乗り越えるとき必ず,回りの空気のような存在である人たちに支えられていたという事実だ。

私がテニス部の主将をまかされて間もないころ,突然10年以上いた顧問の監督が移動になった。そのできごとを引きずっていたせいだろうか,私は県の上位者であるにもかかわらず,何と南部予選3回戦で敗退してしまったことがあった。私はあるはずのない事態に困惑し,コートのベンチにうずくまり,動くことができなかった。泣いても泣いても泣ききれなかった。そんな私に,新監督は無理やり練習コートで練習をさせた。泣きじゃくる私に黙って相手をする監督から,始めは腹が立って仕方のない私もだんだんと監督の意図を読み取ることができた。”しっかりしろ。お前が勝たなきゃどうするんだ”と。その次の日,ショックの残る私は放心状態だった。そんな私を見かねた担任の先生は,私に激しく叱咤した後,私を抱きしめわんわん泣いた。私も涙があふれてきた。卒業式で先生からもらった手紙に,あの時先生は顧問の移動以来,私の肩で呼吸している姿が耐えられなかったとつづってあった。自分がどんなに支えられ生きているかを知り,身体が熱くなった。

桑島さんは放送部の全国大会に出場したとき,仲間の支えがあったそうだ。私も仲間には何度も助けられた。高校2年のインターハイ団体出場をかけた県の決勝。全てがぎりぎりの試合を展開する中,声がかれるまで応援してくれた。「大丈夫だよ,強気強気!」後ろから聞こえる声が武器に変わり,私達はインターハイを手にした。その瞬間,みんなはコートに飛び出し,感動の渦にいるた。みんなうれし涙をうかべていた・・・一緒に笑い,一緒に泣き,一緒に苦しんでくれる仲間がこれ以上にいただろうか。この支えがあったからこそ,私は頑張ることができたのだ。

3. 結論

テニスが私にとってベストなスポーツだったとはいえないかもしれない。もしかしたら,マラソンをやっていたらとんでもない才能が開花したかもしれないし,絵のセンスが飛びぬけていいセンスの持ち主だったかもしれない。そしたら,なんの苦労もなく人生やっていたかもしれない。実際何でも,同じだけ努力しても,同じだけうまくなるとはかぎらないのだから。どうして私がその中でテニスだったのか。テニスは好き以外に何かあるのか。いや,そうではない。実はたまたまテニスだったのだ。でもきっと”テニス”でなければならなかったように思う。偶然は必然なんていうかっこいい言葉を使うつもりはないが,私にとってテニスとの出会いはそんなもののように感じる。そして,そんなテニスから,努力の大切さや,心の支えになってくれる大切な人との出会いを与えられた。これからもテニスを続ける限り,私の人生において大切なものをおしえてくれるだろう。テニスは私にとって,自分の世界を広げてくれる成長の源なのだ。

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加賀美 「自分らしさ」

1. 興味・関心のあるテーマ:「自分らしさ」

今,関心のあることは「自分らしさ」ということ。

立ち止まってゆっくり自分を見つめなおす機会が少ない日常生活を送っていたせいもあり,これまで「自分らしさ」ということにあまり深く考えたことがなかった。

人それぞれ違うのだろうけど,この言葉を聞き,あらためて「自分らしさ」ということを考えてみる。一体なんであろう?去年,あるきっかけで自分を見つめ直す機会があった。

将来のこと,仕事のこと,健康,そして生き方などについて真剣に考えた。

これを機に「自分らしさ」とはいったい何かを考えることが多くなる。

今まで私は「自分らしく」生きているのだろうか?好奇心から何か始めようと思い始める事が多いのだけれど,いざ決断する際,いつも自分の頭の中だけのせまい枠でダメだとあきらめてしまうことにもやもやした感じと少なからず限界を感じていた。

この度,現状の問題解決,自分の今後を考え,働きながら学ぶことを決めた。

今までに頭の中に無かった選択肢で,自分の枠を超えた感触があった。

そして,これを機に,自分がどこまでできるのかを知りたいと思うようになった。

枠にとらわれず,挑戦や限界すること。それが「自分らしさ」ではないか。

私にとって,「自分らしさ」は挑戦し続けること。

2. コメントのやりとりから

「どんな経験からそう思ったのかを聞きたいです。」(大久保さん)「どういう経緯で自分らしさを探しあてたか,もう少し詳しく聞かせて頂けますか。」(日下さん)という質問をいただき,改めてじっくりと考えてみると,様々な経緯があった中,いちばんのキッカケになるのは,昨年病気をしたことだと感じている。

そのとき,健康であることに感謝するとともに,何でも後回しにせず,今できることを精一杯やろうと考えるようになった。

今までは,行動を起こす前に頭の中で「これはダメだ」とか「後でやろう」とか決めてしまっていたことが多かったのだが,とにかくまず,やってみるという考え方に変わった。

それは,健康状態が永遠に続くものではないし,後回しにするほど人生は長くないと考えるようになったからだと思う。

日々の暮らしの中で普通の人が思い悩むのと同じように,病気になる前から,将来や仕事のことについては,日々どうするか悩んでいた。

去年,新しく事務所を借りて起業したまではよかったのだけれど,うまく軌道に乗らず,今後の展開をどうしようか自分のやりたいことだし,このまま続けようか,新しい手を何か打つべきか。

そんな中,病気になった。

毎日悩んでいたときの出来事であった。

そして,考え方が変わった。

確かに,将来の事を考えることはもちろん大切。

だが,大きな将来のことを憂いすぎて今すべき小さい大切なことを見失っていたのではないか。

今何をしたいのか。

純粋に思いつくことのなかで一番やりたいものを追求してみよう。

面白そうなことはなんだろう。

という作業をしてみた。

そして,現在興味のあること,さらに将来的にも発展性のあることをとことん追及してみた。

結果,専門的に勉強しようというように考えに至り,一つの結論として大学で勉強するという決断をした。

『病気という一見つらい経験が,後の自分を豊かにしてくれた。

「人生最大のピンチは最高の幸せに変わる」』このような素晴らしいコメント(大久保さん)をいただきましたが,本当にそうだと感じます。

失ってはじめて気づくことがあるように,病気になり健康に感謝することは毎回思う。

今回,きっかけになったのは病気という負の経験であり,それが,その後自分の枠を超える考えができるようになったことでもある。

年齢を重ねるとともにどこか保守的な考えが決断時に優先しはじめるようになっていたこと。

それが,大切な「勇気」みたいなものも一緒に失ってしまっていた感じを払拭してくれたように思う。

さらに,『一番身近な自分という者の顔を,鏡でしかみることが出来ない。

人間って結構多面的というか,色々な面を持ち合わせているのではないか』このようなコメント(日下さん)を頂きました。

「多面的」なるほど思いました。

私もその時々の状況によって自分というものが変化しているのだが,周りの状況に惑わされそうになっても,軸を一本決めておくことが大切だと考えている。

最終的に決断するのは自分ですが,そこにいたるまでの過程において人生の岐路に立ち,周りの人に相談し,貴重な意見をいただいた事。

自分では気づかなかった自分。自分を客観視することの大切さも感じた。

3. 結論

今までは,少しでも遠回りしたり,効率が悪かったりすることは避けて,目的に向かってまっしぐらに進んでいくことばかり考えていた。

安全や最善であることが大切だが,今は,決してそればかりではないような気がする。

そのように道を選択する際に幅が広がるようになったこと,それが,自分に対して,納得がいくようになった。

そうしている自分が自然体でいられる。

それは,誰も踏み入れたことのない未開地に進んでいく。挑戦すること。

「挑戦しつづけることが,自分らしさ」それに必要な「勇気」を失わず。

現段階での具体的に挑戦していることは目の前にある大学と仕事の両立であると思います。

まずは,これを成し遂げることによりさらに前に進んでいきたいと考えています。

未開地を抜け,その先に広がるすばらしい世界があると信じて上を目指していくこと。

決して一人よがりにならず,他の人と協力,切磋琢磨しながら。

それが私自身が「自分らしく」生きていくことだと思います。

「終わりに」初の試みでしたが,もっと他の方々ともコメントのやりとりをもっとしたかったです。

他の人のコメントを考えているうちに,次の週になりBBSが新しくなってしまうことに戸惑い,変化に対応できずにあまり発言できなかったことが残念でしたが,最終評価で,三代さんに「全体的に抽象的で,具体性がもっとあったほうがいいというふうにも考えられなくもないですが,こういうテーマはある程度抽象的に書きたい気分も分かるなと思います。」とコメントいただきました。

確かに書いていて抽象的である部分が多いと感じてはいたのですが。

やりとりの回数を重ねていくことにより,客観的な視点からの意見で潜在意識の中にある自分では気づいていない具体的な動機などに気づいていけるんでしょうか。

そうすると具体的になり,オリジナルな文章になっていくですかね。

このオンデマンド授業楽しかったです。

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嘉部 「一人旅」

普段生活している中で,さまざまな悩み事や不安を抱えることはないだろうか。あるいは,物事が自分の思うように上手くいかなかったりして,苛立ったり,ストレスを抱えることはないだろうか。そのような時,私はよく「どこか遠い所へ行きたい。」という思いに駆られることがよくある。そして,その願いを簡易的に実現する方法として,私はよく自転車による一人旅をすることがある。

一人旅では,自転車で行くことが可能な範囲にある一度行ってみたい,自分の目で見てみたいと思った場所や街へと,ひたすらペダルをこぐ。私自身は埼玉県に住んでいて,今まで県内にあるいろいろな街へと行ったことがある。具体的に言えば,小江戸の雰囲気を残したお店の並ぶ川越市,廃れているがどことなく下町の良い雰囲気を醸し出す熊谷市,人形で有名な岩槻市,近未来的な建物が多く並ぶさいたま市など,今まで様々な場所へと行った。そして,たどり着いた場所や街がどんな所か,何があるのか,などを自分のペースで自由気ままに散策する。

なぜこのような旅をするのか。それは,一時的に日常を離れて,何事にも気を使う必要のない自由気ままに過ごすことのできる空間と時間を得られるからである。「ただひたすらペダルをこぐだけでよい,ペダルをこいで風になればよい。そうすれば,自分の知らない,未知の町へとたどり着くことができる。」,そのような思いに夢中になり,今まで抱えていた不安や悩みを忘れることができ,さらに気持ちをスッキリさせることができる。これではただの現実逃避かもしれない。しかし,不安やストレスで憂鬱になった気持ちのままでは今抱えている問題を解決するどころか,より悪い方向へといってしまうだけであると考える。ただ悩んでいるよりも,いったん手を引いて気持ちを落ち着かせ,気分転換することができれば,その後に解決の糸口を見つけることができるのではないか。そのための方法のひとつとして私は自転車による一人旅をする。

また,歩きや電車,自動車などではなく,自転車を使用するのにも理由がある。自転車は歩きよりも単位時間当たりの行動範囲が広く,電車のように交通費がかからず,時間の制約も受けない。また,自動車のように運転免許が不要で,もっとも身近にある乗り物だからだ。つまり,他の乗り物よりも自由度が高く,旅を束縛する要素が少ないのである。

しかし,お互いの文章の意見交換の際に以下のようなコメントをいただいた。「自転車とバイクの違いをどう思いますか。バイクは自動車よりも免許が取りやすく,機動性という面においては自転車より勝っていると思います。バイクにはない自転車の魅力ってありますか?」コメントにあるように,バイクや他に自動車,電車などの乗り物は自転車よりもはるかに利便性がよく,機動性も高い。普通の人は「遠い場所へ行くために自転車をこぐのは無駄な徒労に過ぎない。」と考えるだろう。確かにその通りかもしれない。しかし,それ故に自転車は他の乗り物とは違い,自分の足の力が直接動力源となるので,目的地に達したときの達成感が大きいのだ。

私の場合,悩みや不安を抱えている時には,「自分には今対面している問題を解決することのできる能力や才能がないのではないか,自分はただのダメ人間に他ならないのではないか。」と自暴自棄になってしまうことが多い。でも,「そんな自分でも,がんばって努力してペダルを漕げば,こんなに遠い所へいくことができる。このようにして一生懸命に取り組めば目の前に立ちはだかる問題も解決できるかもしれない。」と自分の力を試すことにより,自分を前向きな気持ちにさせてくれる。それが他の乗り物にはない,自転車の一番の魅力であると私は考えている。また日頃運動しない私にとって,自転車をこぐことは適度な運動にもなり,心とともに体も健全なものにしてくれる。

だからといって,旅をするなら自転車の方が良いというわけではない。他の乗り物にもそれぞれの大きな魅力がある。むしろ一人旅をするのであれば何であっても,どこであっても構わないと思う。旅の目的は人によって異なるので,それに応じたものを選択すればよい。少なくとも私にとっての旅は,前にも述べたように,心に何かが溜まっているときに,それを取り除くための一つの手段ではないかと考えている。いわば,旅によって日常の空間とは違った,自分の知らない遠い場所で心と体ともに気分転換することができるのだ。自分の力だけではどうしようもないような,何か大きな問題を抱えてしまった時は,悩み続けずに一旦手を引いて,気分転換をする方法のひとつとして一人旅をしてみてはどうだろうか。

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間渕 「21世紀の和柄ブーム」

動機

私が和柄の小物にはまったのは,中学二年生の時,修学旅行に京都へ行ったときの事だった。立ち寄った土産物屋で出会った,桜の花びらをあしらった湯のみやちりめんで作られた財布。その模様の一つ一つをよく見てみると,四季折々の花や,風,水の流れが表現されていた。小さな中に自然を織り込んだ,日本の伝統の模様。私は和柄に強くひきつけられた。以前から小物集めが趣味だった私は,和柄の小物を集めるようになった。

去年,若者を中心に和柄ブームが到来した。街を行く人の中にも,和柄の小物を身につける人が多く見られ,今まで一部の店にしか見られなかった和柄商品が多くの店で売られるようになった。私はそのブームに喜び,ここぞとばかりにグッズを集めるようになった。それは私だけでなく,多くの友人が何らかの形で和柄に興味を示していた。

そして,ふと,「私はどうして和柄がブームになったのだろう?」と疑問を感じる様になった。

他の人からのアドバイスまず,どうして私が和柄にはまったのか,ということから考えたいと思う。

鮮やかな色使い,繊細な模様,私が和柄の特徴であるそれらを好きなのは間違いない。

しかし,私が和柄に執着するのは,もっと内面的な理由があるからだと思う。

桑島さんに,「外国の小物はどう思う?」と聞かれてから,私は「和」と「洋」の柄の違いについて考えてみた。たぶん,日常生活で私たちを取り巻いているのは圧倒的に「西洋的」な柄が多いと思う。どちらかというと,そっちの模様のほうが私たち若者にはなじみがあるのではないだろうか。ドット柄やチェック模様はとてもかわいいと思うし,親しみが持てる。

また,あまりなじみはないけれど,外国を感じさせるカントリー風の小花模様やアジアのエスニック模様なんかもとても綺麗で素敵だと思う。しかし,私は外国風の柄には「憧れ」を抱いているのではないかと思う。遠い,行ったことのない外国に抱く感情。

あまり普段の生活でなじみがないという点では同じだけれど,私が和柄に抱く感情とは違う。

では,わたしは和柄にどんな感情を抱いているのだろうか?植野さんから「和柄をみると,あぁ,自分って日本人だなぁ,と感じる」という意見をいただいた。私もそう思う。行ったことのない日本の農村や里山の風景に懐かしさを感じるのと同じ感情かもしれない。普段の生活で慣れ親しんでいたわけではないのに,なぜか懐かしい気持ち。どうしてそんな気持ちが生まれるのかは分からないけれど。生まれつきなのか,それとも周りの影響なのか。

また,和柄はなにか落ち着く,「和み」の感情を抱かせる模様でもあると思う。昔から日本人は「和」を重んじてきた。それは,他人との協調性を重んじる「和」でもあり,心の安らぎを求める和みの「和」でもあったりした。昔の日本人は自然と触れ合うことで和みを感じていたようだ。庭をつくり,そこから見える自然と季節の移り変わりを喜んでいた。そんな文化の中で生まれたから,和柄にも和みを感じさせるものがあるのかもしれない。あでやかだけど派手過ぎない,そんな模様を作り上げたのだろう。

人の心を和ませると同時に自分が日本人であることを再確認させてくれるもの。だからわたしは,和柄が好きなのだ。

結論最初の疑問,「和柄がブームになったのはなぜだろう?」ということについて考えてみたい。

私は,古くからある模様だけど,自分たちの実生活とはあまり係わり合いがなかったところが,最近の若者を中心にした和柄ブームにつながったのではないかと考える。今まで自分たちの周りであまり見かけなかったけれど,でもよく見たらなかなかかっこいい。そんな理由で人気が出たのではないだろうか?あるいは和柄に,自分たちのルーツである「日本」を求めようとする人が増えたのだろうか。もしそう考える人が多いのならば,素敵なことだと思う。奥村さんから「和柄ブームはいいと思う」という意見をいただいた。私も,和柄ブームは歓迎したい。

終わりにわたしは,和柄に惹かれてから,日本の四季に対する関心が高まった。あの,小さな布に描かれた柄が表そうとした日本の四季の風景。それらは身近なところで見ることができた。自然が失われ,日本の伝統的な風景がぜんぜん見られない東京でも。青い空に舞う桜の花びらや,コンクリートで固められて川で泳ぐ鯉,夕焼けに染められる街路樹の葉・・・。

そんな風景を見ると,時代が移ってもここは日本なんだなと思わされる。

私にとって,和柄は自分の国の自然と文化を見直すきっかけになった。もし,このブームを通して私のほかにも同じようなことを思ってくれる人がいてくれたらいい,そう考える。

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亀山 「スクーバダイビング」

現在私が最も興味を抱いているものは,スクーバダイビングである。スクーバダイビングとは,海中レジャーの一つであり,ボンベ式の水中呼吸器を装着して海中の生物や景観を楽しむものである。私がこのレジャーに関心を持つのは,スクーバダイビングを海と私とを繋ぐ重要な手段と考えているからである。なぜ海と私とを繋がなければならいのかと言えば,それは私が海が大好きだからである。私には数年前まで,海洋生物学者になるという「海の夢」があった。しかし同時に,英語を研究していく「英語の夢」にも憧れがあった。最終的に,私は両立不可能なこの二つの夢から「英語の夢」を選んだ。だが,それは「海の夢」が消えてなくなったことを意味するのではない。海洋生物学者からスクーバダイバーへと形は変わりはしたが,愛する海と生涯付き合っていくという本質は変わらぬまま,今も「海の夢」は私の心の中にある。そして私がこうして二つの夢を持っていられるのは,スクーバダイビングという存在のおかげなのである。

私が初めてスクーバダイビングを体験したのは,高校二年生の夏休みに家族と沖縄旅行をした時だった。最初こそ緊張したが,いざ海中に潜ってみれば,そこには言葉では言い表せないくらいの感動と興奮の世界が広がっていた。目の前に広がるカラフルな熱帯魚やサンゴ礁の世界,水中へと差し込む太陽の光の美しさ,人間である自分が水中で呼吸をして陸上社会とは異なる海中社会を目の当たりにしている事実,そして映画「グランブルー」のモデルとして知られる今は亡きジャック・マイヨール氏がおっしゃるように自分がまわりのブルーに溶けていくような感覚には,ただただ感動するしかなく,この偉大なる海に対し畏敬の念を持つしかなかった。また,二回目のダイビングでは,研究施設の中ではあったが,憧れであった世界最大の魚類ジンベイザメに会うこともできた。その時私は,このレジャーを一生の趣味とするとともに,スクーバダイビングで世界中の海を潜り歩こう,と決心したのである。そして同時に,この決心が,私のこれから進むべき道をよりはっきりと照らし出してくれたのである。

私は子供の頃から海とそこに棲む生物が大好きだった。その契機とも言うべきものが,五歳の時に父といった高知旅行だった。この旅行の目的は,父が敬愛している坂本竜馬の故郷を実際に訪れて,坂本竜馬について色々と学ぶことだった。そして旅行最終日に,坂本竜馬が子供の頃よくそうしていたように,桂浜から海を眺めたのである。東京育ちで,実際に海を見ることがあまりなかった私にとってこれは斬新的な体験だった。海はどこまでも青く,そして広かった。この事から私は海に興味を持ち始め,自ずと将来も海洋生物学者になることを志すようになった。海洋生物学とは,海に棲む生物達の生態や,生物同士の関係を研究していく学問である。私が特に研究の対象にしていきたかったものは,サンゴ礁の海に棲む生物の生態や,外洋に棲む大型のサメやエイの生態であり,またほとんどのことが謎に包まれている暗黒の深海世界の探査にも関心があった。これが,私の「海の夢」だった。

しかし,私は中学高校の過程で海と同じくらいに,英語という言語の存在とそれを用いて国際的な舞台で活躍するということにも魅了された。私が国際的な舞台で活躍したい,と思うようになったのは,中学時代から単純に英語で話すという行為が好きだったからである。英語という言語を用いれば,日本語という言語のみを用いる時よりも,ずっと多くの人とコミュニケーションがとれ,取り入れることのできる意見や考えかたの幅が広がる。

そして英語を話す機会が多くなるのは国際的な仕事に就いた時である,と思ったからである。加えて,私は予備校時代に英語の語源学に出会った。語源学を個人的に学んでいくうちに,一つ一つの英単語にもそれぞれの物語があり,それが英語圏の歴史や文化,宗教にさえも深く関っていることを知り,英語という言語の存在がますます興味深くなり,言語としての英語自体も詳しく研究していきたい,と思うようになった。例えば,英単語のastronomy(天文学)は中世の時代にできたラテン語出身の英単語でaが~に関してという意味で,stroがstar(星)の派生語,nomyが管理という意味で,神が星の動きを管理するという中世の誤った考え(天動説の一部)を元にしてできた学問であることを示している。

私が思うに,英語は多くの側面があるが,そのなかでもわたしは特にコミュニケーションの手段としての英語,また英語圏の歴史や文化,あるいは英語自身の姿を学ぶための手段としての英語に心惹かれているようだ。だから,世界史や宗教学,比較文化など様々な分野の科目を一般教養として習得でき,一年間の留学義務もある早稲田大学国際教養学部は私にとって最適の大学なのである。この二つの異なる英語の側面(最終的には同じ英語という言語ではあるが)を同じ職業に繋げていくのは難しいかもしれないが在学中に具体的な職業を見つけられれば良い,と考えている。これが,私の「英語の夢」である。

「海の夢」にしても「英語の夢」にしても,これらは私にとって生涯をかけるに値するテーマである。だから,両立が無理で,どちらか片方の夢を諦めざるを得ないと悟った時には,本当に悩んだ。確かに,海洋生物学者として国際的に活躍すれば英語も使っていけるが,それはあくまでもコミュニケーションの手段としての英語であり,私が魅力を感じるもう一方の英語の研究に携わることができなくなってしまう。散々悩んだ結果,私は「海の夢」を諦めて,「英語の夢」を国際教養学部で追っていくことにした。

しかし,そこに現れたのがスクーバダイビングであった。私は「海の夢」を諦めて以来,海への繋がりは一切無くなってしまったものだとばかり考えていたが,それは違った。海が好きだという気持ちは決して変わらなかったからである。だから,これからは海洋生物学者としてではなく,スクーバダイバーとして愛する海と付き合っていこう,と考えた。

前述の通り,沖縄での体験ダイビングはその考えをさらに揺るぎないものとした。これからは仕事ではなく,趣味が私と海とを繋いでいくのだ。海が好きだという気持ちは変わらない,ただその付き合いかたが変わっただけである。趣味としてのスクーバダイビングなら,仕事としての「英語の夢」に負担をかけることがないので,二つの夢を両立していくには現状がベストだと,思っている。

故に,私はこのスクーバダイビングというレジャーが大好きであり,これからも大好きであり続けたい,と思う。

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橋本1 「学校」

私は皆さんも必ず過ごし,様々なことを経験してきたであろう学校,特に現在の学校(生活と教育)興味がある。

なぜなら現在,生徒や教師など学校関連の問題が多く発生しており,私自身も色々経験し考えさせられ,将来教職の道を志願しているからである。

上記の問題の中でも特に,いじめ・不登校,そしてそこから起きる未成年による犯罪に関心がある。学力低下の問題も重要だが,詳しいことは議論の内容も含めて後で述べたいと思う。

いじめと不登校はどちらも現在最大の問題で,皆さんも何らかの形で一度は経験し,個人やクラスで考えさせられた事があるはずだ。いじめで不登校になる者や自殺する者は多い。

やがて残虐な犯罪を冒してしまう事もある。

未成年の悲惨な犯罪の背景には他にも根拠があると思う。昔と違い現在の学校では暴力を嫌う。当然といえば当然だがそれにより今の子供達は喧嘩の痛みや命の大切さを知らなさ過ぎている。TVゲームの悪影響もあるだろう。今一度命の大切さを教える必要がある。

ここで上記以外にもさまざまな問題を抱えた生徒たちに対して,教師の役割が非常に重要になってくる。私は教師にとって一番大切な事はどれ程生徒の事を考え情熱を注げるかだと思う。そうすれば必ず生徒も答えてくれるはずだ。

学校といってもさまざまであるが,私は特に中学校に興味がある。それは私自身,中学校生活が最も充実していたし,そこで出会った教師の情熱を深く感じたからである。

私は中学時代,三年間学級委員を務めていた。私のクラスは問題だらけだった。私は立場的に,先生にクラスのことを相談し,また先生からも相談を受けていた。先生と話していく中で,先生がいつも生徒一人ひとりのことや,どうしたらいいクラスになるのかと考えていることがわかった。表面的にも真正面からクラス・個人に本音で語りかけ,自分の思いを伝え,生徒の意見も受け止めていた。最後には見事にすばらしいクラスになった。私はそのような表と裏で見た先生の熱意により,上記のような教師になりたいと思い始めたのだ。もちろん友達や部活など能動的な活動でも充実していたので,そんな素晴らしさも生徒に伝えていきたい。

議論の中で一番話題になったのは,ゆとり教育と学力低下,そして教師というもののあり方についてであった。まず,ゆとり教育と学力低下問題について,両者は切り離せない非常に密接した関係である事を改めて実感した。私が将来教師になった時も冒頭の問題のほかにこの問題は私の前に大きく立ちはだかる壁となるであろう。ではそもそも日本のゆとり教育はなぜ学力低下を引き起こしたのか。『後進国時代の日本には,先進国である欧米の開発した技術を学び,それを効率よく機能させるために研究し,その結果また新しい技術が生まれる「小型化・効率化」を実現できるルートがあり,教育体系はとにかく詰め込み式(暗記中心)で通用していた。しかし,一転して日本は先進国になってしまい,欧米のもつ「自ら生み出す力」が必要であるという事に気づいた。しかし改善しようにも今まで欧米の生み出す力に頼りきり,真似ばかりして詰め込み教育しか受けさせてもらえなかった人間には当然生み出す力もないし,改善の仕方がわからず,以前のようにとりあえず形だけでも「欧米型」を真似て「ゆとり」教育を取り入れたが案の定「詰め込み型」教育から生まれた教師たちには対応しきれず,中途半端になって,単にゆとり科目を増やし,主要科目を減らすという形だけのゆとり教育により,子供たちは学力低下に陥った。』というコメントをもらい,まさにその通りであると思った。日本が真の「自ら生み出す力」を手に入れ,本物のゆとり教育を行えるまでには,まだまだ時間がかかりそうである。また,「ゆとり教育を導入した人々は,本当に現場の子供たちのことを考えていなかった。やはり幼い時にこそ高度なことを学ばせることで視野も広がり,創造力もつく。仮にゆとり教育が再び導入される時がきても,教師が生徒に方向づけをしてやった上で生徒に自らの力で進ませてやるべき」という意見についても教師の役割が述べてあり賛成だ。

教師には色々なタイプがあり,生徒や学校についても同様だ。例えば教師では「生徒を優しく包み,長い目で見守ってくれる教師」,「監督者としての立場で生徒の意見を尊重してくれる教師」,「生徒の親身になって何でも話を聞いてくれて頼れる雰囲気(教え方が親切,話し方や表情が優しい,曖昧な発言が少なく力強い等の事からくる印象)のある教師」,そして私の目指す「生徒のことを考え,情熱を注ぐ教師」(もちろん前述のようなタイプの教師の要素も身につけたいとおもっているが)などのいわゆる「良い教師」もいればそうは思われないタイプの教師もいる。しかし先程も述べたように,生徒や学校も千差万別である。「生徒の多い学校では教師の目が行き届かない時もあり,そんな面倒見の悪い教師に対して批判する生徒もいれば,良いと思う生徒もいる。また,面倒見がよく熱心な教師でも生徒皆に好かれるというわけではない。」という意見をもらった。確かにその通りである。私の目指す教師像が生徒全員に好かれるわけではない。しかし,生徒も千差万別なのは当然であるし,生徒全員に好かれる為に教師になるわけではないし,全員から好かれる事を目指すのは教師・生徒間の関係だけでなく,世間の人間同士間でも難しいことだ。大事なことは,情熱を注ぐことでどれだけ生徒の気持ちを変えられるかだと思う。

そしてもうひとつの話題は未成年の犯罪の背景にある周りの大人,特に親の役割についてである。学校で楽しく過ごすためには,幼いころから(もちろん現在も)家庭での親(家族)の愛情が非常に重要である。やはり家庭が居心地の良い場でなければ心に余裕が持てないし,結果として学校も楽しく過ごせなくなるのだ。

最終的に,私の中で,現在の学校問題として「ゆとり教育と学力低下」により深く興味を持つようになった。そもそも学校の大前提は「学ぶ場所」なのだから。結局これからの日本は,ゆとり科目を削減し,再び従来の主要教科重視のカリキュラムとなる。日本はこれから先の数年でどれだけ学力向上の成果をあげられるかで,本物のゆとり教育に取り組めるかが決まってくるだろう。といっても長い旅路になりそうだが・・・。

そして何よりも,現在の学校は学力だけではなく,さまざまな問題で溢れかえっている。

あらゆる生徒がそれぞれ悩みや問題を抱えている。そんな子供たちに対して絶対に支えになるべき存在が教師であり,親(家族)であるということを強く再認識した。その支えになるべき存在に私はなりたい。教師のタイプは千差万別であるといったが,やはり私は中学校で出会ったあの先生のように,常に生徒一人ひとりのことを考え,情熱を持って真正面から子供たちにぶつかっていき,あらゆる問題を解決できるよう努め,一緒に素晴らしいクラス,そして充実した学校生活をつくっていきたいと考えている。その為にも私は将来必ず中学校に帰り,教壇に立つと誓っている。

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橋本2 「読書を通して考えたこと」

1. 動機

私が今回のテーマに設定したのは,なぜ私は読書が好きなのか,という問いである。最初の段階では,その理由として3点を取り上げた。一つ目は,読書を通して様々な疑似体験ができること。二つ目は,読書が与えるカタルシス効果。三つ目は,読書をする際に要求される能動的な姿勢が,精神の成長に有益なものであること。以上のことから導き出された結論は,私にとって読書とは,終わることのない精神修行である,というものであった。

2. 議論

テーマに関する議論が進んでいく中で,私は,自分が読書を通して感じていたことを,正確に把握しきれていなかったことに気づかされた。最初に挙げた理由だけでは,私が読書を精神修行としていることを説明するにたるだけの根拠を示すことができなかった。また,読書を精神修行と位置づけているにも関わらず,その定義が自分の中でも曖昧だった。

このことを認識しながら議論を進める中で,私は自分が読書をする際に,一貫した理念を念頭に置いていることを取り上げた。それは,読書とは,自分が知らないということを知るものである,という理念である。そこで私は小説を読むときのことを取り上げ,私が小説を読むときに,何冊も同じ作家のものを読むことによって,その作家の世界観を確かなものにしていくこと,そして,それによって自分が知らなかった世界観を知るようになる過程を考察し,自分が考えている理念を定義した。この理念を,私が読書を精神修行とする理由のひとつとした。

しかし,更に議論が進む中で,上記のことだけでは,読書によって世界観を得るということを,私自身の経験として示すには不十分だという指摘を受けた。そこで私は,自分が作家の世界観を確かなものにしていく過程を考察する上で,その作家として村上春樹を例に挙げた。私は村上の作品を読む中で,少しはなれたところから世界を見るという世界観を得た。そこでは,作者の感情も含めたすべてのものが相対化されている。作者は相対化された自分の心の痛みや弱さをしっかりと見つめている。

そのことを説明する上で,村上の作品の中でも,『国境の南,太陽の西』(1992)を取り上げることが良いように思われる。この作品の中で主人公は,何不自由ない現実の世界を持っているにもかかわらず,過去に出会った理想の女性を追い求め,妻子を捨てる決意をする。主人公は,自分の弱さから妻をはじめとする周りの人々を傷つけてしまうが,そのことで心に痛みを感じながらも,一方でそれを不可避のこととして受け入れている。作品は,現実と理想のはざまでもがき苦しむ主人公を描き,最後まで希望はみえてこない。

この作品を読んで,私は思わず主人公に自分を重ねてしまった。私もこの主人公と同じように,自分の弱さから人を傷つけてしまうようなことがあるからである。この作品を初めて読んだときに,私はこの主人公の思考が少々悲観的すぎると感じた。しかしこの主人公は自分の欠落から逃れられないという絶望の中にいても,いたって冷静なのである。この部分を読んで,私がいかに自分の弱さから逃げてきたかを思い知った。

この作品を通して,私は自分の中にある心の痛みや弱さを感じた。それはその存在を知るまでは怖くて目を背けてきたものである。しかしその存在を認めた以上戦っていかなければならないものである。その戦いはいつか終わるという種類のものではない。作品の中で,主人公はどこにもたどり着けなかった。しかし主人公は「今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら,僕は力の及ぶ限り(誰かのために幻想を紡ぎだすという)その作業を続けていかなくてはならないだろう」とも言っている。これに表れているように自分の弱さをしっかりとみつめ,それに立ち向かっていくことに意義があるのだと思う。

以上の考察も私が読書を精神修行とする根拠になりうるかと思う。

3. 結論

最後に今までの議論を踏まえた上で自分なりの結論を示したいと思う。私は,読書が好きだという漠然とした感覚から出発した。しかし議論が進む中で,その感覚はもっと細分化し,仔細に観察する必要があるものだと分かった。最初に提示した理由は,どれも私の中での読書を表面的に捉えたものに過ぎなかった。しかし私にとって,読書というものが精神修行であるという位置づけは,この議論を通してさらに確固たるものとなったと思う。

私が書物から最大限のものを引き出そうとするとき,自分にとって都合の良いものだけが取り出されるわけではない。それは自分の弱いところをつき,痛みを感じさせるかもしれない。しかし,そのような部分があることも紛れのない真実である。そのことから目をそらさず,対峙していくことに意義があるのだと分かった。また,そのような読み方ができるように訓練するところに修行の一端があるとすることもできるかもしれない。いずれにしても,私にとっての読書の意義とはまさにこの修行というスタイルから生まれてくるものであった。読書を通して新しい世界観を得,自分の内面を知る。それはときに,答えのない問いを私に突きつけるが,自分が考え,成長する場を与えてくれるものでもある。そしてそのことが,私が存在する意義となる。

また,ここで私は新たに読書によって助けられてきたことも多いことを認識した。書物には必ず自分を受け入れてくれる部分がある。このことも読書の重要な一側面である。

以上のことが私の感じる読書の魅力である。人生において読書が不可欠であることを再認識した。

4. 終わりに

この活動は私にとってとても有意義なものとなった。普段思っていることを改めて文章にしてみることで,今まで曖昧だったこともはっきりと認識できた。また自分の文章に対して大勢の方から意見をいただくことができ,私自身も成長していくように感じた。ひとつのグループに様々なテーマが集まり,他のメンバーの多様な考え方に大いに刺激を受けた。この活動で得たものはこれからも大切にしていきたいと思う。

引用・参考文献

村上春樹『国境の南,太陽の西』,講談社,1992。

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橋本3 「日本語」

私のテーマは日本語である。その理由は私が日本語教師を目指しているからだ。

母語である日本語を普段気に留めることなく使っているが,空気のような存在の日本語を外国語として学ぶ人たちにどのように教えたらいいか。その第一歩として今回は日本語を見つめ直し,目指す日本語教師像を描いてみようと思う。

まず,私にとって印象的なフレーズがある。「国語学は文法を教え,日本語学は文法を発見する。」私はいつもこのフレーズを頭に置き,自分でそれに合わせた具体例を挙げてみたり,事象を思い起こしてみたりする。例えば,アメリカでホームステイをしたとき,日本語を学んでいる高校生と交流する機会があった。その中で彼らは流暢に日本語を話すのだが,どこかぎこちない。もちろん発音もあるのだろうが,全ての会話文に主語がついていたり,丁寧な表現が逆に実用的でなくなったりしていたのだ。適度に主語や敬語を省略していいのだが,決まった法則はほとんどない。そこで,そのような表現をすでにある省略・歪曲として扱う国語学と一つの表現・言葉の用法として認める日本語学で分かれるのだろう。特に,日本語学ではこのような省略の起きた表現を一部で「うなぎ文」と称している。定食屋でうなぎを注文する際に「私はうなぎだ。」が「自分=うなぎ(I am UNAGI.)」とならずに,「注文品=うなぎ(I want UNAGI.)」となる事象のことだ。

つまり,言語には規範があって,こういう理念のもとに出来上がったものだと教える国語学よりも,現象を忠実に記述・分析し,常に変化するものが研究のスタート地点である日本語学に魅力を感じるのである。言語というものが生きて変わっていくものであることを大前提として認めるのが日本語学の面白さであろう。

グループ討論のメンバーの中でKさんは「言葉は生き物だ」という感想をくれた。私もその通りだと思うが,さらに彼女と同感なのが「どこからが『乱れ』でどこからが『変化』なのか,その区別が難しい」ということである。先ほど私は言葉の変化を認めることが面白さの一つだと述べたが,「許せない言葉」だってある。例を挙げてみると私は「シンショー」という言葉が許せない。これは若い世代の一部で使われているのだが,「身体障害者」を略した言葉である。「障害」のラインが曖昧な中で面白半分に使用し,レッテルを貼って楽しんでいるとしか思えない状況に不快な思いをしたことがある。そんな乱れた言葉はなくなってしまえばいいのに,とも思う。では,「ギャル語」はどうか。

私は「乱れ」ではなく,「変化」として受け止めたい。もし,日本語の授業を受け持つなら,そのような流行表現を取り入れた日常会話の練習を取り入れさえしたい。若者にとっては私がアメリカで聞いた敬語の会話よりもずっと実用的だと思うからだ。

このように私の判断で「乱れ」と「変化」を分けてしまったが,本当に正しいのかは分からない。それがまたKさんが感想の中で述べた「この世の中に『絶対』はない」ことなのだと思う。私が「乱れ」と感じた言葉はあくまで私の基準であって,何かと比較したわけではない。一昔前では受験戦争なんてものがあり,一つの座標の中で競争していたこともあったという。いい大学に行くことが勝ち,社長の言うことを聞いてさえいればよいなど,絶対主義の時代もあった。ところが,均一化・同質化の行われている今はどうだろうか。大学に行くことだけが良いとは限らない,運動会のかけっこは順位をつけないなど,色んな価値をなくして平等化する相対主義の現代では,何がいいのか頼りにする軸がないといえる。そう考えると「シンショー」と言って他人にレッテルを貼りたくなる若者も,全てが相対的な現代だからこそあり得るのかもしれない。

また,「『言葉が乱れている』とはもともとないことであり,言葉は使いやすいものほど使われ,流行(蔓延)し,結果残る。だから,人によく使われる言葉は良い言葉」という意見も出た。「日本人が使いやすいように変化された言葉」だと考えれば,「乱れた言葉」という認識は薄れていくそうだ。また,M君は「言葉も変化・変容を伴っているという点で,文化の一部である。」という。KさんやM君の意見はもちろん私にとってプラスになるものであり,大変参考になった。ただ,将来日本語教師を目指す者として,私は「乱れた言葉」を嫌う姿勢も大事にしていきたい。日本語の持つ新しい事象に即応する局面と,それを拒否する局面との二面性があり,私はこれまで前者の魅力を述べてきたが,言語の同一性を守るために保守的に抵抗することも必要だと思うのだ。言葉が万人万様になったらそれこそ日本語でなくなるからである。「変化」を寛大に受け止めすぎず,自分の価値観をしっかり持ち,言葉の変化を敏感に感じとっていく姿勢を忘れないことが,私の目指す日本語教師像である。

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橋野 「熊とテディベア」

熊とテディベア。この二つをどう感じるだろうか。テディベアのモデルは,言うまでもなく熊である。テディベアは性別・人種・国籍の壁なく,世界中の人から愛されている。その一方で,昨年は熊の出没が相次ぎ,毎日のように新聞をはじめ,メディアを騒がせた。もし,道端で熊にであったらどのように感じるだろうか。おそらく多くの人が,怖い,襲われる,死んだふりなどマイナスのイメージを感じるであろう。熊は怖がられ,射殺される嫌われ者,テディベアは子供から大人までに愛される愛玩具。同じKUMAなのにどうしてこんなにも扱いが違うのか。私の熊のイメージは温厚,である。もちろん熊の凶暴な面も知っている。しかし,私の中では,動物園やサーカスで人気者になっている熊,キャラクターとして(クマのプーさんやディズニーのブラザーベアのように)愛されている熊のイメージが強い。テディベアのイメージは,男性が持っていてもおかしくない唯一のぬいぐるみであり,古いものほど値打ちがでるアンティークに似た存在であるにもかかわらず身近においてかわいがるというものであり,特別な魅力を感じる。

BBSでの意見交換で,KUMAに対するマイナスイメージの議論が多かった。多くの人は怖い,凶暴,荒々しい,殺人鬼,獰猛というマイナスイメージを持っていた。ここで一度テディベアが初めて作られた1900年あたりのアメリカに話をもっていく。このころの大統領はセオドア(愛称テディ)・ルーズベルトである。テディ大統領が狩猟に行ったとき,同行者が瀕死のKUMAにとどめの一発を撃たせようとしたところ,大統領はそれを拒否した。そのエピソードが翌日の新聞にKUMAの挿絵とともに報じられ,それ以降テディ大統領の風刺漫画には必ずKUMAが描かれるようになった。そして,KUMAのぬいぐるみが爆発的に売れるようになった。この話から読み取れることは1つ目,KUMAを狩猟の標的にしていた,つまり,KUMAに対し支配感があった。2つ目,KUMAが脅威の存在からかわいらしいイメージを持つようになった,ということだ。このころはまだ,KUMAへのプラスの意識が定着していた。しかし,今私たちは,どうであろうか。先に述べたように,多くの人はマイナスイメージを持っている。というより,マイナスイメージが強調されている。それはなぜか。ひとつは,マスメディアが圧倒的にマイナスイメージのことをしたときのニュースを取り上げるからだ。もちろんおめでたいニュースや,日々のよいことも取り上げる。しかし,特に昨年はKUMAについては"今日もKUMAが現れ,~~を襲いました"などの悪い面を取り上げていた。もうひとつは,私はKUMAの表記でもイメージが変わると思う。私のイメージではあるが,"熊"と漢字で表記されたものがマイナスイメージを背負っていると感じる。もし道端に"熊出没注意!"と書いてあるのと,"くま出没注意!"と書いてあるのでは,その注意度が異なるであろう。このように,KUMAはマイナスの目で見られがちである。だが,KUMAに対し逆に,テディベアはプラス面が強調されていると思う。多くの人はテディベアと聞いて,いやなイメージはもたないであろう。同じKUMAの領域でも,正反対に位置しているとも言える。

KUMAに対しての遺憾についても議論が多かった。多くの人は射殺されるのはかわいそうだが,人を襲ったのだから仕方がないという感想を持つ。しかし,私は仕方がないという考えに納得できない。どこかで人間中心に考えているから仕方ないと思うのだ。道端で会うKUMAは恐ろしくて,動物園で観たKUMAはかわいいと思うのはおかしくないか。動物園では襲われる心配がないからかわいいのか?牛や豚は食用に殺され,KUMAや鹿は狩猟のために殺される。ねずみや虫は汚いからといって殺され,鳩やからすは増えると困るからといって,駆除される。人間は動物からどのように思われているのだろうか。人は自分たちが好む犬や猫,ハムスターなどを殺すなんてとんでもないと考える。身勝手ではないか?動物にも仲間や家族がいる。それなのに一方的に殺している。映画「猿の惑星」のように人間が逆に檻に入れられ,いつ殺されるかわからない状況ならどうであろうか。もっと動物の立場で考えるべきであると私は思う。

もちろん,動物と言葉が通じない。だからこそ難しいのだが,動物との共存の道をたどるべきであると考える。人間中心の見方ではなく,視野を広げてほしい。世の中にいるのは人間だけでなく,動物も,植物もかず数え切れないほどいるのだ。どうしたら共存できるのか。私は,まず思いやることが大切だと思う。だが,時には思いやることがマイナスになることもあるだろう。しかし,人間は知能を生まれ持っている。先を見通す力を持っている。これから,動物の気持ちにも目を向けて,21世紀は人間のために,物の豊かさを追求するだけでなく,動物にも人間にも住みやすい環境になっていくことを願う。

感想

今回文章表現を受講してとてもよかったと思っている。このようなオンデマンドのものは初めてであったし,同じ早稲田生とコメントをしあったり,アドバイスをもらったりしながら進めていくのはとてもいい経験になった上,面白かった。ありがとうございました。

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桑島 「本当の支援」

2004年は実に災害の多い一年だった。日本列島南部を中心に大きな被害をもたらしたいくつもの台風。新潟を襲った地震。南国のクリスマスを迎えた翌日,一瞬にしてその夢や希望を奪い取った津波。日本国内外を問わず,大きな災害が続いた。私はそのような今,支援のあり方を考えてみたい。本当の支援とは,どうあるべきだろうか。

私は高校3年間,放送部に所属していた。放送部では,TVドキュメンタリー番組を制作しており,最後の大会に「パレスチナと仙台を結ぶ会」の活動を取り上げることになった。「パレスチナと仙台を結ぶ会」とは,在仙のNGO団体で,その名のとおり,仙台を拠点として中海沿岸に位置するイスラエルという国の中にある自治区・パレスチナへの支援活動を行っているグループである。私達は,番組制作のため,会への取材を1年以上かけて行った。夕方6時に行われるミーティングにお邪魔させていただいたり,現地に行ったメンバーによる報告会や現地の様子を写した映画の上映会にも足を運んだ。そして,少しずつパレスチナを知り,近づいていった。そんな中,あるHPで「パレスチナに住む子供達へ送るおもちゃ」を募集していることを知った。私はそれを見て,「これだ!」と思った。

会の代表・石川雅之さんらの活動を見て,刺激されていた私は,知らず知らずのうちに「自分にもなにかできることはないか」と考え始めていたのである。翌日学校に行き,仲間に相談をしてみた。すると,同じように取材を通して「何かしたい」という気持ちになっていた仲間は,すぐに賛成してくれ,石川さんの協力の下,この運動が私達の手で実施されることになった。

しかし,ここで注意しなければいけないことがある。それは,「支援の在り方」についてである。私が考える「本当の支援のあり方」とは,常に相手に寄り添おうとする支援であることだ。単に与える側,受け取る側という関係ではなく,同じラインに立って物事を考え,見て感じる。そういった関係を保ち,同じ地球に住む人間として,同じ瞬間を生きていこうとする姿勢が大切だと思う。ここで,同じ「ボランティア」に関してのテーマ文を投稿したS君の言葉が思い出される。S君は最初,「支援する上で重要なことは,相手側のニーズをしっかり把握することだ」と言っていた。私はこの言葉を聞いて,わずかな反感を感じながらも,納得した。先の中越地震で,「あまるほどもらった物資もあれば,まったく足りない物資もあり,大変困っている」というコメントがでたからである。物資をただ送ればいいというわけではない。相手のニーズを把握し,必要なものを必要な分だけ支給するということの重要性がそこで発覚したのだ。今回私が行った支援は,そういった考え無しで企画したものなので,S君の発言に大変驚かされた。だが,その後,S君は私の「心をこめた支援」への理解を示してくれ,双方の考えが合体してよりより「支援の在り方」が生まれた。

この講座を通して,私にとっての「本当の支援の在り方」が少し変わった。「共存を目的とした心の支援」から,「相手の置かれている状況を把握し,相手が今何を必要としているのかを知った上での支援。上から見下ろすのではなく,しゃがみこんで,相手の目線に合わせてから手を差し伸べ,一緒に立ち上がろうとする支援」という風になったのである。

具体的な支援を思い浮かべてみると,「まずは相手の文化や考え方を受け容れ,一人の人間として向き合う。そして,相手との交流の中で,じょじょに相手の状況を把握し,ニーズをつかみ,お金なり物なりを送るなどする。」といったところであろうか。要は,「それだけ相手に近づけるか」なのである。一緒に支援について考えてくれたNさんやMさんは,「身近なボランティアに参加したい」という考えを示してくれた。これは,本当に喜ばしいことである。私のパレスチナへの支援も終わったわけではない。これからも,パレスチナを思い,歩み寄り,遠い日本から「心の支援」を紡いでいきたいと思う。私にとって「本当の支援」とは,「相手の立場にたって考え,相手の気持ちを理解した上での,共存を目的とした心の支援」である。

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犬飼 「日本と太平洋戦争」

私が「日本と太平洋戦争」というテーマでこの課題に取り組みたいと思ったのは,日本人であるからです。なぜなら未だに中国,韓国等の近隣アジア諸国による謝罪要求やその戦争を理由にした内政干渉が続いているのにも関わらず,日本人は余りにも無関心であるからです。その国々が戦争から50年以上が経ち,友好条約も結ばれていようとも,靖国参拝問題や新教科書問題等に苦言を呈すると共に圧力を掛けて来る原因の一つは日本を「犯罪国」と見なしているからだと私は考えています。そのような意識では対等な国同士の繋がりと言えないと思います。日本がアジアの世界で対等な立場になるためにもまず日本人がそのような不平等な関係に気付き,それを主張していくことが大事だと思っています。なによりもまず私が先入観を抜いた知識を身につけるためにもこのテーマについて議論をし,様々な知識を得たいと思ったことも理由の一つであります。

TAの方や同じグループの皆と議論をしていくうちに,私の持っている意見そのものが「先入観」に浸りきったものであると感じるようになりました。私は学校で受けてきた戦争の知識と一つの著書からの知識のみで考え,そして「日本の謝罪は十分に済んでいる」と考えていました。また先日行われたの「挺身兵裁判」での原告の敗訴等の法廷による判決を見て,より国同士の謝罪は終わっていると感じました。しかしながら,未だに在日朝鮮人問題や明らかにならない慰安婦問題などの被害者で,太平洋戦争によって不利益を被ったまま,日本からの支援や援助がない方々が多くいることを知り,国での戦争の後始末が終わったと言えても,個人単位による戦争の終結はないのではないかと考えるようになりました。一辺倒に考えていた私にとって中庸な考えを持たせてくれるには十分すぎるほどありがたい議論でありました。

また戦争での議論を交わしていくうちに,平和憲法の国としての日本の在り方についての意見も出てきました。戦争というもの同時に最大の環境破壊でもあります。全世界が自国の利益を追わないようになればよいのですが,イラク戦争が近年勃発したようにそのような展開になるにはまだ時間が掛かるように感じます。ならばどうすればいいか。未だ戦乱の世の中ともいえるこの時代に平和を掲げる日本がなすことは,戦地の復興や人命救助に尽力を出すことだと思います。今の制度では日本は軍隊を持つことは出来ませんから,戦地に赴くこともできません。現地の人々が求める復興支援とは物資や金銭を送ることよりも,現地で活動をすることであるのは明らかです。平和を訴える国であるからこそ,軍をもって積極的にそのような行動をとっていくべきだと思います。

私は,議論を終えた今なお,初めに言ったとおり,日本とアジア近隣諸国との国レベルではきっちりと(条約として)謝罪終了となっているのにも関わらず,謝罪を要求するだけでなく内政にも圧力を掛けて来る現状は異常であるという考えは変わっていません。ただ戦争によって被害に遭われた人々に対する配慮を忘れてはいけないということと,そのような人々を忘れて戦争のことを考えてはならないということを再認識させていただきました。そのためにすべきことは,戦争について議論を交わすことであったり,一つ一つの事例に関して自らで考えることがなによりも大事です。TAの方が「韓国の留学生が日本人の学生に戦争について語ろうといったときに断られて残念がっていた」と言われていました。

韓国や中国の学生は自分の国の歴史に誇りをもつとともに,それを語るに十分な知識をもっていると思います。私たち日本人も私たちの母国,日本の歴史を知り,その悪い面も良い面も調べて自分なりの解釈を持ち,それぞれの意見交換ができるようにならねばならないと思います。私は理系に進む予定でありますが,日本人としての知識を持つためにこれからも関心を持ち続けていきたいと思います。

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戸塚1 「「ゆとり教育」について」

私が「ゆとり教育」をテーマにする上で,以前に理由を2つ挙げました。1つ目は,自分の身近な問題だったから。2つ目は「教育」という性質上,日本の将来に関わることだから。

私が「ゆとり教育」について意識し始めたのは,高校に入ってからです。政府のゆとり教育の本格実施の開始がその時期だったことも大きいと思います。私立の高校に行った友人の話を聞いて,公立にいる自分の学校の違いをあらためて実感しました。また,こういう問題は学校の授業でも取り入れられることが多いです。公民のレポートであったり,現国のディベートであったりと様々ですが。その際に,多くの資料,意見に触れる機会を得ました。マスコミでもよく特集を組んでいましたし。

このように,自分の体験,実感と客観的意見の2つに接する機会に恵まれたことが,興味を持つ経緯にあったのかもしれません。掲示板中に「与えられるものを疑問も持たずに受け取っていた」と書きましたが,上記のような経験をする以前は,教育とは「こういうもの」でそれ以上もそれ以下も無いと思い込んでいた節があります。比較の対象となりえるものが近くになかったせいかもしれませんが,視野が狭かったです。

「理想な教育とはなにか」質問の中で一番返答に困りました。私は自分の意見の中で「学力と個性の両立」ということを挙げました。真実そう思っていますが,具体性に欠けるといえば,欠けます。まず思うことは,「学力低下」の事実に焦り,過去にあった「偏差値崇拝」的な教育に戻ることは反対です。「勉強ができる」ということは他に多くある個性のひとつに過ぎません。なのに,学力だけが脚光を浴びるのは不公平です。他の個性にも見せ場を与えるべきです。人間は他人に認められたいという欲求を持っています。何か1つでもそれを満たすものがあるならば,彼は「自信」を持つことができるでしょう。

あなたの個性をいってください。そう聞かれたとします。おそらく,私は沈黙でかえすでしょう。自分の個性なんてそう簡単に分かるものではありません。性格,特技,嗜好,思考…他人に言われてはじめて気づく類のものが多いです。もちろん,自分で気づく場合もあるでしょうが,そうでない場合もあるのです。それくらいのものなのです。けれども,それに気づかされ,それが人に認められるようなものならその価値は無限大になります。

だからこそ,それを見つけたり,褒めたりする機会が必要なのです。そのために,必要なのは授業の削減ではなく,一教室の生徒数の削減であると思います。

かといって,その「個性」というか,「特技」のみで社会を渡っていけるのはほんのわずかな人間です。みんながみんな,プロ野球選手になれるわけではありません。みんながみんな,絵や歌のみで食べていけるわけではありません。だからある程度の学力が必要になります。それは,難解な方程式を解ける能力ではありません。同様に,みんながみんな,勉強が得意である必要はないからです。得手,不得手は関係ありません。「物事を考える」という過程が大事なのだと思います。授業削減によって,簡単になった授業では「考える」までもなく終わってしまうでしょう。「学ぶことの意義」にすら気づかず,そのまま通りすぎることでしょう。あの素直に多感でいられる時期を無為に過ごすようでもったいない気がします。

話は少し変わりますが,「多感な時期」という言葉がでてきたので,寄り道です。書き込みの中で学校が積極的に「経験の場」を設けている,との話を聞きました。学校はその性質上,閉鎖的な環境になってしまうことが多いので,とても素晴らしいと思いました。この時期にしか経験できないこと,味わえないことってたくさんありますから。子供は接触した全てのものに影響を受けるといっても過言ではありません。先ほどでてきた「個性を見つける機会」になり得ることも多いのではないでしょうか。

結局のところ,やはり私は現状の「ゆとり教育」には反対です。「ゆとり教育」の理想とする「個性ある人材の育成」うんぬんには異論はありません。「個性」の重要性は自分でも考えていますし。(「これからは学力が全てではない。それよりも『ゆとり教育』で将来の方向性を見つけさせるべきだ」という意見も頂きました。)しかし,今の政策は中途半端でしっかり機能しているかも疑問ですし,勉強否定説に傾きすぎです。(一応,学校は勉強をする場所なのにそれを否定するのは学校の存在理由の否定につながるような気もする。)政府も上から命令するだけでなく,もっと現場を見て欲しいです。でなければ,激しい受験競争で子供時代に「遊び」を奪われた大人が自分の子供世代に自分の願望(=ゆとり)をそのまま押し付けて,自己満足しているのではと勘ぐりたくなります。教育は子供のものであって,大人の身勝手を押し付けるべきではありません。もちろん,政策は失敗することもあるし,その失敗を糧に「答え」に近づいていくこともあります。しかし,その「失敗」を最小限に抑えようとする努力は絶対不可欠です。今の政府の姿勢にはそれが欠けている気がします。そして,私たちも数字だけの結果に流されずに,問題の本質のほうへ目を向けることを忘れてはならないと思います。

「教育って難しい…」この数週間のうちに何度そう思ったことか。上手く考えを消化できずに,布団の上をゴロゴロ転がって思案にくれました。これがこの授業では最後のレポートになるわけですが,いまだに消化不良でゴロゴロ転がっています。ゴロゴロ。「ゆとり教育」及び教育制度の改変は現在進行形です。教育には明確な「答え」は存在しないかもしれません。「個性」を認めた時点で,一人一人の理想にも差が生じてくるからです。しかし,集団生活の上で少数派が切り捨てられるのは常です。その点も考慮していくべきです。

いまの制度もこれから少しずつ変わっていくことでしょう。私はこれからもこの問題については注目していきたいし,また自分でも考えていくつもりです。将来,自分が学生でなくなっても自分にとっては進行形の問題であることは変わりありません。

最後に

この講義を通して改めて自分の考えというものを見つめなおすという機会を得ました。そして,他の人からの意見という貴重なものを頂きました。そのおかげで,自問自答の自分の世界に籠もることなく,なんとかやっていけました。その点でも,とても有意義な時間を過ごせたと思います。お世話になった方々へ,感謝を。ありがとうございました。

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戸塚2 「塾の講師」

大学に入学した後,大学の授業や活動以外で是非やってみたいと考えている事がある。

それは塾の講師というアルバイトだ。なぜ数あるアルバイトの中で塾の講師をやってみたいと思ったのかと言うと,それには二つの理由がある。

そもそも,僕の性格として

  1. 自分の考えを相手にわかりやすく伝えられるような手段や工夫を考えるのが好きである
  2. その工夫をした結果,相手が少しでもわかりやすく理解できると非常に嬉しい

という事がある。

また,塾の講師というのは自分で工夫をした授業を通じて,生徒に勉強をわかりやすく教えるのが仕事だ。そのため,自分の性格が塾の講師という仕事の内容にそっくりそのまま合っていると思ったのが一つ目の理由だ。

二つ目の理由としては,人と接する機会が非常に多い仕事なので,『自分なりの工夫』を考えそれを実践するという事が度々できる環境であるという点で,他のアルバイトよりも魅力的だと思う事ができたからだ。

もちろん教える喜びや自分の成長などのプラス面だけで成り立っているわけでは無く,生徒に勉強を教える難しさやそれ以外でも大変さを痛感したり正しく教える責任を持つプレッシャーを感じたりするという面もあるだろうという事は想定しているが,それでも塾の講師に興味を持っていて是非やってみたいと思っている。

こういった訳で,僕にとって塾の講師というアルバイトは,自分なりの工夫をして勉強を教えられた時に感じる喜びをたくさん得られる仕事であろうと想定でき,また上手な意思伝達の手段を何回も考える事によって上手な意思伝達が可能になると見込め,それが僕の成長にもつながると期待ができる仕事であると言える。

議論の内容

テーマが自分の将来についてだったので,賛成意見や反対意見に分類できるものではなく,議論というよりは文字通りコメントしてもらったという方が正しいと思う。だからコメントに対して自分がどう思ったか,また認識を改めた点をもって議論の内容とする。主なコメントは3つ。

1. 『塾の講師を経験して自分の中で向上させたい部分はどこか』

このコメントにはテーマの結論部分でも書いてあるので意思疎通と答えた。その答えが浮かんだら,なぜ意思疎通を向上させたいのだろう,と疑問に思った。その理由を考える際に,「では,そもそも意思疎通ってどのような時になされるものなのか」を考えた。そして浮かんだのが,塾の講師として生徒に勉強を教える以外でも,友人と喋る時や誰かに質問する時,将来的にはプレゼンをする時など,他人と関わる様々な場面で必要とされるものだと感じた。だから意思疎通というものを「身近なもの」と改めて認識した。

こういった訳で,意思疎通は身近。身近だから向上させるとメリットが多い。だから,意思疎通を向上させたい。という結論に至った。

また「身近なもの」と認識した後,身近過ぎるからこそ,ちゃんと考えた機会が無い事に気づかされた。だから塾の講師の仕事を「意思疎通をしっかり考える機会」と新しく認識するきっかけにもなった。

2. 『生徒からすればアルバイトでも先生は先生。この点を含めて自分が必要だと思っているものは何か』

まずは自分が生徒だったらどんな先生に教えて欲しいか考えてみることにした。そしたら,先生の自覚をちゃんと持っていて生徒の事をちゃんと考えてくれる先生に教わりたいと思った。もちろん良い教え方をしてくれる先生だ。これらが浮かんだ結果,これらの根底にあるのは「先生としてのプロ意識」ではないかと思った。プロ意識があるから先生としての自覚を持っていて,生徒の事も考え,良い教え方をする。こう考えてみると自分なりに納得できたので「先生としてのプロ意識」を持つ事が自分には必要だと思った。

3. 『具体的にどんな工夫が必要だと思うか』

具体的な工夫は実際に仕事をしてみないと分からない部分があるので,具体的な工夫を生み出すための自分なりのスタンスについて述べた。そのスタンスというのは,生徒と自分は理解力や考えるプロセスが違うという認識を持つ事,その認識を持ちつつ生徒に過不足が無いように教えるべきだという意識を持つ事の2つだ。この2つを挙げた理由は自分が生徒だった時に,なぜそういう風に解き方が展開するのか分からない事が度々あったし,分かっているのに長々と説明されて飽きた事や,説明が短すぎてよく理解できなかった事などを経験したので,自分が教える時はこの2つに気をつけようと前々から思っていたからだ。

結論

塾の講師というテーマで文章を書き,それに対するコメントを見てみると傾向があった。それは先生としての自覚や心構えなど「自分の意識」に関する質問だった。その「自分の意識」をさらに細かく分類すると2つに分けられると思う。「生徒の事を考えた上での意識」(生徒が分かりやすく教えるように心掛ける事など)と「自分の事のみを考えた上での意識」(意思疎通を上手くして自分の成長につなげる事など)だ。どちらかの意識が強すぎると生徒が不満を持ったり,自分を省みなさ過ぎたりする事など,色々な弊害が起きるので,この2つのバランスが非常に大事だと思う。

また,「意識」のように考える事についての質問が多く,それに対して答える時間が増えている中で,実際に実行する事についてあまり考えていない事に気づいた。

だから,先程の「生徒の事を考えた上での意識」と「自分の事のみを考えた上での意識」のバランスを程よく保ちつつ,自分のスタンスで浮かんだ工夫を実際に実行する事がこれからは必要だと感じた。

色々なコメントをしてもらい考慮した結果,僕にとって塾のアルバイトは考える事(理論)だけでなく実行も伴う事により自分の成長につながる仕事であるという認識が加わった。

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荒川 「盲導犬を通して考える」

私は,盲導犬に関心があります。なぜなら,私は盲導犬にそれまで知り得なかった数多くのことを教わり続けているからです。

私は以前から,ペットとしてではなくパートナーとして働く補助犬に興味がありました。中学生の時,私でも盲導犬育成に役立てることを知り,賛助会員というボランティアになりました。

それ以降,盲導犬の活動などを詳しく知ることができ,現在視覚障害を持つ方々がどれだけ盲導犬を必要としているかということ,日本社会ではまだ盲導犬に対する理解が浅いことを認識しました。そして,実際に訓練所に赴き盲導犬の訓練を見,目隠しをして杖を使用した歩行と盲導犬との歩行を体験する機会に恵まれました。世界が「見えない」ことの不安,盲導犬を自分の目とすることから生まれる安心を体で感じることができ,盲導犬とヒトとの関係は「動物」とヒトとの関係を越えたものではないかという思いが強まりました。

このような経験から気付かされたことがあります。「盲導犬という存在を通して現在の『社会』を捉えることができる」ということです。盲導犬に興味を持った当初はその「育成」や「活躍」ばかりに目が行っていました。しかし,盲導犬への知識が増えていくうちに,「盲導犬という視点から見た」現代社会の様子が見えてきたのです。ですから,私にとって盲導犬はこれからの社会を見るうえでの一枚のフィルターである思います。この機会に,「盲導犬」という視点から見たものを他の人に伝えたい,そして更に深く「社会」について考えてみたい,と思いこのテーマに取り組むことにしました。

今回盲導犬に関して様々な意見をいただくことができました。そこからから私が到達した考えが大きく2つあります。

第一に,「心のバリアフリー」が今の社会に必要であるということです。

これは目が不自由な方にとどまらず,お年寄りや障害をもたれているどんな方にも,もっと言えば日常生活でも求められるものだと思いますが,今回は盲導犬という観点から見てみたいと思います。

BBSでのやり取りを通してまず感じたことは,盲導犬はまだ多くの人にとって「気持ち」の部分で遠い存在であるということです。ボランティアの会員になっている私でさえ,ただ周りの人より知識があるというだけで近い存在とは言い切れないかもしれません。近年では,身体障害者補助法が成立したり盲導犬のドラマ・映画などが制作されたりし,パートナーとしての盲導犬への理解は広まりつつあるでしょう。しかし,いまだに盲導犬ユーザーにとって盲導犬が日常生活の妨げとなってしまうことは多々あります。就職は代表的な問題でしょう。私たちが普段盲導犬を見かけることはごくわずかで,興味を持たなければ目の見えない方の生活の現状を見つめることはないと思います。それは,BBSでの意見にあったような「障害を持っている人よりも持っていない人のほうが多い」ことに関係しているかもしれません。そんな中でもヒトはバリアフリーの概念を育てることができました。私は,バリアフリーとは誰もが生活しやすい社会を作るためになされるものと思っています。現在の日本社会でも,バリアフリーの概念は広く浸透してきましたが,それは施設・設備の面でのものにすぎません。施設・設備がいくら整っていても,ヒトの心が「自分が持っていないもの・知らないもの」に対して開いたものでなければ,誰もが生活しやすい社会にはならないと思います。バリアフリーを物理的問題で終わらせてはなりません。「自分が持っていないもの・知らないもの」に対して心を開く=心のバリアフリーは,よりよい社会を作るための私たちの大きな課題だと思います。

第二に,盲導犬とヒトとの関係は現代社会における「人と動物の共存の形」のひとつであるということです。

BBSの中で,「盲導犬は人間のために一生のほとんどを使うわけだから,ある意味人間のエゴイズムだとは言えないのか,と聞かれたらどのように答えるか」という鋭いコメントをいただきました。これはすごく難しい問題でした。考えに考えてたどり着いたのが,「共存」という言葉でした。盲導犬を「使う」と考えるなら,それはエゴイズムとなります。しかし,私は盲導犬を目としている方々は盲導犬と「共に生きている」のだと思うのです。ですから,私はこの問いにこう答えたいと思います。「盲導犬と人間の関係は現在の社会では『ヒトと動物との共存の形』のひとつではないでしょうか」と。私は,「ヒトが生きる支え」になる能力を秘めた犬という動物に生きる手助けをしてもらうことはエゴイズムとは違う気がするのです。人間でも動物でも,能力が活かせることはすばらしいことではないでしょうか。この考え方自体がエゴイズムなのでしょうか。

盲導犬に限らず野生とはまったく違う「人間社会に順応した」生活を送っている動物があふれています。太古の昔のように,人間と他の動物たちが完全に分かれて暮らす社会は考えられません。日々刻々と変化していく社会の中で,ヒトと動物の「共存」の形も変化があると思います。「お互いが助け合い,よい部分や能力を重ねて広げあう」――今回得ることができた言葉です。これが現代の社会で望まれる「共存」のあり方でしょう。盲導犬はその「共存」を現実に見せてくれているものだと思います。これは,私たちが気付いているようで気付いていなかったことではないでしょうか。

さて,私は盲導犬というフィルターを通して,「自分が持っていないもの・知らないもの」に目を瞑っている日本社会の「弱さ」を見ることができました。また,動物とヒトとの「共存」のあり方も見つめることができました。盲導犬――それは世界からすればほんの小さな存在です。しかし,教えてくれるものの価値・深さは計り知れません。私自身も盲導犬というテーマだけでこんなにいろいろなことが考えられたことに,内心驚いています。地球の中のどんな小さな存在をフィルターにしても,その度に違った世界が捉えられると思います。これから,自分という人間を広げるためにも様々なフィルターを目の前にかざしてみたいと思います。

「心のバリアフリー」は今回はじめて発見した言葉です。この言葉はこれからずっと心の中に生かし続けていきたい,そして少しでも多くの人に伝えたいと思います。

盲導犬が道端を歩いていることが自然となる社会になることを願っています。

そして,少しでも多くの人が私のこの文章から何かを感じ取って,考えていただけたらとても嬉しいです。

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高橋1 「バレンタインデー」

なぜ私が一方的にチョコレートをあげなければいけないの?これは私がアメリカから日本に帰ってきてから1番最初に思った事だ。

「バレンタインデー」は「愛の日」として世界に広く知られている。日本も例外ではない。日本の「バレンタインデー」には,女性が好きな男性にチョコレートをあげることで愛を告白するといった形での行事がある。しかし,この日本の風習は世界共通ではない。同じ「バレンタインデー」という呼び名であっても,国もしくは地域によって祝い方は異なる。この違いに気付いたのは,私がアメリカで「バレンタインデー」を経験した事からである。

私は小学校4年生で日本からアメリカに行く前までは,女性が男性にチョコレートを贈るのが一般的な「バレンタインデー」だと思い込んでいた。なぜ男性は私には何もくれないのだろう?なぜチョコレートをあげるのだろう?こんな事は一度も疑問に思った事はなかった。普通に周りの子が皆そうしているように,私も同じことをした。そして,「ホワイトデー」には,当たり前のようにお返しがもらえる。私はこの日本式の「バレンタインデー」を何の抵抗も感じずに楽しんでいたのだ。

しかし,父の転勤でアメリカ,ミシガン州の小学校に転校し,私は新しい「バレンタインデー」に出会った。私が通っていた現地校では,「バレンタインデー」は学校の行事として扱われ. 一年の中でクリスマスと同じくらい大きなイベントであった。 例えば,自分の机の上に可愛くデコレートした郵便ポストを置き,男女関係なく. クラス全員にお菓子付きのカードをその中に入れる。そして,もちろん「ホワイトデー」という日などない。むしろ,必要ないと言った方が正しいのかもしれない。この行事は普段あまり関わらない人を含め,色々な人からささやかなプレゼントがもらえるので,私は大好きだった。幼かったという事もあるが,あまりにも楽しかったので,私は日本式の「バレンタインデー」を忘れるほどアメリカ式の「バレンタインデー」をすんなり受け入れていた。

そして,日本に帰国後,なつかしい日本の「バレンタインデー」の壁にぶつかった。そういえば,なぜ日本の「バレンタインデー」には女性が男性にチョコレートを贈るのかと疑問に思ったのだ。私は帰国後,公立の中学校と私立の高等学校に通して,5回「バレンタインデー」を経験したが,男性からプレゼントされた事は一度もない。それが日本に住み慣れた人達には普通なのかもしれないが,私にとっては普通ではなかった。もらえない寂しさと悔しさの気持ちから日本の「バレンタインデー」の風習をアメリカのような「バレンタインデー」に変えてしまいたいと何度も思った。

そもそも,日本の「バレンタインデー」は昭和11年に関西の製菓会社が外国人向けにバレンタインチョコレートの広告を出した事から始まりまった。その後,製菓業界全体の積極的な売り出しで,1970年代頃のティーンエイジャーを中心として可愛い告白の習慣として序々に広まっていった。また,「ホワイトデー」は1978年に全国飴菓子工業組合がバレンタインデーのひと月後の3月14日にキャンディーをお返しする日と決めた事と,老舗の和菓子屋さんが女性雑誌の投稿をヒントに「マシュマロデー」と発案したのが最初になる。初期のホワイトデーでは,「あなたの気持ちを柔らかく包んでお返しします」と言う意味を込めて,中にチョコレートが入ったマシュマロが定番だったそう。

世界的に「バレンタインデー」というのは,正しくは「Saint Valentine's Day(聖バレンタインの日)」。3世紀頃ローマに実在したキリスト教の司教バレンチノを指している。バレンチノはその頃禁止されていた結婚を内緒でさせていたのが皇帝クラウディウス2世に知られてしまい,2月14日に処刑されてしまう。しかし,死ぬ前に彼は獄中でも恐れずに看守達に神の愛を語り,目の不自由な娘のために祈ると奇跡的に目が見えるようになった。そして,その娘に「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残したそう。これがバレンタインカードの始まりである。こうして恋人たちの愛を成就させようとしたバレンチノ司祭の行いが2月14日を記念日として定着していったのだ。

このように歴史を振り返ってみると,「バレンタインデー」は自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝えたバレンチノの事を思い出すためにあるという事がわかる。しかし,キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられてセールスに利用されがちである。

私にとって「バレンタインデー」は愛を分けあう大切な日である。これは日本,アメリカ,または他の国々で行われる行事の内容は関係なくいえることだと思う。「バレンタインデー」は日本とアメリカでは異なる点はあるが,好きな気持ちを伝えるチャンスという点では同じだと思うからだ。

アメリカから帰国直後の私は日本の「バレンタインデー」に馴染めず,批判的であった。そして,なぜ日本ではチョコレートでなければならなくて,また,なぜ女性から男性なのかと,アメリカ式の「バレンタインデー」を中心に考えていた。しかし,根本的な「バレンタインデー」の意味を知った今は日本の「バレンタインデー」が嫌いではない。確かに日本の製菓業界が女性の恋心に付け込んだ戦略であったのかもしれないが,むしろ私はこの風習を日本に取り入れてくれたということに対して感謝している。どんな形であれ,大切な人に自分の想いを伝える日があるという事はすばらしい事である。

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高橋2 「原子力発電所と地域住民」

1. 動機について

私は「原子力発電所と地域住民」というテーマでこの講座を受けました。

なぜかと言うと,それには以下の理由があります。

  1. 資源利用における問題について考えたかったから
  2. 注目されているテーマだから
  3. 答えがないから

の3つです。

a.については私が環境資源工学科に属する事が大きな理由でした。環境と資源においての問題の大きなポイントであるのはCO2による温暖化です。それに大きく関わるのは発電であると思います。もはや私たちはエネルギーなしでは生きていけなくなりましたが,いかにどうやって環境に優しく資源を使い,エネルギーを取り出すか。これは今の日本,いや世界の課題なのだと私は考えているのです。

その点で原子力はCO2が出ず,クリーンと言えます。しかし,少ない資源から莫大なエネルギーが得られるという点は一見メリットに見えますがこれは事故時のデメリットにもなります。これが今回の問題である重要な点です。

ちなみに私の自宅付近には原発がありませんが,もし原発周辺の住民だったらやはり不安な気がするのは事実です。その理由についてコメントをもらってもっと考えてみたいと思いました。

b.は新聞やテレビなど各メディアで取り上げられる事もあるくらい,世間が注目していたからです。なぜなら先ほどあげたように原発には環境上メリットの反面,臨界事故などの危険性があると言うデメリットがあるからです。これは裏に人間がまだ核エネルギーを扱いきれない,と言う不安があると思います。ですから,核燃料リサイクルについては特に施設周辺の住民から根強い反発があるのもうなずけるでしょう。この問題をどう解決するかは考える価値があると思います。

c.はテーマ設定当時に,これと言う決定的な答えが無いと感じたからです。それは原発側と地域住民側のどちらが善か悪かと言えないためで,これなら様々な意見が出て議論も盛り上がると感じたのです。

2. 議論(もらえたコメント)について

そして,もらえたコメントは自分なりにまとめると以下のようなものでした。

A. 原発の安全性と,性質について

人間は核エネルギーを扱い慣れていなく,安全と言っても事故がどんな状態を引き起こすか予期できない。また,いくら準備しても,どんな規模の事故が起こるか予想できない原発事故は影響力が他の発電法に比べ,影響力が比べ物にならないくらい大きい以前起こった事故のイメージが強く,安全な気がしないメリットがあっても,デメリットが大きすぎる他の技術に比べ,失敗を繰り返して安定させると言うことが出来ない性質上(電力供給の場であり,事故が壊滅的ダメージになる),テロの標的になりうる原発周辺の土地は価値が下がるのではないか

考察

このコメントからは原発付近の住民の気持ちが読み取れる気がします。また,専門的知識がないために漠然と危ないと言うレッテルを貼っているかもしれないことにも気が付きました。その事から情報,特にデメリットについての知識が世間一般に必要だと感じます。

B. 核燃料リサイクルについて

使用済み核燃料の扱い方が原発の大きな問題放射性廃棄物の管理が難しい。

考察

これはとても難しい問題だと思います。世界的に主流である再処理をしない方法を取るか,リサイクルをするか。この二つのどちらが良いかは,なかなか自分の答えは出ませんでした。安全性を取るなら,いわば世界標準である廃棄と言う道。

日本はウランを100%輸入している事を意識すれば,リサイクルを安全に行なえるよう技術を発展させ,利用する。どちらも捨てがたいです。しかし現在のプルサーマル計画などの失敗を考えると,リサイクルはとても困難だと感じた私は,今回廃棄と言う道が良いと感じました。まだ,確実に安全と言えないリサイクル施設が自宅周辺にできるのであれば,私も不安ですし反対します。

C. どうすれば不安は払拭できるかという事についてたとえ丁寧に説明を受けても不安は払拭できない

例え払拭は出来ないにしても,不安を最小限に食い止める方法はあるはずどんなことでも事故は起こりうる。その事をしっかり意識し対策を行なうべき原発の内部はどうなっていて,どんなリスクがあるかをもっと説明し,公開すべき特に周辺住民には原発内部の情報を開示し,施設だけでなく住民とともに防災をするべき

考察

この事に関しては,仕組みは分かるが原発現物の内部はどうなっているかは分からない,という現状があると思います。今までの事故はどこが,どのようになって起こったのだろうか。それらに答えてくれるような原発の情報がもっと手軽に手に入ればいいと思いました。不安は払拭できない,これは皆の本音だとは思います。

でも最初に述べたように,環境を考えると原子力は大きな可能性を持っていますし,利用すべきエネルギーだと思います。どうしたらその不安を最低限に抑えるか,これを考えるのはやはり必要なのだと改めて実感しました。

3. 結論

最後に,これらのコメントをもらった後の最終的な自分の意見は,「核の特徴を意識して世間的にも原発の情報を発信することが必要」ということです。

それは的確な対策と情報開示の事で,原発側が地域住民と協力しなければなりません。

コメントで出た例も含めると対策として充分な防災措置を原発だけでなく地域にも行なうことが大切です。これは多少大げさでも良いと思います。他の発電法に比べてどんな事態になるか予期しきれないからです。予想してなかった個所が故障したなどのトラブルも,これで対策できるでしょう。

また,原発は施設のメンテナンスの容易さなども考え,コストは後回しにして充分安全な設計にすることも忘れてはなりません。

そして原発周辺住民は原発の関係者と常に連絡を取れるようにし,被爆や火災などに対する防災訓練を行ない,万が一の事故に備える。

これらが不安を最小限に食い止める手段だと私は思います。

基本は皆が事故の可能性を常に意識する事です。

そしてこの対策を含め,原発そのものの仕組みや危険性,それをどう対策しているか,を一般に知らせる事も重要になります。もしかしたら世間は大げさな危機的イメージを持っているかもしれないからです。また,世間一般に原発の正しい知識が行き渡れば,原発周辺の土地の価値も下がる事はないのではないでしょうか。

以上の事を行なえば原発の欠点だった危険なイメージを減らし,原発の更なる発展へつながると思います。

4. 終わりに

今回の文章表現を受講して私は文章を書く楽しさを再発見し,自分の意見を書く事の難しさや人の意見に耳を傾ける事の大切さを感じました。

こんなコメントはよくありますが,本当に実感できたと感じています。

特に人の意見は自分の意見や考えに酔っていた私が水をかけられた様な気分になり,印象に残りました。当初,私は原発周辺住民の不安を「払拭する」という目標を勝手に立て,それを実証するために少し資料を調べたり,文を書きました。しかし,そんな中で「どんな対策を取っても払拭はできないと思う」と言う内容のコメントがありました。ここで私は「不安を最低限に抑えるにはどうすればいいか」と言うことを考えるようになりました。

自分の方針を変えたのです。自分の考えがコメントをもらう事で覆される,こんな事は文章を今まで書いてきた中で始めてでした。そこまで言うのはちょっと大げさですが,それくらいカルチャーショックでした。これが文章表現の特徴であり,醍醐味である要素なんだと思い,文章表現を受けて良かったなと感じました。皆さんのレポートを見る事で更にそう感じました。自分の思う様に意見を展開するため,ある事項については目をつぶる…なんて事が通用しない真剣勝負の答えが皆さんのレポートにはあったのではないかと思います。私もそんな答えにたどりつけていたらいいな,と思いながらこの講座を終えようと思います。

また,今回の議論はパソコンで文字を打つ事に慣れない私にとっては良いタイピング練習にもなりました。本当に少しですがタイピングの速度が速くなり,とても嬉しかったです。

あえてこの講座に意見を言うなら一回でもいいので実際にメンバーの人たちと会話して,ある程度のディベートを行ってからBBSで議論をしたかったです。つまり下地となるような考えを予めグループの皆さんに知ってもらってからオンラインで話し合いたいと感じたということです。タイピングの苦手な私は最初に何から書き込めばいいか迷ったり,うまく伝えられないというもどかしさを感じました。その点が私にとっては,取っ掛かりにくかったです。

とは言ってもこの講座は本当に有益な体験となりました。次回またこのような活動があったらぜひとも参加したい,というのと共に今回よりもっとBBSで意見交換したいと思います。

最後に

細川先生,ティーチングアシスタントの武さん,三代さんありがとうございました。

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細川 「ファンタジーブーム批判」

1. 私がファンタジーブームについて考えようと思った動機

私がファンタジー小説ブームに疑問を抱いたきっかけは,あるニュース番組だ。本の発売日に列をなす人々の映像を見て,アナウンサーは読書嫌いが減る良い傾向だとコメントしていた。そのとき私は,以前自分がライトノベル好きの友人から借りた小説の内容を思い出し,今流行っているようなファンタジーをいくら読んでも,一般に読書に期待されているような効果は得られないのではないかと感じた。 現在支持されているファンタジー小説の傾向として,キャラクターが重視されていること,映画化,アニメ化などメディアミックスがさかんに行われていることがあげられる。最初からそれを目的に出版されているのではと疑いたくなるような,イラスト主体の本も多い。

幼いときに読んでいた童話を再読すると,当時は意識していなかった作品のテーマに気付くことがある。しかし私が知る限り,現在の主流になっているタイプのファンタジーには,考えさせるような問題提起や警告を与えてくれる物は少ない。ではどうしてたくさんの人が今,ファンタジー小説に魅了されているのだろうか。私は,社会の現状と仮想世界を求める傾向の関連について考えていくことにした。

2. 掲示板でのやりとりを通じて

ファンタジー小説について掘り下げる際,私が最も問題にしたのは,その内容と仮想世界が現実に及ぼす影響の二点である。

まず内容については,イラストが多いこと,キャラクターの細かな設定を作品中に表すのではなくはじめに但し書きをしておくことなどから読者の想像の余地を無くし,受け身の姿勢をつくるという意見があった。また,死んだ人間の甦りを信じている小学生の存在をあげ,仮想と現実の混同が起こらないよう割り切るべきだという意見もあった。私は小さいときのごっこ遊びや一人で楽しむ空想は個性を形成するのに役立つので,必ずしも子供のときから現実的な考え方をする必要はないと思う。むしろ子供がカブトムシは乾電池で動いていると本気で信じたりするのは,幼いときに命の尊さを教え心の働きを深めるような経験をすることが少なくなったせいだろう。読書はその中でも重要なものであるが,ヴィジュアル,エンターテイメント性重視のライトノベルなどでは,読者の方で頭を使って補完する部分がほとんど与えられないためその役割は果たせない。

続いて二次元が及ぼす影響に関しては,それがマスコミによって利用され,大衆を特定の意見に導く助けになる危険を指摘し,個人の自覚を促す意見が出た。私は今のところ仮想世界の影響がそのようにある種建設的な力をもつことはないと思っている。ゲームや漫画を含めたファンタジーの世界にのめりこんでしまう人は,実生活になじめないと感じたり,辛い現実から目をそらしたいという意識を持つ傾向がある。だから新たな市場獲得のためにマスコミが作り出したブームにのってしまうことはあっても,政治問題,時事問題について積極的に立場を決定することはあまりないだろう。それよりも私は,ひきこもりや犯罪との関連を指摘したい。極端な例になるが,奈良女子殺害事件の犯人はアニメのキャラクターに異常な執着を抱いていて,その妄想をネットの匿名掲示板に書き込んでいたと言われている。また一日中ゲームをする生活がひきこもりの契機になることもある。

3. 私の結論

なぜ仮想世界に依存してしまうのだろう。それは現在の日本では,自分の行為がもたらす結果をはっきりと目にすることが困難だからではないかと思う。国会中継の方が下手なバラエティよりおもしろいと言われたり,個性的な政治家の発言やゴシップに注目が集まったりと一見政治が身近になったように感じるが,実際の所,重要な法案や政策の決定に私達国民が口を出す余裕はない。昔に較べより多くの情報を得て正しく判断できるようになっているだけに,不満は多いだろう。今は国という一番大きな組織を例に挙げたが,会社でも学校でも同じ事がおきてはいないだろうか。現在のファンタジー小説ブームは,人々が自分の力では変えられない現実社会にうんざりして新天地を求めたために生まれた物だと言える。仮想世界に浸るだけならゲームや漫画でも良さそうな物だが,あえて小説なのは,小さいときから本を読むことは良いことだと教えられてきて罪悪感が少ないからだ。しかし今出回っているファンタジー作品の中には,漫画を書き起こしたのと変わらない物も多い。この現象を文学の形式が新しくなった,時代が違うのだから当然だと楽観的に捉えていて良いのだろうか。

ただでさえ少子高齢化が進む日本で,若い人たちの力は重要である。このまま虚構の世界をこのむ青少年が増加し,現実の問題に対処する人間が年寄りばかりになると日本の社会はますます凝り固まって新しい試みがなされなくなってしまう。ファンタジー小説ブームはそれほど歓迎されるようなことではなくむしろ危険を表していることを意識した上で,色んな本に親しむきっかけとして利用できれば一番良いだろう。

終わりに今回文章表現の授業を受けて,まだ顔を見たことのない同級生のみなさん,TAのみなさんと意見交換することができとても楽しかったです。自分の中ですでにひとつの結論ができている問題でも,他の人と話してみるとまた違った視点に気付けるんだとわかりました。

4月から始まる大学生活のプラスになればいいなと思います。

ありがとうございました。

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桜井 「私とピンキー」

1. 動機

「ペットは飼い主に似る」とよく言われる。私の家のピンキーも噂に違わぬ犬のようだ。

どんな所が私に似ているかと言えば,まずは臆病な性格だろう。私はお化け屋敷やホラー映画が苦手,ピンキーも初めて見るものにすぐ警戒したり,近くを通る大型トラックを大げさに避けて歩いたりする。また,社交性に欠けている点でも,交友関係が広い方でなく大勢の中に入る事が苦手な私と,散歩中の犬同士の挨拶が苦手で,相手に吠えたてているピンキーとはそっくりであると思う。

さらに興味深いのは,最近の私の変化と時期を同じくして,ピンキーにも変化が見られてきた事だ。具体的には,食べ物に執着などしなかった私が,最近は食欲旺盛になってきた事に対し,ピンキーもまた,以前は餌をあげてもすぐには食べ始めずそっぽを向いていたのに,最近は食い意地が張り,あっという間に完食するようになった。それから私は近頃,親と意見が食い違う事がますます多くなってきたが,面白い事にピンキーも近年は自己主張が強くなり,昔より私の命令に従順でなくなったり,家からの脱走をも試みたりするようになった。

血はつながっていないのに,どうして私とピンキーはこんなに似ているのか。ピンキーと一緒にいると気持ちが落ち着くのは,動物が持っている癒しの力に因るだけでなく,自分と似た部分を多く持っている事が原因なのではないか。私はこんなピンキーにとても興味がある。私にとってピンキーは,家族の一員であり分身のような存在である。

2. 議論

私が最初にもらったコメントは「ペットが飼い主に似るのは,私達が尊敬する人を真似てみるように,ペットも飼い主を尊敬しているからではないのか」というものだった。私はペットが飼い主に似るのは,自分が育てられたように飼い主がペットを育てるからではないか,という意見を持っていたので,このコメントがペットに主体を置いているのに対して,私の意見は飼い主に主体を置いている点で違っていた。後に「同じ家庭で暮らすゆえに似る」というコメントをもらい,こちらはペット主体ではなく外的要因とした所が私と同じだった。

例えば,ピンキーの食欲が増してきた所などは,私の生活習慣が少なからず影響したのではないかと思われる。これに対して私が見落としていた,ペットが意識的に飼い主に似ようとしているという考え方に触れて,私は新しく違った視点からピンキーについて考えてみようと思った。ピンキーが意識的に私に似せようとしたのは,どのような所だろうか。それはきっと,強く自己主張をするようになった所だと思う。「犬って本当に人間を見ている」というコメントももらったが私も全くその通りだと思った。ピンキーは私と両親のやりとりを観察しながら,自分もあんなふうに自己を強く出していきたいと思ったのかもしれない。本当のところはもちろん本人(本犬?)の口から聞いてみないと分からないが,「ペットが飼い主のことを尊敬に値しないと判断してしまえば,(中略)飼い主に似るなんてことは絶対にないはず」とのコメントを受けて,なるほどピンキーは確かに私を尊敬してくれているのかもしれないと感じた。犬の視点から「似る」という事を考えてみて改めて自分はピンキーに心の奥まで見られている,そんな気がした。

そして最も印象的だったのは「ピンキーは似ているというよりも飼い主と一緒に成長しているのではないか。飼い主が『こうあって欲しい』という想いで見るから,似ていると思う所もあるのではないか」というコメントだった。この意見は改めて自分の考えを見直すきっかけとなった。確かに自己主張が強くなる事や,食欲が増す事は成長の一段階であり,それらの変化が私とほぼ同時に起こったという事は,共に成長していると捉える事もできる。また,ピンキーが臆病だとか社交的でないとかいうのは,私が勝手に作り上げてしまった性格なのかもしれない。犬と人間は体の大きさが違うし,コミュニケーションの方法も違う。人間世界と犬世界を同じものさしで測るのは間違っていたのではないかと思えた。

3. 結論

議論の内容を振り返ると,ピンキーが私に似ているという事について自分なりに整理できてきたのでまとめてみたいと思う。

まずピンキーは日常生活の中で私や家族を実によく観察している。そしてここからは仮説になってしまうが,おそらく私の尊敬する所を意識的に似せようとしている。またそれだけでなく,同じ家庭で暮らすゆえに無意識的に似た所もあるのだろう。私は議論をしながら,ペットが飼い主に似るのは特別な事ではなく,むしろ当然な事で,それは同時に家族である証のようなものだと思えてきた。飼い主を信頼し,尊敬していて,同じ家庭で暮らしているからこそ起こる現象だと考えたからだ。また,「逆に私や私の家族がピンキーに似たと思う所はどこか」という質問に私は明確な答えを出せなかった。共に成長しているならば,少なからず相互に影響し合っているはずである。ピンキーについてまだまだ理解不足な自分に気がついた。しかしこれは私自身とても興味深い問いなので,これからぜひ探りたいと思う。

最後に,初めの自分の結論:私にとってピンキーは,家族の一員であり分身のような存在である,の「分身」の部分を少し改めたいと思う。もともと私とピンキーは一つだった訳でもなければ,双子でもないし,私はピンキーを部分的に恣意的視点で見ていた事も分かったので正しい表現ではないと思ったからだ。ピンキーは私をよく観察し,心の変化を見逃さず,癒してもくれ,私と共に成長している。だから今の私にとってピンキーは共に成長する家族であり,その目は今日も私の心を見つめている。

おわりに

文章を書くこと,考えることが本当に苦手でこの活動に参加した私は,この一ヶ月で自分の思考の幅の狭さをえらく実感しました。今まで考えてもみなかったことや知らなかったことに多く触れることができて,とても貴重な体験だったと思います。

自分にとって身近なテーマを選んだせいもだいぶあるかと思いますが,以前よりも文を書くことに対する憂鬱な気持ちが減ったように感じています。貴重なコメントや評価をくださった法学A,政経Aのみなさん,TAの先生方,本当にお世話になりました。これから論文などを書く際に行き詰った時は,この文章表現での体験を思い出して何とか頑張ってみようと思います。

ありがとうございました。

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山崎 「言葉遊び」

最初のテーマ『笑い』だったのですが,これがなかなか読みにくさ,テーマの抽象的さ,といったら大層な物だったので,「これは変えないと!」と思い,テーマを変えるため必死に考えていても,頭が『笑い』でいっぱいでなかなか考えられなかったんです。だからといってもテーマを『笑い』のままにしたら二の舞だし・・と考えていると今回のテーマである『言葉遊び』にぶつかったのですが,けど狭いテーマだなあ,なんてと思いつつ書き進めていくと,こいつがなかなか面白い奴と分かってくるんです。ゆえに,こいつは矢吹丈に対する力石徹みたいなやつだとか言ったりします。ま,これでわかるはずがないと思うので,では例を挙げましょう。ある有名な小説の題名から・・・

「我輩と猫である。」

なんかおかしいですね。普通の人なら赤ペンで「我輩は猫である。」と書き直しますが,『言葉遊び』だと,「普通じゃん。」だとかつっこみ見たいな事を書き足してしまいます。要するに,『言葉遊び』とはこのように常識の間逆を行きつつ,何にでも何か足して面白くしてしまおうとする遊びなんですね。

私はこれを友達と話すときにやってます。けど,やってるとき少し気になっていたので,今回このような他人の意見を交えつつ書ける場があるんならやっとこう。という勢いで選んだんですが,今の時点ではこれさえ分かりにくくなりそうで,お先真っ暗なんですね。

でも,そんなこと言いますけど,こいつに関する話はたくさんあり,またこいつとは長い仲なんです。

私の中学時代,環境がいいんだか,悪いんだか分かりませんが,周りが笑いに滅茶苦茶厳しいんですよ。もうつまんないこといったら,「はいはいもういいよ。」みたいな感じで皆無視するんです。

もはやサバイバル状態なんです。だから生き残るためには面白いことを言わなければならない。

ゆえに,こいつを多用したというわけです。わたしにとってこいつこそが生き残る手段とも言いましょうか。でも有難いことに高校時代はそうでありませんでしたね。皆が笑いに優しいので,もうあんなことをする必要がないわけですから。とにかく,そのような付き合いでした。

そんな感じでBBSに向かっていくと,やはり自分の意見の浅さに気が付かされましたね。本当に周りの意見の深さにわたしは感銘させられるばかりでした。まずはこんな質問「なぜ大人なのか」。この質問,最初のレポートにおいて「『言葉遊び』は大人な遊び」という表現に対するものなのですが,正直言いますとその質問を見て私も「何でだろう?」と思ってしまいましたね。そのレポート自体,徹夜で書いたものなので考えがインスタントだったので。それをなんとか成立させようとして,無理矢理回答しましたが,その回答もおかしくなりました。

「あなたの周りにウルトラマンになれたらと思う人はいたでしょうが,だれもバルタン星人にはなりたい人はいなかったでしょう?」

これは曖昧の極地でしょうね。「あ,分かるかも~。」っていうニュアンスのレベルに過ぎませんから。そしてそんな回答にこんな突っ込みを入れられてしまいました。

「普通とか常識的な答えを出すレベルを超えて,それらをはぐらかすような答えを出している」

確かにそうですね。はぐらかしました。逃げました。しかし,こんな鋭い突っ込みを入れて下さったお方が私の探していた答えへと導いてくださいました。では,次の意見をご覧ください。

「私の場合は,常識的な答えでいっぱいいっぱいの子どものレベルを超えて,常識を脱する見方を身に着けてこそ,この遊びができると肯定的に捉えています。」

本当に,この意見は私の頭を金づちで殴るかのような強い衝撃を与えてくれましたね。「これが探していた答えじゃん!」と画面に向かって本当に言いたくなりましたし。つまりこういうことです。『言葉遊び』とは常識を持っていて,それを裏切れる能力を持ってこそできる遊びである。これがBBSで分かったことのひとつです。

では,分かったことの二つ目に参ります。まず,次の意見を読んでください。

「『言葉遊び』,自分も似たようなことを前にやったことがありますね。今考えてみれば,そんなに面白くないことでも友達同士で大爆笑したり,時には日本語の文法云々の話題に発展したり…。」

この意見のような体験,私にもよくあるんですよ。駄洒落みたいに面白くないことで笑うこと。私はこれも実は『言葉遊び』の一例だと考えています。だって,こんなものは普通シカトされるもんです。

ですが,それぞれの中にある何でもおもろくしたろう精神が働き,勝手にそんなもんを『言葉遊び』してしまい,笑うという結果になるんでしょうねー。この場合,頭の中では付け足すものが言語化せずに感覚だけのものになっていると思いますが,言葉にすると『馬鹿かお前』みたいなものでしょう。という様に,なぜわらうかの理由は,どうしようもなくつまらないものにはこのようなものを足して無理矢理にでも笑おうとするからでしょうね。

とまあ,BBSのやろうには考えさせられました。このテーマとは関係の無い話ですが,他の人の文章読んで凹んだり,.真似しようとして失敗もしましたし。そして,何より一番思うことは自分が感覚で分かっていたことを他の人が適確に言語化してくださったことへの感謝ですね。『言葉遊び』は大人の遊び?実はこれは自分で書いておきながらなんですが,違うなと思ってました。けど,違う言葉に言い表せないので,まあ放置したと・・言うことなんですが,読んでくれた方には申し訳なかったなと思っています。では,まとめさせて頂きます。今回分かったことは,『言葉遊び』は意識あるなしに関わらず行われており,何でもおもろくしたい精神から来る常識人の遊び。ということでした。

・・・とまあこれで自分の意見の浅さが伝わったでしょうし,あと『言葉遊び』が私の意見より深いことも伝わったでしょうね。今回のこの機会,私にとって辛く,楽しく,また辛いものとなりましたが,この機会にめぐり合えてよかったなと思っています。

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山方 「「韓流」について考える」

私は,「韓流」日本上陸を待ち望んでいた人の一人です。日韓共催サッカーW杯の始まる少し前,ある韓国の歌手の歌に衝撃を受け韓国に興味を持つようになり,そこを切り口に韓国全体へと興味が広がりました。同時に,歴史的な背景などから受け継がれてきた偏見や固定観念を持っていたことを恥じたのでした。また将来は,「韓流」やアジアンエンターテイメントに関われる活動をしたいと思っています。今までの,そういう自分が180度変わった,つまり,「韓流」は自分にとって,人生のターニングポイントなのです。

そんな私がここで「韓流」をテーマに取り上げるのは,「韓流」のメインターゲットが40~60代女性中心であることを裏返すかのように,少なくとも私の周りからは「韓流」や韓国に対する良い意見を聞くことが少ないからです。以前BoAの曲を校内放送の番組で流したときに,「韓国人の曲なんか流すなや。」と言われました。また,国語の授業のとある場面で「日本政府は歴史問題をないがしろにしているのでは。」という発言を私がしたところ,私と同じクラスのバンドのウェブサイトの「右のはなし」というページで,「左翼代表」と名指しされたこともあります。もしかすると,このような偏見や固定観念によって彼らが「韓流」を悪い目で見ているのではないのかと思うのです。また,ここまで酷い事を言われると,古き日本人の悪いものが残っているのではと不安になるのです。

そして,これらの要因が結果的に「韓流」が若者へと浸透せずにビジネスとして苦しくなる原因になり得るではないかという推測に至るわけです。

今回,大学入学前公開講座「文章表現」インターネットオンデマンド授業のBBSで私の考えを聞いていただき,多くの人から意見をいただきました。

まず,多くの人に指摘されたのが巨大主語の多様でした。私が,「我々」や「日本人」などの巨大主語を使ったために,「私は悪いイメージなど持っていない。」といった意見を多々書き込まれました。多くの人を傷つけてしまったことは,自分にとって本当に残念なことであり,申し訳ないと思います。メインテーマから少し逸れますがここでわかったのは,偏見が無くなることを希望しながら,まるで自虐的に,自分が日本人に対して偏見を持っていたということです。一部の人間に対する怒りが,いつの間にか巨大主語「日本人」に還元されてしまい,偏見へと育てしまったことが自分でも許せません。

次に,「若い人たちが韓流そのものに興味がないのでは?」という意見をもらいました。これはとても有望な言葉だと思います。もしそうなのなら,マーケットの余地がまだまだあるということです。確かに言われてみれば,韓流の報道をしているのはワイドショーが中心になっています。要するに市場そのものが,立役者である40~60代女性のみをターゲットにしているように見えるのです。今後は,どのように「韓流」の市場ターゲットを若い人へとシフトしていくかが,この市場の穴を埋めていくヒントになるものと思います。

そして,今回のBBS上で韓流に対する批判的な意見を聞かなかったことで何より安心できました。ただ,同時に批判的な意見を聞かなかったことで,その真意が理解できないまま終ってしまうというのも自分にとっては惜しいことです。これを理解する事が出来れば,もしかすると新たなビジネスターゲットが開けるかもしれません。ただ,どうにもならない壁もこの世には存在するので一概に言う事は不可能でしょう。

最後に,韓国在住のティーチングアシスタントの方より貴重な情報を聞くことが出来ました。韓国に日本の芸能はもっと深く定着しているということです。これに関しては,私も肌で感じました。昨年の夏,受験勉強が大変な中,広島市の派遣という形で韓国の釜山に行き,更に冬にはそのときに知り合った韓国の友人の高校に体験入学させてもらいました。知り合った韓国の高校生は,日本の音楽やドラマや映画のことを私に話してくれました。街に出れば中島美嘉の「雪の華」をパク・ヒョシンがカバーした曲が引っ切り無しに流れていました。KMという音楽専門ケーブルテレビチャンネルではJ-POP特集を行っていました。このように韓国のジャパニーズエンターテイメント人気の中心が若者であるのに,日本での「韓流」はその逆であることは将来的に考えれば,どうしてそうかは後述するとして,かなりの問題になり得ると思います。

さて,今では日本でコリアンエンターテイメントに触れる機会も格段に多くなりました。しかし,まだまだ経済的に発展の余地がどんどんあるのではないでしょうか。少なくとも日本の韓流の市場に穴があることは確かです。

それが,若者向けだと思います。そこを攻略しなければ,新たな資金獲得がいずれ難しくなるのでしょう。今年,考えればできるはずの若者に韓流をシフトすることができなければ,アジアで資本力の最も強い日本での韓流ビジネスは苦しい局面を迎えるかもしれません。

また,日本側にも問題があると思います。果たして,韓国ドラマを購入し放送するだけでいいのでしょうか。一番勉強しなければならないのはコリアンエンターテイメントのビジネススタイルであるはずなのに,そのようなことがあまり見えてきてはいません。タイムリーな話題に触れれば,ライブドアがメディア業界に持ってこようとしているものの一つが韓国テレビ局のビジネススタイルであるのにその事に対して全く反応しないのは,日本のエンターテイメントビジネスが未だ古い体制から抜け出せていないことの証かもしれません。

そして,日本,韓国,そしてアジアのエンターテイメントを国際競争力のあるグローバルビジネスに発展させるためには,自国に固執しない投資環境も必要だと思います。韓国国内では映画ファンドが盛んに行われています。

日本も先日初めて映画ファンドの公募がありました。もう既に韓国映画「僕の彼女を紹介します」は香港の映画プロデューサーであるビル・コンとの共同制作を行っています。これからは,国内のみならずグローバルに資金を調達する事によって,より強力なアジアのエンターテイメントを作り上げることが出来ると思います。ここで重要になるのが,前述した韓流の若者シフトです。21世紀を担う若者が日韓のエンターテイメントの興味を相互に持っていれば,本当に円滑な資金調達とグローバル化を進めることができると考えています。

自分は「韓流」やアジアンエンターテイメントを世界ビジネスとして操っていける位な大きな存在になれるよう頑張ろうと思っています。この全ての始まりは「韓流」を知ったことです。それを考えれば,私にとって「韓流」はやっぱりターニングポイントなのだ,と改めて実感しました。

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志賀 「スポーツの在り方」

私は,スポーツの在り方について考えた。それは,見ている側が恐怖を覚えるようなことが起こったからだ。

私自身,スポーツ,殊にバスケットボールには,しばしば感動させられる。毎試合必ず全力を尽くし,決して基礎を怠らずにプレイしている選手達には,バスケをしている身としても,観戦している身としても本当に感動する。思いのほか,スポーツは自分にとって身近なものなのだ。テレビをつければ毎日スポーツニュースが流れている。種目を問わず,地元にはプロのチームがある。ファッションにも影響があるし,スポーツはやることも観戦することも楽しい。しかし,そんな身近で楽しいはずのスポーツで観客を巻き込んだ乱闘事件が起こったのだから,スポーツの好きな人々にとって決して他人事ではない。実際私は現在のスポーツにはいくつか問題があると思う。その中の一つが今回の乱闘で起こったようなことだ。

その乱闘は,NBAバスケットボールの試合中,選手間のいざこざの中,観客が飲んでいたビールを選手に投げつけたことのよって観客を含んだ殴り合いになったというものだ。

終いにはパイプ椅子が投げつけられるほどで,子供達は恐怖にうずくまり泣いてしまった。

この乱闘によって観客を殴った選手をシーズン全試合出場停止にし,裁判も行われている。

このようなことがあったからこそ,身近であるスポーツを維持していくためにどう在るべきなのかを「今」皆と考えてみた。

まずは処分に対してのこと。今述べたように,NBA(米プロバスケットボールリーグ)は,最も重い選手には全試合出場停止という処分を下した。

当初私はこの決断に納得できなかった。もし自分がビールを突然投げつけられたら怒るのは当たり前だと思ったために,処分は重すぎると思った。ただ,その気持ちは,その選手が自分が応援しているチームの選手であったがための主観的な意見だったことにインターアクションを通じて感じた。

「殴り合いに加わった以上罰を受けるべき」,「クビにならなかっただけまだ良かった」,確かにそう思うようになった。もっとも今回のことは明らかにスポーツの範囲を逸脱して「事件」になっている。やはり暴力を振るった選手が出場停止などの処分を受けたことは正しい判断だったと思う。

加えて,観客はどうあるべきなのか。今回の意見交換で他のスポーツの事も教えてもらうことが出来たが,とにかくサッカーにしてもバスケットボールにしても,マナーを守ることが第一だと思う。これに関しては最初から皆と共感できた。マナーを守れないようになるのだったらアルコール類の販売が禁止になっても仕方の無いことであるし,それなりの規制は免れない。感情的になりかけても「頭は冷静に」いることがもっとも正しいことだと思った。ブーイングなどはご愛嬌かもしれないが,試合後,試合結果に不満を抱いて暴動を起こしたり,今回のように乱闘を起こすことは許されない行為である。たとえ選手がスポーツマンシップを持っていても,観客もそうでなければ意味が無いと思う。

さらに,今回の乱闘の場合は,バスケットボールの会場であったから,というのもあるかもしれない。つまり,バスケットボールは選手が手の届くところにいるのだ。コートと近いのはトラブルのもと,という意見があった。確かに近ければ近いほど野次が選手の耳に入ってトラブルは多くなるかもしれない。しかし,私は距離を遠ざけるよりも警備を強化する方がいいと思う。なぜなら,近いほどやはり臨場感を味わうことが出来るし,何よりも今まで距離が近いことで選手と観客との良い交流がたくさんあったからだ。試合前にサインをもらったり,会話したり,ハイタッチしたり,また選手の方も子供達と積極的にコミュニケーションを取っている。このような交流を失うことはあまりにも勿体無いことだと思う。

さらにもうひとつ,バスケットボールに限らず互いに対戦相手に敬意を表することだ。

この意見には全員一致だった。最近ではサッカーの国際試合でも話題があったが,やはりお互いの活躍を称え合うことが勝ち負け以上に一番素晴らしいことだと思う。

私が最終的に思ったことは,スポーツが「スポーツで在る」のが最も重要だということだ。決して深い意味を持たせたのではない。ただ純粋に,スポーツが在る場所はスポーツをする場であり,見る場であるべきだということだ。エンターテイメント性を重視して楽しくすることも大切かもしれないが,とにかく問題が起こったりあるいは起こしたりする場であってはならないことだけは確かだ。選手にはお金を貰っている限りプロ意識は必要であるし,観客には一定のマナーが必要とされる。最近では政治的事情や国家関係,さらにはテロの脅威がスポーツに影響を及ぼしつつあるが,誰もそんなことは求めていないのだ。必死にプレイする選手や相手を尊重することが感動を呼ぶ。スポーツから逸脱した行為は,今回の乱闘のように罰則を受けるべきだが,何よりもスポーツの感動をかき消してしまい,楽しさも何も無くなってしまう。

スポーツが誰にとっても身近なもので誰にとっても楽しめるものであるために,スポーツが感動を与え続け子供たちに勇気を与え続けるために,スポーツが「スポーツで在る」という最も根本的だが最も重要なことを忘れてはならない,私はそう考える。

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時下 「文化祭」

私の通う高校では毎年6月に文化祭があります。文化祭は歌コン(合唱)の部,文化の部,体育の部に分かれていて準備や後片付けを含めて一週間かけて行われます。文化祭に参加して楽しいことも嫌だと思うこともありましたが今ではとてもいい思い出となっています。しかし文化祭は思い出作りや楽しむためだけにあるのでしょうか?私は文化祭を通して学べることがたくさんあり,自分自身が成長できたと感じるところがあります。

まず一つ目は納得するまで話し合うことです。今年はクラスの実行委員をしていました。私達のクラスでは演劇をすることに決まり,実行委員を中心に台本を作っていくことにしました。以前の私であれば自分に考えがあっても友人に他の案を出されると「いいよそっちの考えで」というふうに少し納得できない部分があっても折れてしまっていました。しかし今回は最後だからいいものにしたいという気持ちとどうしても納得できないところがあったのでとことん話し合いました。話し合うことはとても難しいんだなと感じました。しかし,人と話し合うと自分とは違う意見が出てきて驚き,考えが広がります。言い争いのようになってしまったこともありましたが,納得するまで話し合ってみると今までもやもやしてと感じていたものがすっきりとしました。

二つ目は人見知りが少なくなったことです。私は幼稚園から中学校まで持ち上がりに近い状態でした。小さい頃から両親が困るくらい人見知りが激しく,また初対面の人と話すということがなかなかなかったので高校に入学した頃は自分から話しかけるということはありませんでした。しかし文化祭の準備を始めるとそんなわけにもいかず,気がつくと自分からどんどん話しかけるようになっていました。

上の二つのことより文化祭は私の成長の手助けをしてくれたものだと思います。

BBSで意見をもらい考えたこと『文化祭に参加すること』

文化祭などの行事になると盛り上げるのが上手い人が出てきてクラスの中心となり盛り上げてくれます。私は文化祭の準備をしているとだんだんとテンションが上がってきて終いには騒いでいる人だと思います。しかし文化祭に参加するということは盛り上がることと等しいのでしょうか?私の友人(パソコンで打つのが早い)は部活での自分の準備が終わらずクラスの準備にでられないからと言って台本を打ってきてくれました。打ち上げの前,友人は「本当に打ち上げいっていいの?私何もしてないのに」と言っていました。友人からすればほとんどみんなが騒ぎながら準備している輪の中に中に入ることができず,人手が足りないのに手伝うことができなかったと思い口にした言葉かもしれません。しかし私は盛り上がって準備したことだけが文化祭に参加したことの証だとは思いません。クラスの中で抜けているところのサポートをしていく,こういう参加の方法もいいと思います。

BBSでのやりとりで一番共感できたこと

『体育祭にしても文化祭にしても確かに盛り上げるのがうまい人が盛り上げることもあるかもしれませんが,それ以上に忙しい部活の合間を縫って手助けに来たり,朝早くから夜遅くまで仲間と協力して作業を進める。といったいろいろな形でクラス全員が関って一つのことをやり遂げる事の方がよっぽど大事だと思います。だって体育祭や文化祭以外にクラスが一丸となって打ち込める物ってないじゃないですか。』私達の文化祭は6月なのでまだクラスがバラバラの状態である4月から文化祭の準備を始めます。準備をしていく上でだんだんと結束力が強くなっていきます。私はクラスがよくまとまっているクラスほど準備がスムーズに行えていたり,最後の追い上げですごい力を発揮できたりするような気がします。文化祭をやり遂げたあとの達成感は普段の生活の中では感じることのできないものだと思います。

文化祭は私の生活の中で非日常の世界です。だからこそ普段の生活ではなかなか学べないようなことがたくさん散らばっているのだと思います。その散らばっているものに気付くと少しずつ成長できるのだと思います。

また,私が文化祭で得たものはクラスの仲間です。私を成長させてくれたのも,充実した文化祭となったのもクラスの仲間がいてこそだと思います。文化祭を通してみんなで力を合わせれば1+1=2だけではなく2以上の力が発揮できることがわかりました。さらに一緒に苦しんで,ともに笑ったクラスの仲間たちはクラスがバラバラになっても良き相談相手です。

最後に

次の言葉は学校の階段の踊り場に貼ってあるものです。(木高祭とは私が通っている高校の文化祭のことです。)『木高祭は我々の持っているものの総和ではなく持ちうるものの総和である』今までは筆で書いてあるので読みにくく深く意味まで考えたことがありませんでした。

私は「私達は未知数の力を持っていて,それぞれがもっている自分の得意分野が合わさってクラスがまとまればまとまるほど大きくて,不思議な力が働く」ということを示しているのだと思います。

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秋山 「経営」

今私が最も興味のあるものは「経営」です。これには大きな要因が2つあります。

一つ目として,父,祖父の存在です。私の父と祖父は今,山梨県で二人で力を合わせて経営をしています。私はそんな二人が協力し,会社の拡大に尽力を尽くす姿を幼い頃から見てきました。そうしていつの日か私も彼らのように会社を経営してみたいと思うようになりました。また,父,祖父から「経営には頭が良いだけではだめだ。我慢強く耐えること,人を大切にし敬うこと,常に正々堂々と正しい道を歩む事が必用なのだよ。」とちょっとした父と祖父の経営の極意のようなものを聞けたのも大きく影響しました。

そしてもう一つの要因としては,早稲田大学理工学部経営システム工学科に入学が許されたことです。私は以前から経営に携わりたいと思っていましたが,経済,商学部などの文系の学部に進学する気はありませんでした。むしろ父は理系の学部の出身です。そんな父から「確かに,経営というものは文系的な考えの要素がとても大きい。しかし,必用なことは理系的に考えられるかと言うことなのだよ。」と教えられてきました。

そこで念願の理系的な経営を学べる早稲田大学理工学部経営システム工学科に入学出来るのですから,私の今最も興味のあるものは,「経営」特に「理系的な経営」です。

ここで前述した「文系的な考え方」と「理系的な考え方」を私なりに説明していきたいと思います。まず「文系的な考え方」からです。「文系的な考え方」とは,以前起こった事を持ち出し考える,つまり今までの経験をもとにして考えていくことだと思います。次に「理系的な考え方」です。これは常に根本に数字をおき考えることだと思います。

ではこれをもとにして私が学ぶ「理系的な経営」と「文系的な経営」の違いを説明したいと思います。どちらの経営も事業を営むこと,またその枠組みということで同じだと思うのですが,最大の違いは考えるプロセスだと思います。文系的な経営は「その現象が起こると次はこの現象」という定理みたいなもので次の事柄を考えていくのに対し,理系的な経営は「数字(例えば株価など)の値から次の手を判断する。」というように根本に数字がある考え方だと思います。

また,私が学ぶ経営システム科についても説明しておきたいと思います。まず,前述したように経営とは,事業を営むこと,またその枠組みのことを言います。ここでは必ずしも営利目的の企業だけでなく,公共団体,学校などの非営利組織の計画,運営などにも用いられます。次にシステムとは,目的性,問題を解決するために設定された要素の複合体である集合性,要素間に目的や使命に適した関連をもつ整合性の実体です。では経営システムとは,組織における目的達成または問題解決のために組織の枠組みと独立に設定されたシステムを意味します。最後に経営システム工学とは,様々な組織における問題を発見しシステムのデザインと実現のにより,問題を解決する為の工学です。また最新のコンピューターを活用するのも特徴の一つだと思います。

最後に

私にとって経営とは何であるかということを書きたいと思います。私は前述のように幼い頃から父,祖父という偉大な先輩の姿を見て育ちました。その頃の私にとって経営とはちょっとした興味本位の気になるものでした。しかし,今,父から私にとって新しい側面をもった理系的な経営の存在を知り,そんな経営について授業を展開している早稲田大学理工学部経営システム工学科に入学できる今経営は私にとって念願の目標から人生最大の目標へと変わっています。よって私にとって経営とは私の人生の一部であると言えます。

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小菅 「サッカー」

2002年の日韓共催ワールドカップでの成功によって日本中でサッカーに興味をもちはじめた人が急激にふえた。高校サッカーの大会でもスタジアムにまで足を運んでくれた大勢の人達の前でプレイできて本当に嬉しい限りだった。12年前,1993年にJリーグができて人々は熱狂したが,俗に言われるドーハの悲劇の後から日本サッカーは低迷期をむかえ,観客動員数も極端に減った。なぜ人気がなくなったのか。要はほとんどの人がミーハ-だったってことであると思う。当時小学生の僕もそのひとりであったことに疑いはないが。当時の人気選手がボールをもったり,ゴールを決めたりすると騒いでいたそのひとり。いま考えてみると,この試合の見方が低迷期をむかえさせたといってもよいと思う。スタジアムへの交通の不便さや気候条件など様々な要因は考えられると思うが一番の原因はサッカーの試合を見ずに選手とボールだけ目で追っていた当時のスタイルなのだと思う。私が現在思うに,当時の大部分の人はサッカーを見に来てはいなかった。みんな行ってるんだから行こう的ないわゆるノリでスタジアムに足を運んでいたのではないだろうか。無論,当時はプロリーグができたばかりであったので仕方ない部分もあると思うが。

このようなえらそうな意見を言ってる自分であるが,突然こんなことを思いついたわけではない。10歳から8年間サッカーを自分でやってきて,Jリーグやヨーロッパのサッカーを夢中で見てきて,サッカー関連の本や雑誌を読んで,時には将来コーチ業としてサッカーに関わっていこうなどと浅はかな考えを抱いたりしながら。そしてあるイタリア人監督のインタビューを聞いて自分なりの結論に至った。そのインタビューで日本人記者が「明日の試合はネドベド(選手の名前)が出場できないため苦戦必至ですね。」と聞いて,彼は「確かに彼が出場できないのは残念だ。しかし,そこを補うのが私の仕事でありチームというものなんだ。このチームの中心はたしかにネドベドであるがこれまで私が示してきたものはネドべドのひきたてるパフォーマンスではない。数多くボールにタッチして,シュートを多く決めるからネドベドをグッドプレイヤーだと考えているのだろう。君たちはボールを追いすぎている。もっとリラックスして全体を見渡してくれればサッカーというものがわかるだろう。」by マルチェロ・リッピ:現イタリア代表監督

現在私の抱いている選手よりもサッカー全体を見ようという考えはこの発言に強い影響を受けている。いや,受け売りもいいとこであろうか。この発言をどうとるかは人それぞれであるし,「かっこいいこと言うなー」ぐらいでなんとも思わない人が多いと思う。しかし,私はこの発言を受けて私は日本人のサッカーの見方の誤りという考えにまで至ってしまったのである。

リッピ監督の発言もそうであるが,近年のサッカーは選手全体でのチームとしての動き(私はこれを監督の戦術と呼ぶ)が非常に重要度を増していると思う。もちろん選手個人の能力により勝敗が決まってしまうこともある。しかし,日本でも非常に有名な選手を多く擁するレアルマドリードが今季2回も監督交代に追い込まれたほどと言われる相手に勝てなかったという事実はいかに戦術が重要であるというわかりやすい例ではなかろうか。

無論チーム側も監督を交代させたということは戦術に問題があったと考えてのことであるだろうし。また先日のワールドカップ予選で,個人の能力の差から圧倒的有利と言われていた日本が2-1と苦戦した一戦もいい例であると思える。

このような実体験を通して,自分のサッカー観は変わった。しかし,試合を見ていると,興奮して戦術がどうとか言ってる場合ではないと自分も思う。スタジアムのゴール裏の席になんか座ったらずっと飛び跳ねながら歌を歌い続けなければならないし。だから私は試合の後スポーツバーで皆で「ここにスペースをつくらないダメ」とか「どこかでドリブルでしかけないとゴール前に敵がはりついたまま」などとサッカーの戦術語るのが好きだ。

知らない人同士でもサッカーの会話で仲良くなれたりもする。もちろん私はこうサッカーをみるのが好きというのはそれぞれであっていいと思う。自分が考えるサッカーの見方の違いでファンが離れたというのは現在日本がアジアNO1になるほど強くなった日本サッカーからして考えられないだろう。だが,監督の戦術を自分なりに解釈し,全体を見渡すというマニアックな行為はサッカー好きな人をよりのめりこませる手立てであることに疑いはない。

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松崎 「歴史教育」

動機

小学校五年生の受験勉強の最中に出会った一つの衝撃が,僕を今でも掴んで放さない。

見渡す限りの廃墟。多くの人間が原形もとどめず消えていった。八月六日,この日をヒロシマは忘れないだろう。資料館で生々しいまでに飾られた爪やへこんだ水筒に,辺り一面が地獄と化すような幻を見た。そしてこの三日後,同じような苦しみを今度はナガサキが味わうことになる。

歴史は暗記の教科だと思っていた。ラインマーカーを引いて,下の方にかかれた小さな文字もよく読めば点数がとれる,それだけの教科だと思っていた。歴史をやる意味なんて,どこにも求めたことはなかった。

目を開けるとそこに転がる現実。戦争が残していった残骸。“見る”そして“感じること”が,今までの僕の歴史に対する見方を吹き飛ばした。同時に,何故歴史を学ぶのか,その原点に僕は立っていた。

今起きていること,今自分のいる状況は歴史の延長線上に必ずある。そしてそれは,未来へと繋がる一本の橋なのだと思う。歴史はお勉強,今自分が生きているのは現実,と割り切って考えてしまうと見えてこないものが沢山ある。

僕自身がそうであったように,生で資料に触れることが自分を,そして考え方を変えるきっかけになることがままある。紙に印刷されたインクだけを頭に詰めてわかった気になる,そんな授業はもうやめて,一人一人が自分の足を使って知識を穫りに行く。そんな教育の在り方を僕は提案したい。

議論

議論とは常にそうなのかも知れないが,自分が当然伝わっているだろうと思うことが相手は受け取ってくれていなかったりする。それは相手の理解力不足ではなく,むしろこちらの「わかってるでしょ」という傲慢な態度に原因があるわけだが,そこがまた議論を深みのあるものにするのだと僕は考える。

というのも,「わかっている」というのは自分の中で言葉にあまりしないけれど漠然と理解している気がするだけであって,他人から「これってどういう意味?」と突っ込まれると改めて自分が思っていたほどに自分は思考していないと知らされるのである。

歴史教育は,もし自分だったらどうしていきたいか?という質問を頂いた。今まで歴史教育に対する疑問を投げかけ,決して大それたことは言っていないはずだが,なるほどそう聞かれると詰まってしまう。批判は代案がなければ効果が半減してしまうものであり,その根本の部分を気づかせてもらったことに感謝している。

歴史教育について僕が思うことは,始めるのが少し遅いのではないかと言うこと。それからもう少し人間というものの見方を入れても良いのではないかと言うことだ。歴史の主人公は人間だ。彼らが動き回ったその軌跡を追いかけ回すのではなく,背景にある心情を読み取りたい。自分がもしその場にいたらどう行動していたのか問いかけてみても良いだろう。歴史が提示する未来に耳を傾けることの第一歩は,そうしたことから始まるのだと思う。そして,歴史教育の枠を超えて,人間はどんな存在だといえるのか。自分は今どういう人間で,どういう人間になっていきたいのかを見つめる時間的ゆとりも欲しい。ゆとり教育とは,そもそもそんな感じに仕上げるべきではなかったのか。

議論を通じて,自分が考えていることがより具体的になったし,また明確になったと思っている。自分では見えない側面,他人から指摘されて初めて気づくことなど,大切なものを教わることができた。何よりそうした企画を組んでいただいた細川先生はじめ,TAの方々に感謝したいと思う。

結論

名前を覚えるだけでも辛いくらいに歴史は登場人物が交錯し,ストーリーを展開していく。そのため僕が提案する歴史教育が行われるためには莫大な時間が必要になってしまい,正直それが実現の方向に向かうとは考えにくい。

しかしながら,小さい枠の中であれ,「今まで歴史をそこまで深くは考えなかった」と意識してくれた人がいたと言うことで,目に見える大きな変化ではなくても何かが変わったのだと思う。より多くの人が,自分の物差しで歴史とは,そして人間果ては自分というものの存在を思考する社会でありたい。そして本当は何気なく触れている人間の一人一人が尊い存在なのだと実感することができたら,他者をも思いやることができると思う。世界が体験してきた多くの死や殺しは,そうした努力で防げたと思う。だから僕は,殺し合いを止めるものは武力でも権力でもなく知的な思考なのだと言うことを明言したいと思う。

事態は大きく変わらなくても良いと思う。じわじわとゆっくりでも,少しずつ社会全体が過去を見て,そして未来に役立てる意識を持っていけば,それが一番良いのだと僕は思う。

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植田 「環境問題」

部活も引退し受験も終わり有り余った時間の中私はどうしても観たかった映画を見た。

それは宮崎駿さんが監督として作ったもの,通称ジブリシリーズである。ほとんどの友達が見たことがあると言っている中私は「となりのトトロ」ぐらいしか見たことが無かったので興味を持っていた。そうして私はジブリシリーズを見たところ,私の心の中に残ったものは感動ではなく共感であった。ジブリシリーズの中でも「風に谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」は人間の環境を無視する愚かさやそのため人間が自然から仕打ちを受けるということを訴えていた。確かに一作一作はそれだけを主張しているのではない。だがこの三作に共通している中で最も強いものはこれだと思う。

事実これまで我々人間は自分達の欲のために木を切り倒し,動物達を必要以上に殺し,海や空気を汚してきた。そして台風の激増などの異常気象や温暖化現象の促進など自然からさまざまな仕打ちを受けてきている。将来は食糧危機や温暖化による海面上昇での地面水没などが起きるかもしれない。

しかし地球がこのような危機的状況にいる中地球を守ろうとする人々は何人いるだろうか。事実私もジブリシリーズを見るまではこのような事をあまり考えなかった。確かにこのごろは愛知万博やCMや広告で環境問題を取り上げているものは多い。だが我々一般人は環境問題への意識がかなり低い。例えばスーパーマーケットでは買い物専用袋を持ち込んでいる人はほとんどおらず,店員ですら自らすすんで環境に悪いビニール袋を出す。またある程度近くの場所へ行くときでも,時間が短縮でき楽が出来ると言う理由から,公共の乗り物を使わずに車を使う人が多い。今後環境問題を克服するためには我々が環境問題への意識を高めるべきだ。

私は以上の意見をオンデマンド授業のなかで訴え,さまざまな意見をもらった。

第一に国際的に以前と比べて環境問題への意識は高まったが,我々は行動に移すことをしていないという意見である。私はこの意見に賛成である。確かにインド・パキスタンの核実験やイスラエル・パレスチナ間の戦争などもあるが,ここ最近国際的に環境問題対策が強化されてきている。1971年のラムサール条約から始まり,72年には国連内で国連人間環境会議が開かれ,1997年には地球温暖化防止京都会議が開かれ,温室効果ガスを減らすために京都議定書ができた。今年からロシアが批准し発効できるようになった。ここで私は温室効果ガス大量排出国のアメリカが京都議定書に批准しないなど国際的な環境対策はまだまだだと思う。しかし昔に比べると現在は環境問題への意識は高まってきたのは明らかである。

しかし,現在の日本では環境対策を行っている人は少ないと思う。ボランティア活動や野鳥保護団体などが増えたのは事実である。だがそのような人は日本人の何分の一だろうか。大部分の人は環境対策をせねばならぬと思っていても行動に移していないのである。

そして私もこの中の一人である。今後はなるべく環境対策をしていくようにつとめたい。

第二に自然界で力を持っているのが人間ではなく他の動物であればより環境破壊が進んでいたのではないかという意見である。この意見を提供してくれた人は人間は元々理性を持っている動物なのではなく,自然界の中で力を持っていたからこそ理性を持つようになった。だから動物は皆平等であると指摘してくれた。確かに他の動物が人間であれば環境破壊を進んでいたかもしれない。だが人間が自然界の長となって今までしてきた事は生物達を無視した独断政治である。産業革命や技術革新の頃の先進国は他国に負けないようにと自然を無視して物を作ってきた。更に人間の中だけで喧嘩が起こり,世界大戦へと発展し爆撃や毒ガスなどにより自然を破壊していった。まさに人間は動物達を治めているのではなく,自分自身の欲だけのために侵害しているのである。だから私は人間が動物を治めるのにふさわしい動物であったかというと疑問が残る。

オンデマンド授業でたくさんの意見をくれた人たちに感謝したい。そして私がオンデマンド授業を元に今思っていることは政府や報道が法律や税で我々を強制的に環境対策させないといけないと言うことだ。国やマスコミを原因にするのは身勝手で自分から動けという意見があるかもしれない。確かに環境対策をするのは非常に大事であり私もこれからより深くやっていきたいと思っている。だがたとえ環境対策を十分している人が頑張っても環境に悪いことをする人が多いのが現状であり,環境が一向に良くならない。だから,力の強い政府やマスコミが強制的にしなければならないのだ。

最後に

私は以上のようにえらそうに話してきたが事実わたしもあまり環境対策をしていないのである。だからより深く環境対策をし,同時に自然と共存する方法を勉強し,環境問題への意識をより深めたいと思っている。これは自然界のためだけでなく環境問題を無視できない現在の世界の中で私がいきていくためには必ず必要だと思ったからだ。

いろいろ意見をくれた人達ありがとうございました。

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斉田 「ブログ」

今私は,「ブログ」というものにハマっている。

「ブログ」とは,「ウェブログ」の略であり,ある種の日記のようなものだ。

自分の日々の出来事を綴っても良し。

なにか思う事,面白いと思った事,ネタ,悩み事などを書いても良し。

ただ普通の日記帳や手帳に書くような「日記」と違う所は他人がその「日記」を好きなように見ることができること。

普通,「日記」というと,「他人には見られたくないもの」というイメージであろう。

それぐらい,日々の出来事や自分の思いを赤裸々に綴るものである。

しかし「ブログ」を書いている人の中には顔写真も公開,プロフィールも公開.日々の出来事や自分の思いを赤裸々に綴る人は沢山いる。

(私も書いているが,絶対に知っている人にはバレたくないので.ハンドルネームたし,細かい出来事などは書かない。)しかしそうやって赤裸々に書いている人の「ブログ」は結構な人気だったりする。

(人気の基準は,アクセスの多さ,コメントの多さ,など。)赤裸々な「ブログ」の良さは,(赤裸々でなくても良いが。)他人からのコメントであろう。

ブログを読んでくれた人からの感想や意見,アドバイスがコメントとして入れられている事がしばしばあるのだ。

人からのコメントが入っていた時は結構嬉しいものだ。

「読んでくれている人がいる」と思える。

そこは普通の日記帳とはかなり違う所だ。

そして「他人のブログを読む」こと,も私はかなり好きだ。

特に,日々の出来事を写真付きで,自分の思いも一緒に面白おかしく書いてあるブログ。

でも時々はまじめに,自分の悩みを打ち明けたりするブログ。

なんだか読んでいて,「人間って面白い」だとか「色んな人生があるんだな」とか「色んな人がいるんだな」とかかなり考えさせられるのである。

私にとって「ブログ」とは,(大げさに言うと,)家にいながらも自分の人生観,価値観,世界観を広げてくれる魔法の「日記帳」である。

しかし,「ブログ」にあるのはメリットだけではない。

デメリットもある,と,インターアクションの中で認識する事ができた。

1つ目,それは,「ブログ」がインターネット上にある,ということである。

インターネット上にある,ということは,誰でも見れる,参加できるということ。

使いようによってはプライバシーが侵されるということもある。

ブログを書く人は,自分でよく考えて行動し,自分のすることに責任を持たなければならない。

例えば,写真や名前を公開するのであれば,ブログの良さも増えるが危険も増えるということもしっかり認識しなければならないのである。

使い方を一歩間違えると,大変なことになる。

ブログの良さはコメントだ,とさっき述べたが,それも,ともすればデメリットになる。

世の中がそうであるように,ネットの世界も,いい人ばかりではない。

「荒らし」と言って,コメント欄に,根拠のない悪口を書いたり,変な事を書いたり,大量に同じことを書いたり・・・そんな人もいる。

誰が,コメント書いたかなんて,バレないから,好き勝手書く人がいる。

顔が見えない,赤の他人と話ができるというのは,ネットの良さでもあるけれど,同時に危険もあるし,予想のしないことも起こりうる。

2つ目,これは面白いと思った。

自分の字の大きさとか筆圧とか形が,その時の気分や状況を彷彿とさせるから,自分用の日記は手帳に書く,という人がいた。

なるほどと思った。確かに,手書きでしか伝わらないものもある。

消えっちゃったらまずいし…。という意見も頷けた。

確かに手書きだと絶対消えない。

インターアクションの中で認識できたのはデメリットだけではない。

ブログの「深さ」に,改めて気づくことが出来た。

「人間には二面性というものがある。

ひとつは他人を意識した自己,もうひとつは純粋な自分」その,もうひとつの純粋な自分をさらけ出す場が,ブログという訳である。

その2つの自分の中でうまくバランスをとることによって『自分』というものが出来上がるのである。

しかし今やブログは,顔も名前も公開できるようになっている。

その場合は,単純に後者という訳にはいかないと思う。

そこをどうバランス良くやるか,ということは意外にもすごく難しい事なのではないだろうか。

このように,考えてもみなかったことをインターアクションによって知ることが出来た。

ブログにこのような「深さ」があったなんて。面白い。

ブログは,アメリカでは2001年の9・11事件で爆発的に広まったらしい。

日本では2004年がブログ元年と呼ばれているらしい。

ブログの歴史はまだ始まったばかりで,今回議論した仲間の中でも,私のテーマ文を読んで初めて「ブログ」という言葉を聞いた,という人が多かった。

きっと,これからブログはどんどん広まっていくと思う。

日記だけではなく,色々な用法にも使われていくと思う。

色んな新しい機能も追加していき,今よりももっともっと面白く使いやすくなっていくであろう。

使い方さえ間違えなければ,きっと皆にプラスの効果をもたらしてくれると思う。

機会があったら,是非,皆も「ブログ」を活用してみてほしい。

他の人のブログを読み,自分の価値観を広げるのもよし。

同じ年,同じ性別の人を検索してみると,きっと共感できる事なども書いてあると思う。

書くのもよし。

きっと,読んでくれる人がいる。共感してくれる人がいる。

自分の世界を広げるために,私もこれからブログを活用していきたいと思う。

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石島 「空」

空は,途切れることなく世界中に広がっている。空を見上げたことのない人間は,ほぼいないに等しいだろう。空を見上げることによって元気になれたり,感動させられたり,思い出の日の余韻に浸ることができたりと,人によって空の意味はそれぞれである。

私にとっての空は,二つの重要な意味を持っている。

私はこれまでの人生で,二度大きな引越しをしている。親に抵抗する力などありもしない子供にとって,親の転勤ほど理不尽なものはない。理由は釈然としないまま,仲のよかった友達と引き離され,未知の土地に放り出され,さあここで生活していけと言われる。

家族以外はすべてが新しいものであって,また未知のものだ。

幼稚園生の頃に北海道から兵庫へ引っ越した時,新しい土地で生活していく上で一番の障害となったものは,方言であった。最初に衝撃を受けたのは,じゃんけんの発音が違う,ということだった。そのため,新しい同級生とじゃんけんをしてもタイミングが合わず,「自分はよそ者なのだ」という疎外感や寂しさを感じずにはいられなかった。小学生になり,兵庫から東京に引っ越した時は,障害であったはずの方言が,逆に友達をつくるための潤滑油として活躍した。私は東京で『関西弁の転校生』として,もてはやされたのだ。しかしそれは一過性のもので,『関西弁の転校生』の新鮮さはいつの間にか寂れていった。その頃になって,あらためて自分が『転校生』なのであって,仲のよかった友達はもう近くにいないのだ,ということを実感した。そしてまた,一回目の引越しの時と同様に,疎外感や寂しさ,そしてどうしようもない悲しみに襲われた。

そういう時,私はいつも,空を見上げていた。この空は,あの懐かしい土地につながっていて,この空の下で,あの友達も,前と同じように生活している。そう考えることで,昔住んでいた土地や友達とのつながりを確認し,自分は一人ではないのだと言い聞かせ,奮い立たせていた。文字にするとなんだか変にキレイな感じがするが,この行為は,一瞬で冷静になり,かつ自分を励ますことができるような方法が何かないだろうか,と熟考した上での苦肉の策だったのだ。私にとって,空は,遠く離れた土地や,人とのつながりを確認するための手段なのである。新しい土地や友達にすっかり慣れて,愛着さえわいている今でも,私はたまに,一人でボーっと空を眺めている。

その癖のおかげで,私は最近,空のもう一つの意味を見出すことができた。それは,空が心理学を学んでいく上での『原点』でもある,ということだ。

2年ほど前,私の親類が,心を患って入院した。その人は私にとってとても大切な人だったため,私は多大なショックを受けた。何故そうなってしまったのか理解できず,ただ一人悶悶とする日々が続いた。その時,ショックを和らげ,自分を取り戻させてくれたのが空だった。どこまでも続く青い空を眺めていると,自分の中の引っ掛かりが少しずつほどけていくような気がした。空を眺め,過去を回想し,遠く離れた人とのつながりを感じることで,自分と向き合い冷静になることができたのだ。そして,冷静になってはじめて,ある疑問を抱くようになった。

私は親類を見舞いながら,「心を患うと,結果的には,必ず身体が衰弱する」ということを学んだ。そして,心は,感情を司る人間の付属品なのではなく,時に一人の人間そのものを支配してしまうほど,人間にとって大きな存在なのだということを知った。しかし,心には形がなく,どこに存在しているか,ということすらも確かではない。では,そもそも心とは一体何なのだろうか。その疑問は日に日に大きくなり,いつの間にか,空を眺めながらそのことについて考えることが多くなった。心は見えないものだから,それを理解するうえで大切なのは,心の表れであるものを理解すること,つまり『行動』を理解することなのではないか。だとすれば,心と行動はとても深い関係だということになる。人間の行動を正しく理解するためには,他の動物の行動と比較することも必要になるだろう。

集団行動を考えるうえでは,社会学を学ぶ必要もでてくるかもしれない。と,このように考えていくうちに,どんどん「心」というものの奥深さにひかれていった。そしていつしか,大学では,幅広い視野を持ち,あらゆる学問を関連させながら,心について学びたいと思うようになった。

あの時,空を見上げ,心について考えをめぐらすことがなければ,心の奥深さに気付くことはなかっただろうし,心理学を学びたいとも思わなかっただろう。あの時空を見上げながら抱いた「心とは一体何なのか」という漠然とした疑問を,これからもずっと忘れずにいたい。空は私にとって,遠く離れた人とのつながりを確認するための手段であり,また,心の奥深さに気付かせてくれたもの,つまり原点である。

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前野 「宗教と世界史,そして理想」

1. 動機

私は世界史が好きです。それは世界史を学ぶことが,今起きている様々な国際問題を正確に理解し解決方法を探せる鍵であるように思うからです。つまり,平和を強く望んでいることから世界史に興味をもったのだと思います。そこで問題になってくることは,私の戦争に対する考え方ですが,戦争が起こる根本には必ず人々の価値観があると考えています。例えば共存意識が強かったり,戦争を全面的に否定していたりする人々は自ら戦争を起こさない,というように。私は高校で宗教を学んでいくうちに,宗教は価値観の結晶だということ,そして人々の行動は無意識のうちに,宗教によって生まれた人生観や宇宙観に基いているのだという印象を受けました。ですから宗教を理解することはその信者の行動の特徴を理解することにつながり,よって平和の基礎となるはずです。そこで私は宗教を通して,世界史の行きつく理想について述べていきたいと思います。

2. 議論を通して

まず共存意識の高い日本人についてですが,私はその原因を日本の民間信仰,神道だと考えています。八百万の神々,全ての神がいてこの世が作られている日本では,トータルで今という時間を作り上げているため全体的なものは何一つありません。このような神道は日本人に包容力を与え,共存を肯定的にし,絶えず場に応じて変化する存在にしてくれたと思います。これは戦争を回避する上で重要なことだと思います。戦争は共存に対する抵抗が起きた結果だと私は考えているからです。実際に人間が生きていく上で共存は不可欠です。日本人は人の生きる実態を宗教として反映したため共存への抵抗を少なくしたのではないでしょうか。だから一度身内だと認識すると,わりと早くに相手を受け入れられるのだと思います。逆に一神教徒にとっては個人意識が強いということからも分かる通り,共存よりも自分の世界を築き上げることに重点を置いていると思うので,その意識と共存という実態のなかで心は常に揺れ動くことと思います。その対立のなかで自世界の確立意識のみを強く持つようになってしまうと,戦争を通して他を排斥することが肯定的になってしまいます。よって相手を敵として見てしまう傾向が強くなってしまうのではないでしょうか。そんな一神教徒の弱くてもろい共存意識を,神道のように宗教で肯定付ける代わりに強くもたせる役割をしたのが民族,国家,言語圏,宗教(信仰対象)という枠組みだと思います。これは他のメンバーが書いた「私たち」の文章を読んで思いました。特に宗教というものは人を広範囲で区切り,そして団結させる象徴であるように思います。しかし宗教という広範囲で共存意識を芽生えさせようとしても,国際化しつつある現在では宗教間の共存をもしていかなくてはならないため,それだけでは不充分です。そこで私が思うのは,特に一神教同士が互いに認め合い,共存する理由が宗教的面から,そして世界史的面から生まれてくれば良いのではないか,ということです。

現在対立の激しいキリスト教とイスラム教ですが,実際には非常に似ています。というのもイスラム教創始者のムハンマドは商人として活動している中でキリスト教,その基となるユダヤ教をよく知っており,二つの宗教をある程度考慮した上でイスラム教を作ったということだからです。ですからイスラム教であっても旧約聖書が基となっているのだそうです。実際ユダヤ教徒・キリスト教徒は“啓典の民”と呼ばれていました。

似ているのに,そして預言者であるムハンマドが参考にした宗教であるのに,なぜ対立するのかというとそれはムハンマドが最後の預言者であり,一番正確な予言者であるということをイスラム教徒は信じていて,他の預言者(モーセやイエス)を信じる者をおかしい,と思うからだそうです。だからその“おかしさ”をなおすためにジハードが存在するようです。この考え方はまさに一神教徒らしいと思います。自分が全てであり,他の存在を全面的に否定するところが。

修復不可能そうなこの対立ですが,私はこれらの似た面から共存関係を築けはしまいか,と思います。似ていれば似ているほど対立するものだとは思いますが,この類似点はこれからの平和のために何か使えるのではないか,と。しかも,嫌いという感情からとはいえ相手を意識しているため,修復の可能性は僅かとは言えあるはずです。ただ,お互いが敵味方という立場ではなく対話を通して深く理解し合えれば,という条件が付いてきますが。

この条件の克服は相当時間がかかるはずで,ものすごい労力が要ることと思います。その労力を少し軽くしてくれるものとして,私は旧約聖書などに出てくる伝説が事実として発見されればいいなぁ,と時々思ってしまいます。それによって互いの似た面を早くに本人たち自身で気付き,共存意識を持ってくれるかもしれない,と思うからです。事実を知ることは時に人の心に広がる不安(何が真実でなぜ人間なのかという)を和らげ,それによって存在意識に対する緊張感がほぐれ,互いを認める余裕がでてくるのではないか,と思うので。

ここまで,私は戦争の理由を主に共存への価値観,宗教同士の対立に焦点をあててきましたが,実際には宗教を名目にして別の目的のために戦争をするケースも多いにあると思います。しかし宗教はもともと,人を殺すことには否定的であるはずです。それでも宗教の名のもとに敬虔なはずの信者達が戦争を行ってしまうのは,その宗教の求める理想を偏って解釈してしまっていると同時に,その宗教そのものの中にも共存に対する内容を伝えきれない部分があったからではないかと思います。私が世界史と共にある宗教を深く研究しなくてはならないと思うのは,それぞれの宗教の偏った考え方,伝えきれなかった内容を私たちが世界史という事実を学んで補い,さらに人間として生きる上での完全な物に仕上げなくてはならないと思うからです。

3. 結論

私がもらったコメント通り,みんなが平和を手に取ることは難しいと思います。しかし,それに敢えて挑むことが同じ地球上に住む人間として必要なのではないでしょうか。世界史を深く学び,そこから分かる各国の価値観を良く知ることによって共存方法を探し出し,また宗教的にもそれを根拠付けられれば人々の心はわりとたやすく平和へ向かうことと思います。私にとって歴史は,不完全な宗教を現すために過去の道を記しづけたものであり,これからの道を選び探して行くための地図のようなものです。

終わりに

文章表現での意見交換,コメントは私に物事の様々な捉え方を教えてくれました。自分の中では意見が一方的にならないよう,気を付けているつもりでもやはり普段の考え方の癖がでているのだなぁと思いました。互いに意見を出し合い,他者との違いを発見することにより自分自身の発見にもなった気がします。そして書くためには,自分の考えについて更に深く考えることが大切だ,と気付きました。レポートについては自分の言いたいことをいっぺんに言おうとしてしまう傾向が未だにあるため,上手くまとめることができず,最後のレポートも自分の納得は完全にはなりませんでしたが,自分が注意すべき所を見つけることができました。その部分をこれから意識しながら,書くことに苦手意識を持たずに練習を重ねていきたいと思います。どうもありがとうございました。

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増井 「私にとって世界平和は妥協案である」

私の夢は,世界平和に貢献することだ。しかしこの世界平和という大望は,私にとっては多少の時間をかけて辿り着いた妥協案なのである。

私の以前の理想は,「人間と自然の共生」だった。この場合の「自然」は,人間を主体とした「環境」に近い言葉である。しかしこの理想を達成するためには,人口を削減するより他に方法が無いと思うようになったのだ。60億人を上回り更に年々増え続けている世界人口は,地球の定員オーバーだとしか考えられない。

現在,地球が悲鳴をあげているように感じたことはないだろうか。例えば,私は,近年の夏の異様な暑さや豪雨を異常気象だと感じたり,世界各地で起こる大洪水や干ばつ等の自然災害が急激に回数と被害を増していると聞いたりすると,何かが限界を超えてしまったような印象を受け,焦燥に駆られてしまう。

また,そのような自然災害で家を失い,路頭に迷っている貧しい家族や,親を失い乞食をして生活している子供達がガリガリに痩せた腕で水溜りの泥水をすくって飲んでいる様子などをテレビで見かけたりすると,居た堪れない気持になる。

しかしどれだけ危機感を感じていても,私は毎日を快適に過ごし,工業品を使い,大量の二酸化炭素や廃棄物を生み出し,環境悪化に貢献してしまっている。環境破壊の最大の原因は,恐らく大規模な森林の消失,そしてそれに伴い生態系が破壊されていることだろう。そして今その悲惨な環境破壊の進行舞台となっているのは主に発展途上国なのだが,私達先進国の住民はその伐採された木材を使い,森林を開墾してできた畑や放牧地で作られた食物を口にしていることで,それを促進させているのである。

森林を失った土地は,保水力が無くなり,長年保たれてきた自然のバランスが崩れてしまう。土壌浸食により土地は荒廃し,多少の雨量の変化でも洪水や干ばつが起こりやすくなる。また土壌流出により川底が上がることも洪水や氾濫の原因となる。森林を切り倒し,焼き払うことが近い将来の環境悪化に繋がり,収穫を減少させる要因になると分かっていても,まず今命を繋ぎとめることで精一杯の貧しい農民達に環境保全などできるだろうか。

薄い表土しか持たない熱帯林まで焼き払い,農業に適さない痩せた土地まで畑に作りかえねば生きていけない人がいるほど,人間は増えすぎているのだ。

だからといって,諦めて自然破壊し続けて良いなどと思ってはいない。人間の活動を地球の環境容量内に抑えることを目標に,最大限の努力をする必要がある。

しかし,一度手に入れてしまった裕福な生活を手放すことなど出来ないし,発展途上国はそのような生活を得ることを目指しているのだから,これからも地球の限界を超えた活動が行われていくことは必至である。人が人の幸福を1番に望む以上,人間が「自然と共生」できる世界はとても望めそうにない。

そこで,地球が破滅へ近づくことが避けられないのなら,せめて人類がお互いの争いをやめて平和を作りだすことが,最後の救いになるのではないかと思ったのだ。数え切れないほどの種類の生物を犠牲にして作り上げられてきたこの「人間のための」世界で,「人間同士が共生」できる平和な世界を作り出すことが,人間が最後にすべきことだと私は考える。

このような考えを前提に,「私にとっての妥協案である世界平和」というテーマで皆と意見交換をした。わずかではあるが様々な意見を聞くことができ,興味深かった。そして,壮大なことを考えるにあたって自分の知識がいかに少ないかを痛感させられた。

世界平和は妥協案だと口で言うのは簡単だが,その実現のために実際何をしていくつもりなのですか,と問われて,返答に困ってしまった。結局,ぼんやりと空想していただけにすぎなかったのだ。そこで,もう少し具体的な目標を考えてみた。

昔から恒久平和を望む動きはあり,それによって生み出されたのが国際連盟・そして国際連合であるから,これからも世界平和を達成するためには国連の働きが重要になると思う。国際組織や国際法の確立が永久平和の道だと哲学者のカントが説いたのは18世紀頃の話だ。190ヵ国以上の国が加盟し,世界の平和や発展のために活動を行っている現在の国連は昔の人々の目指したものに大分近づいてきているように感じる。

ここで,戦争のない世界について,私が納得させられた意見を引用したい。

「戦争をなくすには全ての国が納得する法を作り,みんながそれを守ろうとすれば,戦争は無くなり平和が訪れ」るだろう,というものだ。「もともと一人では弱い生き物である人間は,団結して社会という集団を形成してきた。そしてその社会の秩序を保つために法が生まれた。集団同士の争いである戦争を防ぐためには,個人間の争いを防ぐ法と同じような,集団の集団を守る秩序が必要になる。」というような考えだった。つまり,国内法的な国際法を作ることが平和への道になり得るということで,共鳴できる理念だと思う。国際法には,国内法の議会にあたる統一的な立法機関も,政府にあたる行政機関もなく,警察にあたる法の執行機関もない。もちろん,この差異を無くし国連主導に国内法的な国際法を作ろうとするには問題が山積みだ。主権国家の集団である国際社会で統一的な価値体系を作り出すのは大変困難だし,国連に加盟していない国も未だ存在するし,国際社会で法の強制執行を行ったらそれが戦争をうみだしかねない。それでも,私は国連に統一的な立法機関を作るよう働きかけることを世界平和に向けての活動目標にしたい。

人は一人一人異なった価値観を持っており,国家や民族特有の価値観もあり,その衝突を避けることはできないだろう。しかし,お互い理解し合いたいという気持をもって接すれば,共通する価値観も異なる価値観もまとめてお互いを理解する方法を見つけることもできると思うのだ。

また,統一的な国際法を機能させるには,まず国際社会が対等な主権国家の集団でなければならないと思う。アメリカのイラク侵攻を国連が阻止することが出来なかったことに現れたように,一部の大国が国連を圧倒している現状を変えなくてはならない。一国が抜きんでた影響力を持つことを抑えるためには,どの国もある程度大きな地域的共同体に属し,平和的な勢力均衡を作り出す必要があると思う。地域統合は,現在,深い統合形態まで進展しているEUを始め,NAFTAやメルコスール等,多数存在している。日本には中国や韓国・ASEAN諸国らと協力して東アジア共同体を形成するべきだという構想もあり,私はそれを推進するべきだと思う。そうして,どの国家も国際的に孤立できない状態になれば,戦争を防止することに繋がっていくだろう。

こうして考えていくと,世界平和は実際,夢というよりもまだまだ遠い理想にすぎない。

それを痛感させられた。そして私一人にできることといえば,まずは知識を身につける,という極めて地道なことだ。このテーマについて深く考えるにせよ何かを実行していくにせよ,私は持っている知識が少なすぎる。外国人と意思疎通を図るための言語や,自国と他国の歴史や文化,それから世界の現状などをこれから学んでいかなければなければならないと思った。そして将来は,それなりの地位につくことを具体的な夢としたい。例えば東アジア共同体構築に尽力する外交官とか,国連を動かす国際公務員といったものを考えている。

とにかく,世界平和は一人の努力で実現できるようなものでは無い。

多くの人が大きな理想を持ってほしい。それが大きな夢に近づく原動力になると思う。

今何をすれば良いかを考えることは大切だが,目の前のことばかりを追っていると,自分が本当に目指しているもの・理想としているものを見失いがちになってしまう。そうならないためには,自分が思いつく1番大きな夢をいつも心に描いて,それを目指していく生き方をするべきだ。

私にとってはそれが世界平和である。しかしこれも,(自分が人間であることを置いておいて)地球全体の未来のことを想うと,妥協の理想にすぎないのである。

終わりにものすごく長くなってすみません。(怖くて字数は数えていません…)本当はもっと削る予定だったのですが,グループのメンバーやTAの方のアドバイスをもとに直すだけ直し,なるべく分かりやすく,と思って書き足したら長くなる一方でした。もう時間が無いためこのまま提出してしまいます。本当にすみません。

この文章表現のためにレポートを書いて,今までぼんやりしていた自分の夢や,大学に入ったら何を学びたいか,ということがはっきりしてきました。初めはテーマが大きすぎて的外れだったかなぁ,と何となく恥ずかしい気持だったのですが,1番興味のあることを選んでよかった,と書きあげてから思いました。

この授業に参加できて良かったです。

オンデマンド授業のスタイルも,掲示板での意見交換も初めてのものでとても新鮮でした。意見交換があまり活発でなかったのが残念でしたが,レポートを書くには丁度良い少なさだったようにも思います。

新しい掲示板に移ってからかなり経っているのに書き込みが全く無い,など書き込みにくい状態も見かけたので,来年はTAの方に一層頑張ってもらうなど,書き込みを増やす努力も必要になるのではないでしょうか。

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村越 「ボランティア」

日本の社会において,ボランティア活動が必ずしも盛んとは言えない。それに対して,私はボランティアが地域で根付き,他の地域と交流を深めながら,社会全体が喜びと活気に満ちた共同体を成す構想を描いている。つまり,ボランティアを社会に広めていきたいと考えている。私がある国際交流イベントの運営ボランティアを学校として取り組もうとした時に,参加が非常に少なかった。この現実に痛感した私は,ボランティアが誰にとっても身近なものになってほしいと考えるようになった。

私は今まで頻繁にではないが,さまざまな分野でボランティア活動に取り組んできた。その中で,知的障害者施設でのボランティアでは,入所している方とのコミュニケーションや職員の方による介助方法のアドバイスによって,障害を持った方との接し方や新たな価値観を知ることができた。この活動は4日間取り組み,日を追うごとにうまくコミュニケーションをとることができるようになり,相手の気持ちが分かるようになった。このようにボランティアには,自分と他者あるいは自分と社会の間における協調関係を促し,また新しい知識や経験を得ることができるという魅力がある。

しかし,現実としてボランティアに取り組む人が少ないのは,おそらく「きっかけ」をつかむ機会が少ないからだと思う。ボランティアを広めるには,「きっかけ」作りが重要になるのではないかと考える。多くの人にボランティアの楽しさや必要性を知ってもらい,「次の一歩」を踏み出せるような機会を増やしたいと思う。私にとってボランティアとは,社会への身近な窓口であると捉える。

ボランティアを広めるにあたって,「ボランティアで大切なこと」を考えておきたい。私は今まで,ボランティアをする上で,留意していた点は相手のニーズを理解することであった。ニーズを満たすことで,問題の解決を図ろうと考えてきたが,必ずしもニーズ理解だけではないことを考えてほしいと指摘を受けた。ボランティアの根底には,「人を思いやる気持ち」があり,相手のニーズを満たすために物質を援助することだけに固執すると,本来の「心」が薄れてしまう可能性があるのだ。この意見に関して,前者の意見を相対的に意識した上で私は賛成である。相手のことを思うことが,自発的な活動の礎であるように感じる。そして,自分は何ができるのかと自問したところで,ニーズを把握する必要が出てくるのはないかと思う。要するに「ボランティアで大切なこと」とは,人間相互の連帯感を高めるために相手を思い,自分は何ができるかと自問することではないだろうか。

ボランティアを広めるには,「ボランティアで大切なこと」をより身近なものにすべく,工夫を施す必要がある。その一例を紹介する。ここで中心となる組織がボランティアセンター(以下,ボラセンと略す)である。市町村の社会福祉協議会や大学などにボラセンが設置されていて,主にボランティア情報を集めて,興味があるが何をやったらいいのか分からない人にコーディネーターが相談に応じるといった組織である。このボラセンが私の高校に設置され,生徒が中心に活動をしている。そこでボラセンの機能面を生かし,高校生主体で「ユース国際ボランティアフォーラム」というイベントを立案した。県内の高校2校も交え,3校協働の実行委員会を組織し,私は実行委員長を務めた。このフォーラムは,主に高校生・大学生を対象に世界でボランティアが必要としている人々や地域の現状を理解し,ユース世代が考え,提言する機会として,高校生が企画運営を行った。その中でも少人数制の分科会(難民・教育・医療・地雷・環境の各5種類実施)では,疑似体験や活発なディスカッションが展開された。アンケート結果によると,ボランティアに対する意識が高まったという回答が9割以上を占めた。ボランティア経験者からやったことがない人までさまざまであったが,このように専門家の方から世界の現状を学び,話し合うことでお互い刺激を受け,意識を高めることができたと考える。

このように大勢の参加者を招くイベントでボランティアの「きっかけ」作りをすることも一つの手であるが,このような試みが全国各地で実施されればいいと思う。実行委員として取り組んだ私もフォーラムを経て,まずは「知る」ことが重要であると感じた。それは,普段目にすることができない世界の状況を「知る」ことでさまざまなことを考え,視野を広めることがボランティアのスタートだと思ったからである。私の理想としては,「きっかけ」の場で参加者の方々には,人々や社会の色々な側面を知り,「次の一歩」として,自分にできることは何かと自問してもらうことだ。その際,相手を思いやる気持ちを大切にし,地球に住む一員として,自分にできる身近なことから活動に取り組むという姿勢が求められるのではないだろうか。南北問題や文化衝突によって,異文化の人々との隔たりが感じられるかもしれない。しかし,ボランティアには,異文化の人々と協調し,共生する要素があると考える。このボランティアを「きっかけ」の場を創出することで,社会へ広げていきたいと思う。

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大久保 「愛は地球を救う,大嫌いは私を救う」

1. テーマと動機

大嫌い!と思っていたものが,自分にとってかけがえのないものに変わる。それはま逆とも思える好きに変わる。私に思い当たることは二つ,今までの人生の中で。

一つ目は,10年前の大失恋の時。暗闇をさまよう私は,周りの強い勧めで全く関心のなかった海外生活へ踏み切った。日本大好き,日本バンザイ,熱海ではだめなのかい?と泣きながら成田を後にした私は,一年後はつらつと生まれ変わり帰国した。海外バンザイ。なんなんだ,あの世界?!あの色,あの音,あの価値観。超好きだ!おまけに海外エンジョイできた自分も好きだ!・・とチェンジ。それまで興味のなかった世界に,人生助けられたのだった。

二つ目は,バイク。うるさい,危ない,排気ガスなバイク。バイクは私の五感にとって敵で,一生近づく事はないと思っていた。ある日バイクの悪口をあんまりいう私に,友人が一言「それも興味があるってことよ」。ここで一度,私の価値観が揺さぶられる。大嫌いが興味あるってことだって?ふーん,面白いな。その後,会社で私の気になる男性がバイクが趣味と聞いて,取るしかないでしょーと,教習所へ。

今まで味わった事のない頬を切る風,心地よいエンジンの唸りにバイクって可愛いなと心変わり。免許を取得できた時は,感無量。バイクも正しく乗れば良い乗り物だと発見,さっそく紅葉の山を駆け巡りたいな(あの人,と)と夢が膨らんだ。バイクも悪くない。(その後あの人,と駆け巡ることはなかった・・)。

そして今,三つ目の大嫌いが私の中で見頃だ。どう変わるか。大嫌いな現在の仕事(営業事務・一日電話200本・客の怒鳴り声・未婚男性ゼロ社内)を,大学の更に忙しくなる頭でどう対処するのか?そもそもこの大嫌いな仕事から離れたいのが,大学受験に向かわせた原動力の一つだが,結局受かってからも金銭的な理由から離れることができない。私には,海外で日本語教師をして目覚めた,教師になりたいという夢,教養を深めたいという気持ちがある。こちらの好きな気持ちは果たしてこの大嫌いにつぶされないか。入学まであと少し,私はこの様々な不安から,自分にエールを送る意味で,このテーマを書いた。大嫌いは今まで私の人生に花咲かせてくれたよ,だから今回も大丈夫だよ,と。

2. コメントのやりとり

最初のコメントは,どの人も嫌いが好きに変わるという経験に共感を示すというものであった。これには,自分が特別変な感覚の持ち主ではないという安心感と,なんだこんな経験一般的なのかという平凡な自分にがっかり,の二つの気持ちを持った。TA「私も自分の思っていたことがふとしたことで,全然違う方向に変わっていく経験は好きです」,加賀美「面白いです。そういえば私も思い当たります」等。

次に,想像できなかったコメントが私を揺さぶった。日下「嫌い嫌いも好きのうち」,林「嫌いという感情は好きと表裏一体」。これには新しい考えを植えつけられた感じで,軽いショック。「嫌い」というジョーカの描かれたカードをひっくりかえせば,そこには「好き」と描かれた微笑む天使がいてびっくり,という場面が浮かんだ位。嫌いと好きは自分が考えていたよりも,もっと近い関係なのだと気づかされた。そして林「好きの反対は嫌いではなく興味・関心がない,ということ」。とすれば,好きと嫌いは,興味があるという点で同じグループなのか,と自分の中で新しい枠組みができた。

そして,次に向かったのは,嫌いということに対し,自分にその対象物に否定的になることはない,嫌いは決して悪いものではない,という新しい気持ちだ。林「嫌いなものは何かひっかかるハードルみたいなもの,苦手と思えるものに敢えて手を出すことで,自分を変えていく方法はとても良い。何か引っかかるという事を,良かれ悪かれ,チャンスだと考えていく」日下「なぜ苦手なのか,が解決への鍵。隠れた意識からのメッセージかも」。

この意見から,現在嫌い,と思えるものに対して感情的になるより,何故嫌いか,何がひっかかるのか,を意識して暮らしてみた。そこで私が現在苦手とする会社の苦情がらみの電話を考えた。まず同じ仕事をする同僚を観察すると,私ほど嫌いな人はいないようだ。話を聞くと,いちいち気にしない(ならない),上司へすぐ回す,と言う。私は人が発する言葉に対し,いちいち敏感に真正面から受け止めているようだ。これはよく考えれば,言葉に興味があるから聞き流せないということでもある。その電話から発せられる言葉に,例えばものすごく気分が害せられると,私はその人の今までの生い立ちを考えたり,またこの先その言葉遣いで生きていけるのか,とまで考え心配になったりする。また幸あれと願うことで,いちいち毒づく自分と,その相手に塩をまいて電話を切る。この一連の心理に対し同僚は,「まじめ,完璧主義」「でもそれがあなたのいいところ」と言う。私は大学で言葉を勉強したい。私の言葉が気になるところは,言葉を探求し,深める力につながるのではと考えた。BBS上の意見から,嫌いを前向きに分析してみることにより,新しい自分を発見できたことに少し感動した。

最後に,TAと米山の意見「忙しい中で大学へ行こうという決意の中身に興味あり」「大学に行くことでその嫌いな点が好きになるのか」という意見だ。今回のテーマの出発点はここである。もちろん,入学に正統な理由はあるが,日常に潜む大嫌いを克服したい,という気持ちも大きい。朝起きられない,仕事の嫌さ,等。まだ入学前なので答えは出ていないが,今回のコメントのやりとりから,嫌いなものは意味をもっている,たとえ好きにならずとも人生を変える鍵になっている,いうことが確信できた。避けることなく前向きに大嫌いを受け止める,そのことで未来がどう開けるのかが楽しみにさえなってきた。

3. 結論

嫌いな仕事が突然好きになりました!・・なんて水晶買ったら,はい幸せ!みたいな結論には至らない。だがこの1ヶ月で,嫌いなことを喜んで受け入れられそうな自分ができた。こんな自分ができた事も,水晶に負けずと劣らない予想外の現象,BBSの威力に感謝。やがてこの今の大嫌いたちは,どんな形であれ私の大学生活を救うことになると予測する。

予測するさらに先のお話。ときは進んで4年後・・。私は夢の一つでもある教師になる(とする)。私の職員室には様々な悩みを抱えた生徒がやってくる。「先生,ふられてしまったよ」「先生朝どうしても寝坊してしまうのです」・・そんな問いの数々に,私はこの「大嫌いは私を救う論」をもって,生徒達に言い聞かせる。「失恋はね,君の力になるよ。朝はね,こうやって・・(云々),好きになるよ(←これは今の私には克服できてないからわからない)」。大学で勉強し,更に力を持った私の「言葉」を使って伝えたい。愛や勇気を含んだ言葉を使って,生徒一人一人の胸に響くように。さらに,ついでに教えよう,授業を中断してでも教えよう,正しい電話のかけ方を。上手く伝えられたらそれでOK。今の苦情がらみの不愉快電話は,そこで一つ意味あるものになるのだ。

たとえば,そんな日がくればいい。そんな未来像が浮かんで結論となる。言葉はいつも,私の大嫌い克服の手助けとなってきた。私を動かしてきた。大嫌い克服に立ち向かわせた友人の一言,大学受験に向かわせる力となった苦情電話の言葉,また今回新しい考えを身に付けさせたBBSの数々のご意見。言葉を勉強しよう。言葉の力や影響力,言葉とはなんぞや・・。そしていつかその感動や経験を,人の中に入り込んでく言葉を使って伝えよう。そうすれば,今までの大嫌いの経験がその人の中で生きる。決して無駄にはならない。

さて,大嫌い論はまだ,半分未完成だ。朝,仕事,電話,大学との両立。どうなるか。「大嫌いは私を救う第三部章・完結編(仕事・大学の巻)」にこれからゆっくり足を踏み入れるとする。大嫌いは私を救う論のパイオニアとして,大学生活,人生を勇気をもって模索していきたい。

4. 終わりに・・・

お世話になりました。皆さん。

楽しかったです。

私は,暇さえあれば他のグループ(法学や政経等)のBBSにおじゃましていました。いやはや10代,文章に弾みがあります。絵文字なんかも使われ,キャピキャピ語で,語尾上がりワールド,という感じです。

新鮮でした。ときに赤面したり。いけないものを見てしまった!という気持ちで,慌てて二文のBBSに戻るとそこはコタツのような暖かい落ち着きがありました。さて,いつまでもぬくぬくしてる場合でない。来月からの本格的なキャピキャピワールドへ向けての,予行練習はこれにて終了,四月から頑張るぞー(^^)/あ,一人,社学の19歳の彼がいたな,けど,途中から来なくなりました。高齢パワーにたじろいたのではなく,きっと忙しくなったんだろうなーと,思うようにします。

この授業についての(ちょっとからいかも)意見。

☆提出期限が延長された。事実は小説よりも奇なり,どうにでもなるもんだな。もう最後は投げ捨てるように,「はいはいさよなら,いってまえー」と最終提出欄に送信クリック,後はのんびり風呂にでもつかるかーと,この授業に(完)の幕を下ろしていたので,期限延長を知らされた時は,またレポートを返されたようで,まじめな私は負担に感じた。。(49.195km走り終えたら,「いやー今年から55.195kmになったんだよ」とテープ持つ人に言われた感じ。)私は2000字というだいたいの文字制限を大幅に破り,3000字強。

やばいかな~と当初罪悪感があったが,提出期限の延期を知ってからは,もう数えなくなりました。(半袖短パンで出場の規定を,スエット姿で走ったと思って下さい。おあいこ)

☆TAさんが二人いましたが,一人の人からしかコメントがもらえなかったのは,なんでかなーと寂しかった。

意見をくれたみなさん,先生,TAさん,ありがとうございました。

オンデマンド授業も発見があり楽しいですね。

面合わせて語るのとは違う,意見がもらえたかな。と。

・・でもやっぱり不気味かも。(という感はぬぐえない。)途中で何度か「あーうざい,今からそこの飲み屋に集まって語ればいいじゃん!」と思ったこともある。ま,私の価値観の問題だし,ここらは深いのでまた別のお話し。。

では来月大学でお会いしましょう!

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大坂 「「生きる」」

私は「生きる」ということに関心を持っている。それは私が今までに人の生死を目の当たりにした経験があるからだ。幼い時曾祖母の死を目の前にして,人はどうして病気に苦しみ必ず死を迎えなければならないのかと強く思い,涙した。しかし,妹が生まれた時自然と流れ落ちた涙は,違かった。新しい命とは,こんなにも人を感動させるものなのかと思った。生まれたばかりの妹が声を上げて泣いたり,笑ったりするだけで,小さな命もしっかり生きているのだと,生き物の命の偉大さを感じた。

そもそも私が関心を持ったきっかけは,本屋での漫画の立ち読みだった。森尾理奈さんの「天使がくれた時間」という漫画を読み,ダウン症に興味を持った。最近では映画やテレビでも,視聴者が障害者を理解しやすいように伝えている。このようにマスコミが努力し,また科学が発展しているにも関わらず,今もなお障害や病気と闘っている人達が大勢いる。先日,目が見えない少年が懸命にピアノを弾く姿をテレビで見た。与えられた状況の中で最大限に力を発揮し,しかも巧みに使いこなす。私は大変心をうたれた。生きるということはこんなにもたくましいのかと思った。

このような私の意見に同感してくれた人達からたくさんのコメントをもらい,またより多くのことを学んだ。生きるということはいろいろなものを犠牲にしているということ,人間は決して1人では生きていけないということ。私は障害や病気の人は,私達以上につらい思いをしている分,多くのものを得ていると思う。それは私達が忘れがちな,人の温かさや優しさといったものなのではないかと思う。私には知能が遅れた友人と目が不自由な友人がいる。彼らとは小学,中学を共に過ごした。彼は「歩きたいのに足が言うことを聞かない。気持ちを伝えたいのにしゃべられない。どうしてなんだ」とわんわんと大声をあげて泣いていた。彼のつらさが痛いほど伝わってきた。しかし実際は私達が思っている以上に彼らはつらい思いをしているのだと思う。彼らをかわいそうだと思うことは,偏見だと言う人もいる。しかし彼らに手を貸し,話し掛けることは人間としての優しさなのではないだろうか。ハンディキャップを持った彼らを私達が支えていく事が大切なのだと思う。

私は今まで障害や病気でも懸命に生き,「生きたい」という一心でいる姿をテレビで多く目にした。だから私は,彼らは私達以上に「生きたい」という気持ちが強く,生きることに喜びを感じているのだと思っていた。しかし皆が皆そうではないと指摘され,気付いた。

障害者として生まれてきて,一生そのことを背負っていかなければならない運命とは,どんなにつらいのだろうか。もし私が身体障害者として生まれてきたのなら,生きていけるだろうか,いやできないだろう。しかし障害者が健常者と同じように生きたいと思うということは,事実だと思う。そして彼らも私達と同じく1人の人間として接してもらいたいのだと思う。しかし今でも障害があるというだけで差別を受け,生きることに恐怖を感じている人達がいる。忘れてはいけないことは,彼らにもしっかりとした心があり,他の人と同じように愛される事が大事ということなのだ。

病気や障害と向き合い懸命に闘っている人達がいる一方で,最近自ら命を絶つ者が増えてきている。また中絶やクローン実験といった,人間の命を人間自身が左右してしまうような時代になった。私も生きているのがつらい,死んだらどんなに楽になれるだろうと思ったことが何度もある。しかし死に対する恐怖は大きかった。それとは逆に彼らは生きることに恐怖を感じているのだろう。そんな彼らから私は多くのことを学んだ。私には見えない物も聞こえない物もない,走ることもとぶこともできる。私には家族も友人もいる。

当たり前のようなことだけれど,このことが大切なのだと思う。今生きているこの瞬間を,そして1日1日をしっかりと生きていかなければならいと思った。周りの人への感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいと思う。そして私は彼らのように,人に勇気を与えられるような人間になりたいと思った。

最後に

今も障害と闘っている友人へ,歩けるようになったら昔のように一緒に走ったり遊んだりしよう。話せるようになったら,今まで話したかったことやつらかったことでもなんでも話して欲しい。目が見えるようになったら今まで見えなかった物,あなたが見たかった物を一緒に見に行こう。私はあなたたちから「生きる」ということは,精一杯の努力だということを教えてもらった。ありがとう。

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大城 「自動車練習学校」

私は今自動車練習学校(以下自連)に通っています。車に乗ることは初めてのことであり,免許を取得できるという希望に溢れていました。学校という呼び名が付くぐらいなので,教官は学校の先生のようにしっかいりとしていて,自連に通っている教習生は皆ルールを守り楽しみながら通っていると思いました。しかし実際通ってみると,私が思い描いていた自連の風景と違っていたのです。そこで私は,自連は免許が取れるという魅力がある一方で,直すべき点がいくつか有ることに気づいたのでそのことについて書いていきたいと思います。

まず一つ目に気になったことが,自連の中で,学生服を着た高校生が普通に喫煙をしているのです。自分の通っている高校でそんなことを堂々とする学生は一人もいないはずです。それはやはり学校の先生方が規律を守らせるために一生懸命生徒に言い聞かせているからだと思います。しかし自連の教官はそういった姿を見ても皆黙認するのです。そして二つ目が,検定の時間帯が朝にしかないということです。

そのために学生は学校を休まなければならないし,社会人の人は仕事を休まないといけないのです。これは,公安委員会の役員が公務員であるため,残業をしないで仕事時間内に全ての仕事を終わらせたいからではないかと考えられます。自分たちのことだけを考え,その他の人々のことを考えていないのです。私の通っている自連に電話で,「学校は休まないと行けないのですか。」と聞いたときも,係の人から,「学校は休んで下さい。」と普通に言われました。学生にとって学校へ行くことは半ば義務のようなものであり,社会人にとっての義務は働くことなのです。それを自連の人々は平気で奪うのです。

これら二つのことに共通して言えることが,自連は社会の規律,ルールの守れない人間を生み出してしまうのではないかということです。喫煙は法律違反,又,学校や仕事はそう軽々と休んでいいものではないはずです。自動車練習学校という名前からも,学校と付いているくらいなら,自動車を運転する技術だけではなく集団生活での生活の仕方,社会のルールを守ることなども教えていくべきではないかと思います。小,中,高で学ぶことが勉強だけではないこと一緒なのではないのでしょうか。社会のルールが守れない人に交通規則が守れるわけ無いのです。社会のルールを守らせることが優良なドライバーを生み出すことに繋がり,事故も減っていく事へ繋がるはずです。そうすると,事故後の公安委員会の調査を受ける機会も減り,また,優良ドライバーを生み出す。とうたい文句にする事で,教習生も増え,利益も増していくはずです。

そこで今後の自連の対応についてですが,検定の時間帯は公安委員会の方が変えないとどうにもならないので,喫煙についての対策について書きます。高校生と大人という区別を付けて自連の中でもクラス分けをするという意見がありました。確かにそうすることにより,今まで私服の時に学生か20才なのか区別が付きにくい人たちを区別することができ,喫煙を注意しやすい環境にあると思います。しかし大人の人は数が少ないためクラス分けをする子のになると費用がかかるし,環境が整っただけで教官が注意するかといえば疑問が残るような気がします。それに,大人の人と一緒に学ぶことで,学生達にとって何か学ぶことがあるかもしれないのです。私はそれより,教官を担任制にするべきではないかと思います。そうすれば教官がもっと一人一人の学生に対して愛着が湧いていき,喫煙に対しても注意していくように思う。それに,その方が,教官が一人一人の教習生の運転のクセも知るようになるので,日頃の教習でそこを重点的に教えてくれるので,早く免許を取得できるようになるはずだ。そうすれば自教習生が早く卒業し,早く卒業できるという噂を聞いた新たな教習生も入ってくるので回転率もアップして経済的にも効率が良くなるだろう。

私にとって自動車練習学校というのはもう一つの学校なのです。高校でしっかり勉強以外の,社会人としての行き方を教えているように,車の免許を取得するということは,これから社会にでていくことと同じなので,運転の技術を教えるだけではなく,社会のルールを守ることも並行して教えていくべきだと思います。そのために,もう少し自連の職員の方々がその辺にも気を配っていき,立派なドライバー,立派な社会人の育成に取り組んでいくべきではないのかと思いました。

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中林 「ソフトテニス」

この世の中には,さまざまなスポーツがあります。スポーツのなかでもメジャースポーツとマイナースポーツに分けられることがあります。私自身,一般的にマイナースポーツである,「ソフトテニス」をやっています。

ソフトテニスとは,日本が発祥のスポーツです。皆さんがよく知っているテニスとは違います。皆さんが良く知っている硬式テニス(ローンテニス)が生まれたのが,1800年代の後半になります。場所はイギリスです。

上流階級のスポーツで,日本に渡ってきたのが,明治になってからです。その当時は,円の価値が紙屑みたいな時代だったので,硬式のテニスのボールを買うのが大変だったと言うことです。ボールを無くす度に,また,消耗する度にアメリカかイギリスから輸入しなければならず,その費用を出せるのは,ほんの上流階級の人だったのみということです。

1884年頃そこで日本体育会の,坪井玄道という人が考え出したのが,ドイツ製の輸入品のゴムボールでテニスをするということだったということです。これは硬式のボールに比べ1/6の値段で割と自由に手にはいったということです。ゴムのやわらかいボールを使用するので,軟式テニスともいいます。ソフトテニスは,試合の勝敗がさほど重要視されていなかったようです。ですので,ラリーが100球も続くということがありました。

アウトもノーバウンドでさわりつなぐことも良くあったということです。

これらのことから,ソフトテニスというものは勝負にはこだわらずに楽しむことを目的としたスポーツなのではないかと思います。その結果,勝負にこだわる硬式テニスとは違って技術の発達が遅れてしまいソフトテニスの人気も伸び悩んだのではないでしょうか。しかし,いろいろと調べているうちに驚くべきことがわかりました。

現在は硬式テニスのほうが技術的にもソフトテニスを上回っていますが昔はそうではなかったようなのです。

今はソフトテニスとなったこの軟式庭球ですが,オリンピックの硬式テニスで銀メダルをとっているのだそうです。1920年の第7回のオリンピックでのことです。

初出場の日本の選手が大活躍したのです。なんとその選手は,シングルス戦で決勝まで進みました。ダブルスでも銀メダルをとりました。では,なぜソフトテニスのプレーヤーが硬式テニスで活躍することが出来たのでしょうか。

この当時のヨーロッパの選手は,ドライブボールというものをほとんど使いませんでした。軟式選手のウエスタングリップからくり出す,ドライブボールに外国の選手はだいぶとまどったということです。フォアからは強烈なドライブボール,バックはワングリップでくり出すドライブのかかったボールだったそうです。

サービス&ボレーが定着しつつあった硬式テニスに対して日本の選手はいわゆる中ロブで返球をし,選手の頭をロブで越していったのです。さらにコートを広く使う,展開プレーをたくさん使ったということです。

こうして選手は相手を上のような作戦で疲れさせてから勝負に出ていったそうです。

しかし現在では,世界でも競技人口は,野球やサッカーなどに比べれば非常に少なく,オリンピックの種目にもなっていません。ソフトテニスというものを知らない人もたくさんいるのではないかと思います。事実,他人に,「ソフトテニスって何?」と言われたことがあります。

そこまでマイナーなのかと正直ショックでした。しかしながら,マイナーであってもなかなか歴史などを調べてみると奥深いスポーツで,やってみると非常におもしろく絶対ハマると思います。勝負にこだわっていないことがかえっていいのではないでしょうか。ボールがやわらかいために,小さい子供やお年よりまでさまざまな年齢の人たちが楽しむことが出来るスポーツです。ほんとうに楽しむことだけを目的とするならば,ソフトテニスに勝るものはないというぐらい親しみやすいスポーツなのだと思います。ぜひ皆さんにも,ちょっと楽しむ程度にソフトテニスをかじってみてはどうでしょうか。

私にとってソフトテニスは野球やサッカーにも負けない,楽しむことが出来るメジャースポーツです。

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田原 「中国の貧富の差」

1. 動機

現在中国経済は急速に発展し,近い将来アメリカを抜いて世界一の経済大国になると言われている。しかし,中国は経済の発展が続く一方で,貧富の差が開きつつある。その理由として中国における戸籍制度が挙げられる。中国では都市戸籍と農民戸籍という二つの戸籍が存在し,両者の間には雇用,教育などに大きな差がある。また中国国民は生まれた時点で戸籍が決められ,能力のある国民でも,農民戸籍である以上は富を得ることができない。都市戸籍を買うこともできるが,多額の借金をしなければ買うことができず,農民戸籍の国民が都市戸籍を取得することは非常に困難である。政府は戸籍問題を深刻なものと考えているものの,農民戸籍の国民が中国の人口の大半を占めていて,急に戸籍を統一すると食料不足などの問題が起こるために,戸籍問題の解決にはまだまだ時間がかかるだろうと言われている。

私は中国がこのような状況をいち早く抜け出すための手助けをしたいのである。そこで,私は中国の農民の生活を改善できるように日中間の商品や技術を輸出入するといった貿易をしたいと考えている。何故多くの発展途上国の中でも中国を選んだかというと,先述したように貧富の差が大きく開いていること,そして私の父の会社が中国と関係していて,中国がより身近なものに感じられたからである。

このような理由から,中国の貧富の差について理解し,どのようなことをすれば中国の農民を助けることができるのかを考えたいと思う。そうすることで,日中間の架け橋になるという私の目標に近づくことができると考えている。

2. 議論

私の考えについて,様々な意見をもらった。まず,どうしたら日中間の貿易を円滑にすることができるか,という意見である。相手の国を知ることも大事だが,それと同じくらい,自国を知ることも大事であるという意見について,私は強く共感した。というのは,私が中国の現状ばかりに目がいってしまって,日本の現状をよく理解していなかったのである。これではいくら中国の情勢を理解していても,円滑に輸出入を行うことができない。日本と中国の現状を両方知る人間がいてこそ,理想的な貿易をすることができるのである。

同じく,日中間の貿易を円滑にするための意見として,その他の国の歴史を研究し,歴史の中から中国の貧富の差を解決するための策を探し出すという意見である。確かに中国以外でも貧富の差が開いている国は多くあり,その中から何か発見することができると思う。他の意見ではブータンの話が出てきたが,ブータンのように幸せとは何かと考え,小さいころから環境の大事さを教えていくということは中国でも必要とされるだろう。現在中国では,開きつつある貧富の差に惑わされ,幸せの基準が富だけになりつつある。幼いころからの教育で,幸せの価値観を多様化させることが今からでも可能かどうかわからないが,将来を考えると中国でも実行する必要があるだろう。

中国の貧富の差についての意見として,中国の農民にはお金はないが,彼らなりの価値観を持って生きていて,私たちが思っているようには困ってはおらず,実は幸せなんじゃないか,という意見があったが,この意見には一部賛成することがあっても,反対の部分があった。それは,現状を幸せだと感じながら生きる人が少なからずいるとしても,大半の農民は不満を持っているからである。もし大半が現状を幸せだと感じているとしたら,都市戸籍を求めて農民が多額の借金をすることはないだろうし,政府がスローガンを「先富論」(先に裕福になれるものからなればいい)から「共同富裕」(国民全員が裕福になろう)に変えることもなかったであろう。現在の中国にとって,幸せとは国民全員が同じ扱いを受けることができるということであると私は考えている。

そのために,政府は農村地区がある中国の西部を開発し,農民の雇用機会を増やすように進めている。そうすることで,農民は富を得ることができ,貧富の差は縮められるだろう。だが,開発ばかりに目を向けるのではなく,環境破壊にも目を向けてほしいものである。現に,中国産の備長炭は森林保護を目的に輸出が制限されている。豊富に資源のある中国でも,ゆっくりと環境破壊は進行しているのである。

3. 結論

今回の講義を通して,これまでなんとなく考えてきたものが少しずつはっきりしてきたように感じた。自分はただ単に発展途上国の中国と貿易をしたいのではなく,貧富の差に苦しむ中国の農民を助けるための貿易をしたいということ,中国との貿易を円滑に行うためには中国だけを見るのではなく,自国やその他の発展途上国,そしてその歴史を知らないといけないということ,そして中国にとって幸せとは何かということである。

入学後は今回の講義で学んだことを忘れず,勉学に励みたいと考えている。また,私には日中間の架け橋になるという目標だけでなく,教師という目標がある。中国で苦しむ農民の人について考えることで,様々な人のことが考えられる人間になり,よい教師になりたいと思う。

終わりに今回の講義を受けるにあたって,少々不安な部分があった。というのも,文章を書くだけでなく,自分の書いた文章について議論されるとき聞いたからである。しかし,実際やってみると,文章を書きっぱなしにならず,何回も見直すことによって自分の文章の欠点が見えた。またいろいろな人に自分の書いた文章が読まれるのだと思うと,適当な文章にしてはいけないと感じ,いい緊張感の中で文章が書けた。議論も本名で行ったので,大学入学後に気軽に声をかけられる友人ができてよかったと思う。

ただ議論がもっと活発に行われてもいいと思うし,一つのグループにもう2~3人入れてもよかった。TAの方にも,もう少し積極的に議論に参加して欲しかった。

今回の講義は,多少の欠点はあるにしてもそれ以上に利点があった。今後も続けて欲しいと思う。

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田中 「書くことが心を支える」

1. 動機

私は書くことに興味がある。書くことによって自分の気持ちを切り替えることができる。落ち込んでいるときは前向きに,無気力なときは自分を奮い立たせるなど自在だ。

書くことを始めたきっかけは,部活のなぎなたの試合だった。「勝ちたかったら気持ちを切り替えなさい!」というコーチの言葉を受け,私は自分の気持ちを書くためのノートを作ることにした。そして試合前には意気込みや目標を,試合後には反省を書いた。効果はてきめん。すぐに勝つことができた。書くことが私にもたらした効果とは一体,何だったのだろうか。

2. 議論

なぎなたは個人競技で,試合の形式は剣道を想像するとわかりやすいだろう。練習中は支えあい協力し合う部の仲間でも,試合となれば敵となる。私は個人戦で優勝するという目標があった。だから,仲間に全てをさらけ出せない部分があったのが事実だ。自分が不調のときに仲間がやけに調子がいいと焦るし,反対に自分の調子がいいときは自信がつく。「不調だ。どうしよう。負けるかもしれない。」などと試合に対して弱気になっているのを,誰かに見せたら負けだと信じていた。かといってそのまま放っておくと,不安に押しつぶされそうになった。どうすればこの気持ちを切り替えることができるのだろうかと考えた。そして,誰にも見せられないのなら自分に見せればいいではないかという結論に至った。そうして私は素直な気持ちをノートに書くことで外に出し,自分と向き合い,自分と対話することを覚えた。

これに対して比留間雅之さんが「書くということは結局自分一人の考えだけに陥ってしまうので,ネガティブになったらずっとネガティブのままになる危険があります。」と指摘してくれた。確かにそうかもしれないが,今までを振り返ってそういう経験はなかった。それはなぜかと考えたとき,一つのことに気がついた。私のノートの形式は二人称形式だったのだ。例えば「お前の限界はそんなじゃない!まだまだできる!」「本気で倒れるまで戦えよ!勝ちたいんじゃないのか!」と,こんな具合だ。つまり,客観的に他人になったつもりで自分に喝を入れたり,問いかけたりしているのだ。私が書くときは,自分の中にいる強気でポジティブな自分と対話しているという状態だ。だから,「自分一人の考えだけに陥って」「ネガティブ」になることは自然と回避できていたのだった。

他にも気づいたことがある。悩み事を解決したり,気持ちを切り替えたりする方法は個人によって違う。誰かに話す。頭の中で考える。声に出す。様々あるが,多くの人が書くことで気持ちの整理をつけたことがあると答えたのだ。

「中学3年生のとき,クラスや親のことで書いていました。書き終わった後はすっきりして眠ることができました。」と振り返る松本美宏さんをはじめ,「よく書くことによって自分の頭の中を整理します。」と話す浦嶋美和子さんや,「頭の中だけで考えているとなかなかできませんが,頭に浮かんだことをそのつど書いていけば整理がついてまとまりやすいですからね。」と話す比留間雅之さん。また,TAの森本桂子さんは「書いて自分の外に出してある程度納得すると,すっきり気持ちが切り替わるということってありますね。」「書くことが一つの区切りというか,問題を一応完結した形で過去に追いやり,自分を次に進めるという効果を持っているのかもしれないですね。」と語った。このように,書くことで気持ちの整理をするというのは一般的であることがわかった。また,書くことで気持ちを切り替えられる理由として,書くという動作の終わりを一つの区切りとすることができるから,ということもわかった。

書くことの効果はそればかりではない。私の場合,頭の中だけで考えていると一度自分の中で結論を出したのにもかかわらず,そのことを忘れてまた悩み始めてしまう。そして,ちっとも先に進めないでいる。しかし,書くことには整理したものを目に見える形にできるという点がある。これは,話す,頭の中で考える,声に出すと言う方法とは違う書くことの効果である。文字という形にすれば,振り返って確認することができる。

こうしてリセットしたときの気持ちを覚えておくことで,同じことをいつまでも悩むということがなくなるのだ。

さらに,TAの武一美さんは「自分にこれからすべきことを突きつけるというか自分を追い込む必要があるとき」「自分が目指したいことを公言したり書いたりすることがあります。」と話した。これは,私が試合前にすることと同じだった。試合前には,試合中気をつけることや意気込み,目標をノートに書いた。このとき書いた文字は頭の中に残り,自分のすべきことを明確にし,また整理し,本当に重要なことだけに絞ってくれた。書くことを始める前は,出番までの間に余計なことを考えてしまい不安になったり,弱気になったりすることが多かった。前にも述べたが,弱気になったら負けなのだ。勝つためには,始終一貫して自信を持ち,強気でいなければならない。それは今までの経験から明らかだった。書くことを始めてからは,出番を待つ間,頭に浮かぶ文字を確認するだけでよかった。あれもこれもと,余計な心配をする必要がなくなったのだった。

3. 結論

以上のことから,書くことがもたらす効果は二つあると考える。一つは,たまった自分の気持ちを外に出し,客観的に自分と向き合うことができること。二つ目は,自分の気持ちを整理し,また文字として形にし,やるべきことや目標を明確にすることができるということ。そしてこれらが結果的に,気持ちを切り替え,いいコンディションを持続することにつながったのだ。試合で勝つためにもそうだが,日常生活でも書くことはその効果を発揮する。自分の希望をかなえる,また目標を達成するためには自分とよく向き合い,今何をすべきか考え,それを実行する気力を維持することが大切だからだ。

二つの効果から,自分を支えてくれるものが書くことなのだということを実感できた。

さらに,書くことによって充実した日々を過ごせることを知った私は,これからも書くことを続けていく。なぜなら私にとって書くことは,他に変わるもののない心の支えだからだ。

4. 終わりに

400字のテーマから始まって,600字,そして2000字と段階を踏んで取り組んできたが,これほどまでに一つのテーマをじっくり考えるということは今回が初めてだった。

ほかの人からコメントをもらうことで,新たな視点から考えさせられることもあったし,書けないでいるときには励まされることもあった。そうして何度も書き直す作業をするなかで,「考えれば変わる」ということを実感することができた。

最初にメールで提出したテーマと最終テーマとでは同じ「書くこと」というテーマでもその論点や方向性が全く違う。最初のものはあれもこれもと詰め込みすぎで,何が言いたいのかわからない。当時それを自信を持って提出していたのだから,今考えると恐ろしい。「考えること」を繰り返して,自分の言いたいことを絞り,何を書くべきかはっきりさせることができた。

こうして一つのレポートをやりとげたことで少し自信がついた。また,以前より文章を書くことへの抵抗感が小さくなった。それだけでも,この「文章表現」をやってよかったと感じる。これから,文章を書くときにはここで学んだことを思い出して書いていこうと思う。

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藤田 「音楽」

人種・民族・国境・宗教・年齢――そういった壁を言語は簡単に越えることは出来ない。壁の向こうの言語を身に付けることは一朝一夕で出来ることじゃない。

英語がいい例だと思う。

しかし,そういった壁を音楽は簡単に越えることが出来る。歌詞の意味が解らなくても,素晴らしい音楽は壁を越え,素晴らしい音楽として伝えられる。

この点について,音楽は言語を越えるコミュニケーションの手段だと言えるはずだと思う。

『伝えたいメッセージを音符に込め,音楽にする。』『伝えたいメッセージを単語に込め,言語にする。』伝えたいメッセージが同じであっても,それから作り出された音楽と言語ではまるで違う。

ただ単に『戦争反対!』と叫ぶのと,ジョン・レノンがやった様に,伝えたいメッセージを音楽にするとでは,人々の心への浸透の度合いが全く違う。

人々が言語を受け取る時,それをそのまま言語として受け取るが,人々が音楽を受け取る時,心の中でその音楽をもう一度吟味して,その音楽に込められたメッセージを自分なりに探し出して言語とする。

結局,音楽も最終的には言語として認識されるのだけど,この吟味する過程の有無が先に述べた様な決定的な違いを作り出していると思う。

吟味することで,受け取り手にメッセージに対して考えさせる。それによってより深い理解を与える。その結果,人々の心へより深く浸透する。

たとえ,作曲をする際に歌詞を先に作ったとしても,その歌詞は伝い手のメッセージの言語の形であって,それが音楽を媒介とすることで受け取り手に伝わり,受け取り手は自分の心の中で,そのメッセージを自分の言語で理解する。

僕が音楽は言語を越えるという考えを持ったきっかけとなったのが,エアロスミスの『Fly Away From Here』。直訳で『ここから飛び立て』という意味の曲。

この曲の一節で

『Never too late, stand up again and take another breath~Let's fly away from here. Anywhere I don't care. We just fly.』

という部分があり,ここを聞いて,今まで,『失敗するかもしれない事をどーしてやるんだよ? 無理する必要ないじゃねーか。』と何事にも否定的で,やる気がなかった自分が間違っていたんだなと感じ,同時に音楽は言語を越えると思いました。

『とりあえずやってみようぜ。その結果,成功するかもしれないし,失敗するかもしれない。でもやらずに失敗するかもしれないという理由だけで避けていたんじゃ,そこからは何も得るものは生まれない。失敗するかもしれないけど,その事を承知で精一杯やったのなら,その失敗からでも得る物は生まれる。100%なんてのはあり得ない,限りなく失敗する可能性が高くても,何度失敗しても,とりあえずやってみようぜ。どうなるか解らないからやってみる価値があるんだろ?』

という僕なりのメッセージを得ることが出来ました。

単純に英訳すれば,

『まだ全然遅くないぜ,ホラ,もう一度立ち上がって深呼吸してみな。さぁここから飛び立とうぜ,どこだって構わないよ,だって俺たちは今まさに飛んでいるんだから。』

って感じになるんでしょうけど,ここではそれは大した問題ではなく,同じ事を他人に言われても,この音楽を聞いた時ほどの衝撃,感動は到底得られなくて,親や先生や友達に散々言われてもやる気が出なかったのに,この曲はそんな考えを一瞬で消し去ってくれた。その時,音楽は言語を越える物だと感じました。

エアロスミスも,麻薬の禁断症状の地獄の苦しみの中でこれと近いメッセージを得て,これを誰かに伝えようとして,この曲を作ったのだと思う。

そして,僕はこの曲を聞き,ちゃんとそのメッセージを受け止め,自分の心の中でそのメッセージを自分の物とすることが出来たと思う。僕は実際にエアロスミスに会って話をしたことはないけれど,この曲を聞くことで,会って話をするよりも遥かに素晴らしい形でメッセージを受け止めることが出来たのだと思う。

幸い日本はアメリカに次ぐ世界で2番目に大きい音楽市場を持っていて,伝い手の数は充分な程にいる。ただ,その大きい市場ゆえに伝い手も流れ作業の様に曲を作り,充分にメッセージが込められていない曲が市場に氾濫している。

アイドルがいい例だと思う。

受け取り手にしても,真面目に音楽に耳を傾けないと,そのメッセージを受け止める事ができない。伝い手がしっかりと曲にメッセージを込め,受け取り手がしっかりと受け止めようとしない限り,コミュニケーションとしての音楽は成り立たない。

音楽は言語を越えるものでありながら,言語より遥かに繊細で壊れやすい。だからこそ一人でも多くの人が,どんな音楽でもいいから,伝い手のメッセージが受け止められる様に,街角でふと耳にした曲,店で流れてきた曲など,自分のまわりで流れている音楽を真剣に聞いてほしいと思う。そうしたらきっと,伝い手のメッセージを受け止められる時が来ると思う。

その時こそ,伝い手と受け取り手が結びつき,コミュニケーションとしての音楽が成り立つと思う。

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藤澤 「パソコン」

僕は生まれつき四肢に軽い障害があり体が思うように動かないことがある。もちろん手にも影響があり,筆記をするとき普通の人のようにすばやくきれいにかけないのだ。ノートを取るときなども普通の人と比べ時間もかかり,かなり勉強の手間がかかっていた。だからパソコンは学校で出されたレポートの課題など,あらゆる所で僕を助けてくれた。もし,パソコンがなかったら,勉強に使おうと思っていたらなんて考えても想像もつかないくらいだ。僕は小学校のときからパソコンを使っているが,それぞれ学習内容が変わるとともに,使い方も変化していった。

僕が初めてパソコンをさわったのは小学校4年のときだ。小学校ではよく教科書の書き写しが宿題となっていて,書き写すのに時間がかかり,ノートが汚くなっていてとても授業で使えなかったのだ。

そういった僕の苦手な所にパソコンを導入していったら効率よく勉強できるようになっていった。卒業文集もパソコンで打ったことを覚えている。ノートをパソコンで作ろうと思い,作り上げたときはすごくきれいにできて嬉しかった。

中学に入ると新しい使い方をし始めた。それは定期テストで「~を説明しなさい」という問題が出たとき,普通の人より時間がかかり不利になってしまうことがあった。そんな時,先生に相談し,テストのときにパソコンで解答を作ることを許可してもらった。数学など,計算が必要なところでは全く使わなかったが,そのほかの教科で必ずといっていいほど出る書き取り,作文の問題などではパソコンは大活躍だった。とくに印象に残ったのは英単語の書き取りである。英単語100問を30分で書けという問題が出たときはすごくヒヤッとした。いくら家で筆記の練習をしても制限時間の倍はかかる。しかもそのテストには追試があったのだ。このテストでパソコンが使えて本当によかったと今でも思っている。

高校では今度は普段の授業中の板書にも導入してみた。学校側が机や延長コードの配線などいろいろな配慮をしてくれたため,とても気持ちよく授業を受けることができた。ほかにも文化祭のときの劇の台本の清書や写真編集など,パソコンを使うことで人の役に立つこともできた。

僕はパソコンを「道具」として使ってきたが,振り返ってみるとパソコンなくしては勉強できないことを痛感させられた。パソコンがなかったらまず希望の高校には入れなかっただろうし,その高校に入れなかったら早稲田大学に入ることは不可能に近かった。でもその不可能を可能にしてくれたのがパソコンである。もちろんパソコンには「娯楽」としてもお世話になった。しかし僕にとってのパソコンは筆記の代用として僕を支えてくれた。パソコンは僕の大切なパートナーである。

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日下 「時間と共に,有意義に生きるために」

「時」は,過去から現在へ,さらに未来へと連続して,とどまることなく過ぎ行く現象であるという。そして,「時間」とは,時の流れの二点間の長さであり,一日は24時間である。それより多くも少なくもなく,誰に対しても平等に与えられているはずである。

しかし,その誰にでも平等に与えられているはずの時間の使い方の積み重ねが,個々人の生き方となり,人生の足跡になって,大きな違いを生み出す。その違いとは,人によって様々であり,どうしてそうなってしまったのか?と後悔する場面も多々,在りうる。

私の場合は,看護師として働いており,時間に追われるような生活を送っていて,限りある時間を有効に使っているという実感がない。「生活に追われる」という表現がぴったりであり,ルーチン・ワークをこなし,疲れを癒す間もそこそこに次の日を迎える。夜勤明けの影響は時差ボケにも似て,次の行動が緩慢になる。「明日は,○○しよう」と予定しても,怠け者の私は後回しにすることが多い。締め切りや,約束の時刻が迫って焦り,結局注意事項や必要物品が揃わず,一度で済む市役所行きを,二回行ったりする。無駄な時間が多くいつも後悔多い毎日である。けれども,世の中には,その時間を何倍にも有効に使いこなしている人々が存在し,know-how本も数多く出回っている。そのような本をじっくり読んだ経験はないが,その「違い」を生む術は一体何だろうか?忙しさは誰でも同じであり,同じ長さという土俵に立ち,勝敗の違いをもたらすのは,時間を使いこなす「時間活用術」のような,タイム・スケジュールの類なのだろうか。一定の時間において,最大の効果を生み出すために必要なことを,私なりに考えてみると,タイム・スケジュール以前にモチベーションを高めることが大切ではないかと思うに至ったのである。

今回のBBSでのコメントでは,大久保さんに<心掛けていることありますか?>と聞かれ,手抜きというより,中途半端がぴったりのようだと自分の行動を再認識した。これまで通信教育で,速記やEnglish,通ったものでもフラワーレメディ,フルート,英語と絵手紙,茶道に着付け,朗読ボランティア,いのちの電話ボランティアetc,まだあるが,ひとつとして,師範とかもっていないし,究めてもいない。好奇心だけは旺盛で,何でも試してみたい性質だが,長続きしないことが欠点といえる。やってみなければ解らなかったといえばその通りであるが,もっと,必要なことを自覚していたら,時間も出費も節約できたのにと思うことしきりである。米山さん<優先順位をその都度,はっきりさせなくてはと自分に言い聞かせています。自分が何を欲しているのか,何が可能なのかをクリアにしなくてはと思っています。>

本当にその通り!優先順位や,目的を明確にする必要を改めて強くインプットすることが出来た。

林さん<私は,時間という枠組みよりむしろ,その時,その時,心の赴くままに生きるのが,結果的に時間の有効活用になるのではないか,と思うのですが,如何でしょうか?>という林さんのコメントに対し,大久保さん<しかし動物の中で,唯一夢や理想を抱けるのは人間だけ,叶えられるのも人間だけ。私は人間に与えられた夢を叶える力や,知恵をこらして人生突き進む力を使ってみたいです。・・・・常に自分のしたいこと,先の夢,が視界に入っていれば無意識下で必要な時間が自然に出来上がりそうだし,また,それに必要な情報もやってきそうですしね。>

お二人のコメントに,優先順位や目的と同時に,人間として生を受けた意味や使命があるのだろうかという考えが過ぎった。この世に生を受けた目的を誰でもが持っているとしたら,それを思い出せないまま亡くなってしまうのは,とても悲しいことなのではないか。人間として,最大の成果をあげるためには,そういう根源的な目的意識が必要なのではないだろうか。その目的を持ったなら,魂が揺り動かされ,オートマティカルに選択機能が作動する可能性だってある。そうだ,生きる目的!波都季TA,<何を今後の生活の「目的」とするのかについて深められたらいかがでしょうか?> そうなのです。いまひとつ,目的が明確ではない。漠然としていて,具体性がないのが特徴である。心理を学びながら,この辺もクリアにしていきたいと思っているが。

只,今回,大学で心理学を学びたいと思った切っ掛けは,以前,介護保険のケア・マネージャーして働いていた時のことが大きいかもしれない。介護保険の介護度によって選べるサービスの質や量は違い,個々のニーズに対応する必要があるけれども,サービスを選択することはそんなに難しいことではない。しかし,人々が生きてきた背景は様々であり,その個性や願いは百人百様である。その人達にとって一番ベストなサービスを一緒に考えていくうちに,何が本当の幸せなのか,分からなくなることがあった。サービス業者と利用者の価値観の相違を意識しながらも調整する立場であるのに,その難しさに頭を抱え,悩んだ。利用者が,閉鎖的な世界観を持っている時は特に意識変換は難しい。どうやってコンタクトをとろうか・・とか。もっと,他の人の立場に立ち一緒に考えていけたらと,本当に思い,その為には,学ぶ必要があると実感した。そんなこんなで,今,スタート・ラインに立っている。

そしてその目的に向かう貴重な時間をいかにつくるかということに関して。大久保さん<あーなんか時間,って不思議かも。時間って,最良の治療薬とかいうし,目に見えない薬,時間て不思議だ。>

時間の観念は色々,議論されているらしいけれど,難しくて詳しいことはわからない。しかし,本当に時間は,「不思議」だと思う。BBSのコメントであげたクリスマス時間は,サンタクロースが一晩で世界中のこども達のすべてにプレゼントを届けるという物理的に考えたら到底無理な話を,可能にするためには,時間を流動的なものにする必要があることからの発想である。どこかで聞いたものなのかもしれないが,必要に応じて,天も味方になってくれそうな,非常にpositiveな見方である。「念ずれば,花開く」と,いう言葉も聞いたことがあるし,「思う一念,岩をも徹す」というのもある。

どれだけ,想いが強いかが,鍵になりそうである。実際の時間の長さと,人間が体感する時間の長さは,必ずしも比例せず,「楽しい時間はすぐ過ぎる」といったりする。ここでも個々人の主観によるところが大きい。たくさんのコメントを頂き,「時間活用術」という単純な発想が,もっと深い意味をもっていることに気付いた。

そこで,私が時間を有効に最大限に利用するためには,目的を明確にし,モチベーションを高めることが第一である,と考える。その次にタイム・スケジュール等の計画立案や具体策を練り,目的を達成する手段を講ずるのである。人生における持ち時間が,どの位あるのかは「神のみぞ,知る」のであるが,これからは,その一瞬一瞬を無駄にしないで生きていきたい。そのためには,今,楽しい思えることを着実に実行していきたい。大学での授業や様々の活動はその手助けとなるに違いない。今,学ぶことを選択し,望んでいるのであるが,生涯学び続けるためには心身の健康を保ち,欲張らないことも大切である。

これから,働きながら通学する予定であるが,日々の生活の中で,自分を見失わず,「初心,忘るべからず」を掲げたい。怠け者の私は,つい,楽な方に引き込まれがちであるが,目的のもと,道草は程々にし,時間に追いかけられないようにしたい。目的といえるもの,それも変動するものであるが,私にとって,今学ぶ目的は,「学ぶことによるリフレーミング」である。自分の枠を拡げ,可能性を追求したい。そのことにより,他者を援助できるような自己の確立を図りたい。他者援助に関しての反省を踏まえ,切に願う。その目的のために必要なアイテムを取捨選択し,大いなる収穫を得たい。過日,友人が送ってくれたカードに

◎ 大きな志 ◎

志がおおきければ,それにつれて内在する能力も開発されていく。

大きな志は状況にあわせて対応できる多様性に溢れた自分を創る。

と,書かれていた。時間と目的,志。目的に向かって,時間を有効に使おう! 時間について考える中で,多くの方のご意見に接し,初めに意図していた内容よりも深い問題として捉えることが出来,視界が開けた境地である。

私にとって,時間と共に有意義に生きることは,生活を,人生を楽しみ,また他者とのかかわりを拡げるために是非,必要なことであり,そのためには,日々,目的意識を忘れないことである。

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梅谷 「ヨーガについて」

動機

私は最近ヨーガを始めました。私は以前,北海道の帯広市に住んでいたのですが,高校二年生の夏に東京に引っ越してきました。それまで私の趣味はアイススケートで,気が向くと近くのスケートリンクに滑りに行っていましたが,東京では簡単にすることが出来なくなりました。それでも,最近までは受験生だったので趣味がなくてもさほど困りませんでしたが,もうすぐ大学生になるので,新しい趣味を見つけようと思いヨーガを始めました。私がヨーガに出会ったきっかけは,本屋で趣味として出来そうなものについての本を探していたときに,ヨーガの本を見つけたことです。それまでのわたしのヨーガに対するイメージはあまり良いものではなく,「神秘的で超人的で,うさんくさい見世物」といったものでした。それでも本の中身を見てみると,スポーツクラブにいそうな格好のお姉さんが手本となっていて,一つ一つの体勢についている名前は超人的なものとは程遠い「サルのポーズ」や「ネコのポーズ」,「プチ太陽礼拝のポーズ」といったかわいらしいものでした。また,初心者でも無理なく出来るように本来の体勢を少し簡単にしたポーズも載っていて,「これならスポーツの嫌いな私にも出来そうだ。」と考えて,ヨーガを始めました。

ここで,ヨーガについて簡単に説明したいと思います。ヨーガは近年のダイエットブームで耳にするようになりましたが,ルーツはインダス文明で,「自分の意思で体をコントロールすることによって,心を間接的にコントロールしようとする。」ことがヨーガの根本的な考え方です。内臓をコントロールしている自律神経は心理的影響を受けやすく,心のバランスを崩すと体の不調を引き起こします。

ヨーガにおいて重要視されている呼吸を整えることによって自律神経をコントロールできるので,最終的には体の不調を解消できます。ヨーガは一見とても穏やかな動きに見えますが,日常では使われていない筋肉を刺激するのでなかなかハードな運動です。また呼吸をしっかりと行いながら続けるという典型的な有酸素運動でもあります。ハリウッドでは最近,マドンナやジュリア・ロバーツなどを筆頭にセレブたちの間でも,ヨーガはとても人気があるようです。少し前までは,宗教的なイメージが強くあまり人気がなかったようですが,近頃はそうしたイメージも払拭され,むしろお洒落であるというイメージの方が浸透してきています。現代人は多かれ少なかれそれぞれストレスをかかえていています。先に述べたように心と体は互いに影響を及ぼしあっているので,それが原因で体にも異常をきたす場合があると思います。しかし,「それを解消するために趣味にかける時間がない」とかまた,私のように「体を動かすことが面倒だ」という人も多くいると思います。そうした人々が無理なく手軽に健康を維持し,心からリフレッシュできるスポーツがヨーガだと思います。

議論

実際私もヨーガを始めて2ヶ月半になりますが,特別フィットネスクラブに通っているわけではありません。朝起きて頭が冴えない時や,日中勉強の合間などに,本を読んで自分でやってみる,など自分がやりたい時に自宅で手軽に出来るのです。メニューの中には肩こりに効く「ワシのポーズ」や冷え性に効く「アーチのポーズ」などいろいろなものがあります。その中で「瞑想」という休憩のようなものがあるのですが,私はそのときに「大学生になる自分」について考えています。大学生になる自分について考える,とはどういう事かというと大学生活や学問といったものに対して私が抱く期待や不安について考えをめぐらすという事です。例えば大学生活については,「今までは両親や学校の先生方など周りの大人達が少なからず,私を守ってくれていました。しかし大学生になれば社会人と同様に扱われ今まで以上に自分で自由にできることが増える一方で社会的責任を自ら背負わなければなりません。」という点です。また学問について言えば,私は遺伝子工学について興味があり,将来は物理学と生物学をフルに活用して遺伝子について研究してみたいという,漠然とはしていますが夢があります。その自分の関心のある分野について徹底的に学べることについて喜びを感じると共に,高校までの教科書に書いてあることをそのまま覚えれば良いというスタイルの勉強方法とは異なり,それ以上の事,つまり自分で新しい事を発見したり考えたりする事が私には出来るのだろうか,といった不安も感じています。新たな環境に対する期待や不安といったものは,誰しも考えることです。私の場合は結論が出る,出ないに関わらずそうした事を,ヨーガをしたときに考えてスッキリするというわけです。考えすぎてかえって不安にはならないのかと,疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが,ヨーガを始める前には期待や不安に対して客観的に判断することが困難だったのが,呼吸を整えて意識的にゆとりを持とうとすることによって「大学が始まってもいないのに考えても仕方がない」と考えることが可能になるのです。新環境についてあれこれと考えて,本来の自分の力が出せないことはしばしば在る事だと思います。しかし私はヨーガをする事で実力を発揮できるような気がします。ヨーガの極意,それは「力任せに体を動かすのではなく体の声を聞くこと。つまり,心を柔軟にして体と良いコミュニケーションをとること。」です。その結果,私が最も感じたヨーガの効果,メンタル面での効果が得られるのです。

結論

ヨーガを始めてまだ日は浅いですが,私がヨーガを好む一番の理由は自分について落ちついて考える心の余裕を作ることが出来るという点です。ヨーガを始めた頃は,ただ運動不足の解消程度にしか考えていませんでしたが,私にとってヨーガは期待や不安を和らげてくれる緩衝材です。

皆さんもこれを読んで興味を持ったらヨーガを始めてみて下さい。

おわりに

BBSで皆さんから客観的な意見を頂くことで,どれだけ自分の文章には不足している所があり,考えに偏りがあるかが良く分かりとても面白かったです。また「自己把握」と「他者提示」という2点についても少しではありますが,達成できたのではないかと考えています。反省点としては,BBSについてあまりに考え込んでしまって意見を書き込む事が少なくなってしまったことです。また似たような機会があればもっと積極的に発言出来る様にしたいと思います。短い間でしたが,ありがとうございました。

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白澤 「自由」

自由とは何だろう。これは私が長い間考えてきた問いだ。今の世の中では多種多様な価値観が認められ,人々は一見,とても自由に生きているように思える。けれども,私はそんな世の中に生きて不自由を感じていた。

大量の情報で溢れかえっている現代。様々なメディアを通して世界中の情報が即座に入手できるようになった。連日のようにニュースでは一日の出来事が報道される。「何が起こったか。」という事実を簡潔に,次から次へと。しかし,「なぜその事件が起きたのか。」そして「これからどうするべきか。」については全く言及されない。真実は曖昧にされたまま,人々は未来を案じるしかない。

ジャーナリストや学者が事件についての分析や考察を述べることはあるけれども,それも事件の一つの見方とされ,「真実」とは見なされない。あらゆる判断や意見は相対化され,もはや絶対的な価値観は存在しないかのように思える。

それならば,今の世の中に「真実」はないのだろうか。正しいことも間違いもないのだろうか。私は生きる指針,自分が拠って行動することのできる信念を求めて右往左往していた。皮肉なことに,自由な世の中生きて不自由になってしまっていた。生きるモデルのようなものを探していたが,結局私が求めているのは宗教に似ているように思えた。絶対的な教義に従うことで人は心の平安を得ることができるかもしれないが,教義によって行動,思考までが規定されてしまう。これは自由とは言えないのではないか。

では,人が自由であるためにはどうすればよいのだろう。私の結論は「意志を持つこと」である。外部の基準に従おうとする限り,人はその基準による制限を受けてしまう。それならば理想の行動基準を持たず,意志を持って随時自分で判断していくことこそが自由なのではないだろうか。ここまでが今まで私が一人で考えてきたことだ。

この意見に対して様々なコメントをもらうことができた。これから私が考えさせられた3つの意見とそれについての私の考えを述べてみたいと思う。

まず「自由は責任を伴う」という意見があった。つい最近のイラクへの派遣問題のこともあり,世間でも責任を持つことの重要性が言われているが,そもそも責任とは何だろうか。どのように行動することが責任を持った行為といえるのか。これも一概に定義できないけれども,物事を考える際に客観的な見方ができることが大切なのではないだろうか。

自由の追求は個人的なものだけれど,他者によって認められるものでなければならないことを十分に自覚する必要があるように思う。

また二つ目の意見は「自由は人々が共存するために制限されたルール(主として法)の範囲内で得るものだ」というものだった。確かにその通りだと思う。人々がルールを守らなければ,社会は混沌状態に陥ってしまう。しかし,ここで問題なのはそのルールが絶対的な規制ではないということだ。法は歴史を通して修正,あるいは追加,削減されてきた。

ルールは人間によって常に作りかえられる。私たちは「与えられた」ルールにただ従うだけでなく,「作り上げた」ルールを守っていこうとする意識を持つことが重要なのではないだろうか。近年,政治的無関心が問題となっているが,これは深刻な事態だ。自由を自ら放棄しているようなものである。私は未成年で選挙権も発言権も持っていない為,このようなことを言うのは大仰かもしれないが,社会に目を向け,参加しているという意識を大切にしたいと考えている。

改めて自由について考えると,自由とは決して「与えられる」ものではなく,「生み出す」ものであるといえるのではないだろうか。

最後の意見は「自由であることは孤独でもあることだ。」というものだ。様々な価値観が存在している今の世の中で決断をするのは自分でしかないということはある意味孤独であるともいえる。実際に私が今生活していてふと孤独を感じることがある。私だけでなく生きていれば大半の人が感じているのだろう。流行は人々がこの孤独から逃れる一つの現象であるともいえるかもしれない。

けれども,忘れてはならないのは,私たちは他人との触れ合いの中で生きているのであって,たった一人孤独の状態で生きているのではないということだ。私たちは無意識のうちに言語や習慣を社会と共有しているように,周囲から影響を受けて生きている。もともと私という確固とした人格があったわけではなく,社会からの影響を受けた結果,現在の私がいる。自由であることー意志を持つことーは孤独だと感じることもあるけれども,意志を持つ自分が社会的な存在である限り,自由であることは孤独であるとはいい難いように思える。

BBS上での意見交換を通して,社会に生きる一人としての自分について深く考えさせられた。今まで私は何によっても束縛されない自分の意志を持つことが自由であると考えていたけれども,本当の自由とは人との触れ合いの中で得るものではないかと思うようになった。自由とは何からも影響を受けない絶対的な意志を持つことではない。他人の意見に耳を傾けず,自分の狭い価値観に閉じこもることは未来の自分の可能性を制限することー不自由―につながる。また,そのような態度は自由を都合よく解釈した,ただの傲慢である。まずは,心を開いて多様な価値観を受け止める。そして様々な価値観を知った上で,意志を持って決断を下す。こうした態度こそが真の自由といえるのではないだろうか。

決心をする時,いつも一瞬不安が胸をよぎる。絶対的な正義のない世の中で私の判断が果たして信頼をおけるものであるのかどうか,確信は持てない。しかし,今正義は存在しないなどと悲観的になっても,すべては正しいなどと極端な楽観主義に陥っても意味がない。冷静に物事を見て,少しずつ自分なりの真実を見出せるようになりたい。

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富岡 「部活動の魅力」

1. 動機

私は中学高校を通しダンス部に所属していた。高校3年時には受験勉強のためにダンス部を離れており,部活動が私の中でどれほど多くの部分を占めていたのかを改めて考える良い機会となった。私が所属していた中高ダンス部は校内でも大変厳しいと言われている部活である。高校時の主な大会は,私学大会や全国大会など計3つ。特に8月に神戸で行なわれるAll Japan Dance Festivalは非常に重要な大会である。神戸に遠征して予選を勝ち抜いた学校だけが初めて決戦の舞台に立つことができ,さらに入賞すればTVで全国放送されるという大舞台なのだ。私はこの部活の厳しさに耐えていけるかと悩んだ時期もあったが,今ではダンス部に所属できたことを誇りに思っている。というのも,私は日々の厳しい練習を経験したからこそ得られたものがたくさんあったと考えているからだ。ダンス部に所属したことで,技術面だけではなく,リーダーシップ,行動力,積極性,協調性,そして強い精神力などを養った。そして今では,ここまで共に笑い,泣き,苦しんだ,大切な仲間がいる。尊敬できる先輩方も,可愛い後輩達もいる。卒業を目前に控えた今,改めて部活動の素晴らしさを実感している。今回は,私がダンス部で経験することが出来た部活動の魅力を皆に伝えたいと思い,これをテーマとした。

2. 議論

私はこの講義が始まった時,ひとりで部活動について熱く語り,皆コメントを出しにくいのではないかと少し不安だった。しかし,そんな不安を吹き飛ばすかのように皆は色々なコメントを出してくれた。新しい意見をもらう度,考えさせられたり,忘れていた記憶や感情を再び思い返したりした。

まず,私が驚いたのは,打ち込めることや誇れるものを見つけられなかったという人の意見である。今まで,部活動に打ち込む私を見て,こんな言葉をかけてくれた人はいなかった。私達が創った作品を誉めてくれたり,応援してくれる友達はたくさんいたのに,うらやましいと言われたのは初めてだった。私はこの時に初めて,ダンス部に誇りを持てるということはとても幸せなことだと気づいたのである。そして,ここまで部活をやり続けたことは決して間違いじゃなかった,私はここまで打ち込めるものに出会えてすごく幸せなのだと思えるようになった。この時,レポートを書き始めた頃には感じることが出来なかった,ダンス部に対する新しい感情が湧いてきたのだ。

そこで,なぜダンス部に所属したことに誇りをもてるのか考えてみた。この6年間を振り返ってみて,一番大きいのはやはり仲間がいたからだと思う。同学年を叱らなくてはいけない苦しい思いを経験したというコメントは,私に部長を経験した時のことを思い出させてくれた。当時,何よりも恐れていたのは同学年の部員に嫌われることだった。ある日,私は仲間に嫌われてもいいから,私が果たすべき役割を精一杯やろうと心に決めた。部長として部活をまとめなければいけない,それがダンス部の中で私が果たすべき役割だった。そう心に決めてから,私は仲間に対して本気でぶつかっていくようになった。声が枯れるまで部員達に掛け声を掛け続けたことより,先輩と後輩の板ばさみになって悩んだことより,はるかに辛いことだった。しかし,嫌われてもいいと覚悟したにもかかわらず,彼女達は私の気持ちをしっかりと受け止めてくれた。先輩から助けてもらいたいのではなく,同学年だからこそ彼女達に支えてもらいたいという想いが私の中にあったのだと思う。今年,共にダンス部を卒業する仲間は6人いる。今では私たちは強い絆で結ばれていると胸を張っていえるだろう。自分の気持ちを本気でぶつけられる,一生大切にしていきたいかけがえのない仲間である。

また,先輩方は私にたくさんのものを与えてくれた。部活動に対する姿勢,挨拶の大切さや声を出し合い互いに励ましあうこと。いくら練習がきつくても歯を食いしばって最後までやり遂げるその姿をみて,私も一生懸命先輩のようになろうとした。先輩には一生追いつけないような偉大さを感じるという意見に私はすごく共感できた。

先輩方は人間的にとても尊敬できる方ばかりだからである。時には厳しく私たちを叱ってくれ,時にはふざけあって部活を盛り上げてくれた。私が大学の進路について悩んでる時は,真剣に話を聞いてくれた。私はそんな先輩の姿に憧れ,自分もこういう先輩になりたいと思うようになった。果たして,最高学年となった今,私は後輩達の眼にどのような先輩として映っているのだろうか。その時私は,自分でも気づかないうちに後輩から尊敬の眼差しでみられているかもというコメントを思い出し,少し考えてみることにした。ここ最近を振り返ってみると,私と後輩の関係が,先輩と去年の私の関係と重なることに気が付いた。部活と受験勉強が両立できるかと相談された私は,いつのまにか,彼女達にアドバイスをしていたのだ。今度は私が後輩の相談役になることができたのである。

3. 結論

後輩は先輩を見て育つ。これは私が実感したことである。実際に私はずっと先にいる先輩の姿を追いかけてきた。いや,今でも追いかけているのかもしれない。そして,私は自分が先輩になった時,やはり後輩達の手本になるよう努力した。部活に対する姿勢はもちろん,勉強面でもそうである。よくよく考えてみると,後輩達が私のところに来て進路のことを相談してくれるのも,私が部活も勉強も精一杯やってこれたというひとつの証なのかもしれない。部屋には,後輩達がくれた色紙が飾ってある。先輩があの時部長じゃなかったらダンス部辞めてましたと言ってくれる後輩もいる。そういう言葉を聞いた時は,後輩達はしっかり見ていてくれたのだなと感じるし,私が伝えたかったことがちゃんと後輩に届いているのだと思える。

ここまで部活を続けてきて辛いと思ったことは何度もある。決して毎日が楽しかったわけじゃない。だが,今,私はダンス部に所属できたことを誇りに思う。そしてこう思える自分が幸せだとも思う。私にとって,部活動とはかけがえのないものを与えてくれた大切な場所である。

2005年3月31日。ダンス部の送別会で,この思いを全て後輩達に伝え,私はダンス部を卒業するつもりだ。

4. 終わりに

入学までの時間を有意義に使おうと,この講座を受講しようと決めた。自分の考えを言葉で伝えることや,他の人の意見に耳を傾けそれに答えるといったやり取りは想像していたよりも難しいものだったように思う。しかし,他の講座や授業にも追われながらもなんとかレポートを完成させることが出来たのは,みんなと様々な意見をやり取りできたからだと思う。私は,この講座をきっかけに自分の6年間にわたるダンス部人生をじっくりと振り返ることができた。また,自分のテーマに限らず,みんなのテーマからも多くのことが吸収できたと思う。仲間のテーマについて深く考えさせられたり,自分が今まで考えたことのなかったことについてインターネットや新聞を調べてみたりもした。新たな知識を蓄積することができたのはとても良いことだと思うし,なにより自分自身がこの講座を楽しめたというところが一番良かったことであろう。これから大学に入学し,多くの人たちと出会い,このような機会がどんどん増えていくのだと思うと,楽しみで仕方がない。

今回ご指導してくださった先生,TAの皆様,そしてたくさんの意見をやり取りすることができたグループの皆に感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。そして,これからもよろしくお願いします。

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平木 「少子化問題」

私は近未来にせまる少子化問題の影響に不安を感じずにはいられない。それは,日本経済のマイナス成長を招き,国際競争力を低下させる。私はこの問題を国家的危機と解釈する。

私のこの分野への興味は,「恩師の離婚」から始まった。たいそう信頼していた先生である。友達からの噂で私の耳に飛び込んできた衝撃を今でも覚えている。裏切られた気分満点であった。動揺は隠せなかった。

まずは文句から始まった。教師が何をしている。情けない。子供のことを考えているのか。自分が恥ずかしくないのか。私の周りはみんな同じ反応だった。友達も親も。この思いが普通だと思っていた。離婚は悪いことだと認識していた。

でもよく考えてみた。離婚とは。離婚は全てマイナスだろうか。その後の人生がよりよくなることもケースとしてあるだろう。個々に事情があるから何とも言えないけど,子供を考えると決して起こるべきことでは無いけど,ひとつ分かったような気がする。「離婚は,善悪の判断を下す対象にはあたらない。」日本は離婚が少ない。それは民法からくるものらしい。もともと高かった離婚率を戸籍制度ができたことで急激に減った。確かに離婚しにくい,または未婚の母では生きにくいような政策に感じる。だとすると日本人は戸籍制度によって,離婚を「偏狭な目」で見るようになったのかもしれない。これが私の意見の出発点である。

つまり結婚で失敗できないことが晩婚化傾向,未婚者の増大につながっている,少子化につながっていると考えたのだ。これに対策すべく,私は,日本から<健常家族>という概念を払拭し,「家族を多様化」したいと考えた。

共働きでも,母子家庭でも,ディンクスを含めて,多様化する家族の形態を「社会が認める」ことを要求したいのだ。

私はこの考えが自分の中で自己完結していたつもりだった。でも私は離婚から興味を持ったせいか,議論が始まってすぐに,あっけなくも自分の視線の狭さに気づかされてしまった。少子化の原因についてである。みんながくれた意見はそれについて多かった。

秋山君の意見は「男女平等による女性の地位の向上が原因」である。私は以前この意見に対し「根底では同じ」だと述べたけど,今考えると差異に気づく。女性は結婚すると仕事を辞めなければならない事が多く,この「男女平等」が与える影響は大きいと納得する。

北須賀君から「養育費が原因」という意見をもらったが,同じく納得した。私の意見はたくさんある原因のひとつにすぎず,一面しか見ることができていなかったことを感じた。

私がこの議論の中で一番驚いたことは,柳瀬君の「少子化を楽観視する」意見である。

棒で頭を殴られたくらいの衝撃だった。はっきり言うと,少子化に不安を抱いている自分からすると全く反対なのでとっつきにくかった。でも持論もしっかり持っていて論理的に説明してくれたので理解することはできた。

全く逆の捉え方をしているので,私の中で,その考えを否定したがっている一方で,こんな考えもあるものかと,新鮮な発見をした感覚があった。不思議だけどなかなかいい経験になったと思う。

それも踏まえ,私はこの意見について賛同していない。「環境面その他でプラス」になるという意見。確かに「人口減少」はそうかもしれない。環境への負担は軽減するように感じる。だが,問題なのは「少子化」である。生産年齢人口の著しい減少は,日本経済の大きなマイナス成長を招く。しかも定常化する。マイナス面がプラス面を覆いつくすと思うのだ。

議論をした結果としては,少子化の原因を考えるとひとつではない,ということを強く感じた。よって求められる対策も変わってくる。もちろん「家族の多様化」を私は行いたいが,それには社会が受け入れる準備も必要だし,この急激な少子化をその対策だけでは対処できないと感じた。問題規模が大き過ぎるので何とも言い難いが,女性が「産みたくなくなった」でなく「産むことができなくなった」のであるならば,その要因を総合的に取り除いてあげることは急務である。

そして少子化をどう捉えるかという問題では,議論を終えた今,私は最初と同じく少子化を悲観せざるをえない。やはり,世界一の少子高齢国,しかも経験したことのないスピードというのは,脅威である。

私にとって少子化問題は「日本の未来の運命を分ける死活問題」である。

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米山 「価値観」

まずは前置き

「触れると,切れそうなぐらい尖っていた,」先日,友人Sが二十歳の頃の私を評していった言葉だ。

「そんなに尖っていたつもりはないんだけどなぁ。」と答えたが,確かに少し思い当たる節もある。そういえば尾崎豊なんかも聞いていたっけ・・・(とっくに時代遅れだったけど)そう,当時私は全世界を敵に回して尖っていたのだ。

二十歳の私は学校という社会に強い違和感を持ってはいたものの,それ以外の社会を知らずに学校以外の社会とはメディアから流れてくるイメージとしての社会だと思い込んでいた。つまり世界には学校社会の価値観と,メディアがイメージとして流す社会の価値観しかないように見えていたのだ。私が感じていた学校社会の価値観とは,建前の価値観で人はこうあらねばならない,こうあるべきだとおしつけてくるものだった。一方メディアが流す価値観とは,弱肉強食の価値観で人は強くなくては生きていけないと脅してくるものだった。倒産,リストラ,自殺者年間三万人を超える,といった言葉が新聞を賑せていた時代だ。

その『たった二つ』しかない価値観の両方ともに,強い反発と恐怖を感じていた私は,自己防衛するために無意識に尖がっていたのかもしれない。

反発とか恐怖心とかは自己増殖するものらしい。(今のアメリカなんかもそうだとおもいません?)その後私の自己防衛も過剰になっていき,ついに二年間に渡って人と話す事が出来なくなるところまで追い込まれる事になった。まぁ,自己防衛の矛先がどこかの国みたいに外側に向かわなかったのは不幸中の幸いだと今では思っているんですが・・・今から振り返ってみると笑っちゃうぐらい世間知らずで,頭でっかちだけど,二十歳の私は結構真剣に悩んでいたのだ。

そんなこんなで,今の私から二十歳の私へちょっと伝えたい事を書いてみたい。

「もっと目を大きく開いて世界を見てみなよ。世の中では本当にいろんな人が,それぞれの価値観を持って生活しているのが見えてくるでしょ。」そして「たった二つの価値観なんかにとらわれてないで,いろんな人に会っていろんな価値観に触れて,自分なりの価値観を築いていきなよ。」

さて,ここからが本題。

「・・・・自分なりの価値観を築いていきなよ。」といきなり言われたって,「どうしたらいいんだ。」とかつての私なら言うだろう。

自分なりの価値観を獲得するためには,多様な価値観に触れる必要がある。「その事は理解できるけど,具体的にはどうやればいいのかはさっぱり理解できん。」と噛み付くに違いない。

そこで,これから多様な価値観に触れる事が出来るかもしれない具体的方法の一つを提案してみたい。

1. 多様な価値観に出会うために(ドキュメンタリー映画制作)

人と言葉を交わすことが出来なくなっていた時代,やる事がなくて(やらなきゃいけないことに追いまくられるのは辛いけど,やる事が何もないっていうのもかなりつらいんですよ),でも家の中に閉じこもってしまう事だけはなんとしても避けたかった私は,毎日朝から晩まで映画館に通いつめていた。そして,そのまま迷い込んだ映画学校でドキュメンタリー映画を作る事は,多様な価値観を持った人に向き合う事だと気づいたのだ。

例えば,映画学校の課題で仕事をテーマに短編作品を撮ったときには,社会には多様な人々が多様な価値観を持って生きているということを強く意識させられた。屠畜業者,肉屋の人達から見えてきたのは,学校の中にいては観る事の出来ない社会の多様な姿である。スーパーのパックされた肉が,どのように生産されどのような犠牲の元に商品として並べられているのかという事や,その現場では働く人に今なお降りかかる差別の問題,そのほかにも包丁を手入れする姿から垣間見れる,職人としてのプライドといったものも学校の中にいては実感しにくいものであった。

そのとき感じたドキュメンタリー映画制作の利点とは,相手と真摯に向き合わなくては何も撮れないということだ。ドキュメンタリー映画を作っていく中で,世の中には学校やメディアが流す価値観だけでなくもっといろいろな価値観があり,自分にももっといろいろな可能性があることを私は実感したのだった。そしてもし自分が高校生のときにこのような経験をして,価値観の多様性を実感していたら,社会の中で生きていくより多くの可能性を考えることができたと思うのだ。

2. 高校時代に多様な価値観に出会うために(高校におけるドキュメンタリー映画制作)

「僕の高校の教師は教卓に置かれた教科書を読みながら,ブツブツ念仏のような授業ばかり,ぼくはずっと寝てばかり」と言うMTAをはじめ,「今の私の考えや感性や経験から,もう一度やり直せるなら,何かを目指す生き方をしたい」と言うOさん,「何か満たされないものを抱えていた時代です。もっとしたかったことだらけですよ」と言うSさん,高校時代を不完全燃焼で終えたとの思いを持つ人は多いのではないか。私自身膨大な時間を費やした高校生活を振り返ってみても,その後の生き方につながったと思えるものはほとんどない。

今思うとほんとに狭い枠の中でしか世界を見ていなかったんですよ。世界はもっと豊かで,可能性があふれているのに。

私はその原因のひとつが学校と言う『ひとつ』の価値観が支配する世界の中で,ただ一方的に知識を教え込まれることにあったのでは,と考えている。そこで社会に出る前に,学校の外の世界を垣間見れる教育があったら面白いと思うのだ。

そのためのツールとして1に書いたドキュメンタリー映画制作を提案したい。

私は,ドキュメンタリー映画を製作することによって学校がコミュニティーの中心として多様な価値観が出会う場になりうると考えている。

まず1に書いたようにドキュメンタリー映画というのは取材対象のところへ出向いていかなくては撮ることが出来ない。映画を製作する過程で地域の人たちと関わらなくてはいけなくなるであろう。地域の多種多様な人々の価値観との出会いである。これは従来の学校が学校の枠内に収まりがちだった点からすると,面白い試みだと思う。

また完成した映画を上映する場としても学校は優れている。学校は体育館と言う多くの人が集まれる上映スペースを持っている。また映画制作で出会った人,生徒,その父兄,教職員,地域の人たちなど学校を上映会場にすることで映画を見に来てくれる人も多く見込めるはずだ。その上映の場は多くの人の多様な価値観が交流する場になるに違いない。

映画を制作する事,そして完成した映画を上映することで,様々な価値観が出会う場として学校が機能する。そのように学校が開かれていく事のメリットは生徒のみならず教員,地域住民にとっても大きいのではないだろうか。

3. そろそろ結論

私は高校時代に様々な価値観にふれ,そこから自分自身の価値観のようなものを築くことが大切だと言う思いから,ドキュメンタリー映画を通して多様な価値観が交流する場が築けないだろうかと言うことを書いてきた。このことはこの文章表現の授業のテーマでもあったような気がする。まず自分の意見を表明する。そこにほかの参加者から同意,共感,反対意見,反論様々な意見をもらうことで自分とは違う価値観を発見し,そこから自分の意見,価値観を築き上げていくこと。それがこの授業のテーマだったのではないだろうか。正直に言うと,この授業の期間があまりにも短すぎたので,ちょうどほかの参加者の人となりや価値観が見え始めたころに締め切りが来てしまったと言う印象がぬぐえない。

それでも,多様な価値観を持った人が集い,交流する場と言うのは刺激的で面白いものだと言うことが再確認できた。そしてこれから先,高校という場でドキュメンタリー映画というツールを使って多様な価値観が交流する場を築いていきたいという思いが少し強くなった。

最後に蛇足

「Sさん(私)ってずるいですよ。最初の十秒はいい人に見えるんですから。」昨夜,後輩Iと呑んでいていわれた言葉だ。

二十歳の頃から八年間,数え切れないほどの人に会い,多くの人から影響を受けてきた。

多様な価値観に触れてきたといってもいいだろう。

でも,たった十秒いい人に見えるようになっただけらしい。

本当は「人当たりのいい,とても大きな人になった。」といわれたと書きたかったが,現実はたった十秒いい人になっただけ。

これまで多様な価値観に触れる事の重要性をながなが書いてきたが,現実はそんなものかもしれない。

それでも,私は自分の価値観を築くためにも多様な価値観に触れる事は重要である,と思う。またその事は面白い事だ,とも思うのだが,どう思います?

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北須賀 「日本の音楽業界」

私は今,日本の音楽業界に興味・関心があります。なぜなら,日本の音楽業界は現在大きな転換期を迎えているからです。

どう転換しているのか説明すると,まずCDの売上枚数が減少しています。100万枚以上の売上枚数を記録したタイトルの数は‘90年代後半では10~20あったのに対し,昨年はついに0になりました。このようなことから,現在日本の音楽業界は不況だと言われています。

しかし私は,CDの売上枚数だけ見て「不況だ」と言うのは間違っていると思います。事実,作詞・作曲家が得られる音楽の著作権収入はこの3年間増加しているのです。この原因となっているのが,我々にも身近な携帯電話の「着うた・着メロ」です。昨年の4月にはすでに「着うた」対応機種が累計で1000万台を突破しており,そのダウンロード数も急激に伸びています。しかも,この「着うた」もただの一例に過ぎず,現在日本では様々な音楽配信サービスが行われてきています。

このように,現在日本の音楽業界は「CD販売」から「音楽配信」へのビジネス形態の転換期にあります。その上私は音楽が大好きで,将来何らかの形で音楽に関わる職に就きたいと考えています。だから,この状況で不況だと言われるのは余計に気に食わないのです。

私にとって「現在の日本の音楽業界」は,「不況」と言われているのに対して「不況ではない」と声高に主張したいものです。

この意見に対して初めてもらったコメントは「不況ではない」ことに同意してくれていて,その上で「CD販売」から「音楽配信」へ移行するとどんなメリット・デメリットが生まれるのかと書いてありました。それを見て「総合的に見てメリットのほうが大きいということが言えれば,日本の音楽業界は進展していっている,つまり不況ではないということが証明できる」と考えました。そこで,証明するには他の人がどんなメリット・デメリットがあると考えているかを知る必要があると思い,「不況ではない」ことに対してと同時にメリット・デメリットについても意見をもらえるように,皆に問いかけてみました。

そこでもらった一つのコメントが私の考えを根底から覆してくれました。

そのコメントにはまずこう書かれていました。「日本の音楽業界が不況だというのは,大手レーベルが持っている危機感ではないか」と。それは,インディーズレーベルの台頭や「着メロ・着うた」の普及のように,音楽やその聴き方が多様化していることにより大手レーベルの収入が減っていることもあって,そこから危機感が生まれているという意見でした。

この意見は私にとってとても衝撃的なものでした。なぜなら,私の「現在の日本の音楽業界は不況ではない」という意見は「多くの人が音楽業界は不況だというイメージを持っているので,それを覆したい」という私自身の考えの下に成り立っているものであったからです。それなのにこのコメントによれば「『不況だ』というイメージは一部の人のみが持っているもの」なのだから,私の主張はあまり意味を成さなくなることになります。また,そのコメントの後半には,私が思いつかなかった「音質の低下」等のデメリットについても書かれており,「自分の意見は完全に間違っていたのか」とまで考えました。しかし,そのコメントの最後に書かれていた「でも,音楽配信の普及はメリットが大きいと思う。音楽は急に聴きたくなるものだから」というに一言によって,何かわだかまっていたものが吹っ切れました。

私はこれらのやり取りからいろいろな事に気付かされました。まず「CDが売れなければ音楽業界は不況である」というイメージは誰もが持っているものではなく,自分自身がかってに生み出した固定観念であるということです。コメントを見てよく考えた結果,音楽番組・音楽雑誌を見続けた影響で私の中に自然と生まれたものであろうと分かりました。

これに気付けたことによってもう一つ気付いたことがありました。それは,「私は『現在の日本の音楽業界は不況ではない』ことを皆に言いたかったわけではなく,その意見に同意してもらい,自分が安心したかっただけなのだ」ということです。上記してある「『音質の低下』等のデメリットを思いつかなかった」のも「不況ではない」ことを自分の中で絶対化するためにメリットを重視しデメリットを軽視するなど,全てにおいて視野が狭まっていたことによるものだと気付きました。気付けたのはいいですが,ここまでしか思考が進まなかったとしたら,この文章は意見も何もないただの反省文になっていたでしょう。

最後に

最も重要なこと,つまり私の最終意見は結局なんなのかに気付かせてくれたのがあのコメントの最後の一言でした。これは「音楽は急に聴きたくなるものだ」と書かれていたことによります。「急に聴きたくなる」。これは誰もが持つ感情であり,人間の本能が欲することによって生まれる感情だと思います。この欲求を満たすには,当たり前ですが「聴きたい音楽を聴く」しかないでしょう。今まではこの「当たり前が」簡単にはできなかったのですが,これからはそれができる時代へと移り変わっていくのです。こうやって,生まれた欲求をすぐに満たすことができることは幸せな事だと思いませんか。

いろいろコメントを吟味していった結果,「現在の日本の音楽業界は不況ではない」という意見は変わりませんが,皆に対してではなく,私のように「CDが売れなければ不況である」というイメージを持っている人に対して伝えたいと考え直しました。そして皆に本当に主張したい私の意見は,「日本の音楽業界の進歩によって音楽はいつどこでも手を伸ばせば簡単に入手できるようになるのだから,聴きたいと思えた音楽には積極的に手を伸ばしたほうが良い」ということです。私な場合は音楽を例にとって言っていますが,この「興味あるものにすぐ手を伸ばす」という一見単純な行動は,案外積極性が必要であり,またそれによって多種多様なものに興味を持つことに繋がる行動だと私は考えます。よって,この「聴きたい音楽には積極的に手を伸ばす」という行動は様々な視点から見れば,自身の欲求の一部を満たしてくれる上,人生における経験を豊富なものにしてくれる大切な行動になると考えます。

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木下 「言葉の力」

世界には60億以上の人間がいる。そして何百もの言語があり,同じ人間でありながら話す言葉や文字は国や地域によって異なる。そのため,お互いを理解できないことが多々ある。神から命を授かりアダムとイブが生まれてから人間は様々な歴史を築きあげ,驚くべき進化を遂げてきた。聖書に「バベルの塔」という一説がある。

世界の言語が一つであった時代,技術の進歩により人間は高慢になり,神を信じぬ心が芽生え始めた。そして人間は己の力を誇示すべく,天まで届く塔「バベルの塔」を造り始めた。しかし,人間の驕った企ては神の怒りに触れ,その塔は打ち崩され,人間は世界中へばらまかれてしまった。同時に,一種類だった言語は地域ごとにまったく違った言語体系にされてしまい人間の意思疎通が困難になったのだという。この話はあくまで想像上の話で本当に人間がひとつの言葉を話していたと言う証拠はない。

しかしもしそれが本当だったならそれはすごく魅力的なことだ。話題を現在に戻すが,これからどんなに科学が発展しても世界中のすべての人間が同じ言葉を話す時代は来ないのかもしれない。言語を新たに覚え,完璧に使いこなすようにするには多大な労力がいるからだ。そして,「なぜ自国の言葉を話すことができて何の不自由もないのに世界共通語を話せるようにしないといけないのか?」という意見がでてきたり,自国の言葉に誇りを持っている人が反対意見を出したりするだろう。このようなことから世界共通語を作り,広く行き渡らせるということは大変難しいことであることがわかる。

今から100年以上前にザメンホフという人によってエスペラント語という世界共通語(人工語)が考案された。現在でも国際交流にエスペラント語を利用している人(エスペランチスト)がいる。エスペラント語は言葉の異なる民族との交流のための「橋渡し言語」と言われており,インターネットでの言葉の壁を減らすことができる言語である。

こういう話を聞いたことがある。日本とアメリカの国際会議があった時に日本人には通訳が付き,アメリカ人には通訳が付いていなかった。それはなぜか。そのアメリカ人は‘英語が優先であり会議は英語で進められるもの’と確信していたからだ。

現在は英語が事実上の世界共通語として使われているが,英語圏でない国のものにとって使いこなすには大変な努力が必要である。特に日本の英語力はアジアでも低いほうである。これに対して,エスペラント語であれば有利不利はないのでほぼ皆平等な状態からスタートできる。

しかしエスペラント語を世界共通語として広めるというのは理想論であって,実際エスペラント語はそこまで普及していない。エスペラント語の存在さえ知らない人も多い。普及しなかった理由として確実にこれといったものはないが,おそらく今の世界ではどこに行っても英語で通じるからではないだろうか。それならばわざわざエスペラント語を学ぶ必要はない。となると現実的に考えて英語が世界共通語となる可能性のほうが高い。エスペラント語にせよ英語にせよ,世界で共通に話せる言葉を,皆が流暢に話せるようになればすばらしいことだ。しかし,それによって母国語の大切さが失われてしまうようなことがあると良くない。言葉というのは各国の文化であり,歴史であり,誇りである。言葉は遠い昔にそこに住んでいた人たちが苦労して作り上げた人間しか作れない作品である。そのため,それぞれの国にそれぞれの言葉があったほうが興味深い。これからもし世界共通語が誕生したとしても,言葉が画一的になってしまうようなことは避けたい。

最近,「グローバル化(国際化)」という言葉をよく聞く。地球規模で物事を考えていく動きの事だ。そのためにはなによりもまず言葉を理解することから始めなければならないと私は考えている。私は英語を学び,アメリカに留学した。英語を学び話せるようになったことで自分の交流範囲が広がり,今までにはない経験をすることができるようになった。様々な国の留学生に会い,唯一皆が分かり合える共通語の英語を駆使して自国や勉強,スポーツ,音楽,家族などについて語り合った。お互い完璧な英語を話すことができず,発音の仕方も国によって特有で理解するのに時間はかかったがそのぶんかえってお互いを分かり合えたと思う。私は今でもアメリカの友達はもちろん,留学生の友達とも交流を続けている。たった一つの言葉を学んだことでこんなにも自分の世界が広がるということはすばらしいことである。言葉を学ぶことによって人を知り,国を知ることができる。言葉にはその力があると信じている。私は,英語はもちろん他の留学生の言語にも興味を持ち,大学ではスペイン語を学ぼうと考えている。そうすれば彼らともっと深い関係をもてる気がするし,彼らの国についての理解も膨らむと思う。

それぞれの国に誇れる母国語があり,かつ世界共通語が広く行き渡っていて国際交流がしやすい世界というのが私の理想である。だが私が生きている間にそのような世界になっている可能性は高くない。どんなに科学が発達しても国同士の解釈の違いなどから生まれる争いはいまだに耐えない。その中で私は,自分が話せる言葉を少しでも増やして,それぞれの国の視線に立って物事を考えられるようになれたらいいと思う。言葉の力だけですべての人間が理解しあうことは難しいと思うが少なくとも壁は薄くなるのではないか。私は言葉の力を信じてこれからも歩んでいきたい。

私にとって言葉とは自分が世界への一歩を踏み出すためのなくてはならないものである。

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木村 「ダイビングから学んだこと」

私は,中学1年生のときにダイビングのライセンスを取り,それから伊豆や沖縄,海外の海に潜ってきました。私が今まで潜ってきた中で最も美しいと思う海は沖縄県の西表島です。西表島は陸上には未開の熱帯雨林が広がり,海中には広大なサンゴ礁が広がっているポイント,潮の流れの速いダイナミックなポイントなど様々な表情を見せる自然豊かな島です。ダイビングは海洋生物を観察したり,写真を撮ったりするだけではなく,海中の生き物の生命力に触れることができ,心がとても落ち着き,普段の生活から解放されるような気がします。また,ダイビングのツアーに参加すると様々な年代の方と話せるよい機会を持てるので多くの意見をきくことができます。

私は,ダイビングを始めてから環境問題に大変興味を持つようになりました。特に海の環境汚染について興味をもっています。今私はサンゴを養殖して少し成長した苗を接着剤で植えつけていくサンゴの移植活動をしてみたいと思っています。移植に参加した人々は,サンゴをきれいだなあと見ているだけではなく,生態について学ぶことでもっとサンゴを大切にしていかなくてはならないとう意識が芽生えたようです。サンゴは光合成をして二酸化炭素を吸収して,酸素を供給する,小さな魚や生物の住みかになるなど海にはとても大切な存在です。しかし地球温暖化の影響による水温の上昇が原因となっている白化現象や,オニヒトデの大量発生などの影響でサンゴが死んでしまい,海洋生物が減少しているポイントがあります。私自身,海に潜っていて水温が例年と比べて高いなあと思うことや,サンゴやイソギンチャクが白くなっているためにそこを住処とするクマノミやエビといった生き物がかわいそうだと思う時があります。白化現象が進行しているポイントは潜っていても,風景が暗くて,生命力を感じられず,さびしく,悲しい気持ちがします。

オニヒトデは太く,毒のある棘をたくさん持ち,不気味な姿態をした,サンゴを食い荒らしてしまう困った存在です。特に沖縄の海でオニヒトデがサンゴの周りにゴロゴロとしているところを目にします。インストラクターの方がオニヒトデをナイフや棒で切り裂いていましたが,オニヒトデは分裂しても再び生き返ってしまいます。現在では組織を挙げてオニヒトデ駆除に力を入れているようですが,どれくらいの効果が出るのかはわかりません。これから私たちは新たな駆除方法や対策を考えていかなくてはなりません。

また,港付近や海岸近くの浅瀬に潜ってみると,幼魚の生育場所にも関わらず,空き缶やペットボトル,さらには自転車や電化製品といった粗大ゴミまでが投棄されていました。幼魚の生息場所を汚してしまうと生態系に影響を与えることになると思います。人間の身勝手な行動によって生態系が崩れていってしまうのはとても悲しいことです。私たち一人一人が気を付ければ簡単に解決できる問題ではないでしょうか。

最近では温室効果ガス削減を目的とした京都議定書が発効されるなど環境問題解決のために世界各国が動き出しています。しかし京都議定書にはアメリカの不参加や,発展途上国には削減義務がないことなどたくさん問題点が残っています。日本の削減義務は6%となっていますが,達成することができるのでしょうか。やはり工場や発電所から排出される温室効果ガスは多いけれど,私たちの普段の生活にもたくさんの原因がひそんでいるように思います。私たちは贅沢な生活に慣れすぎてしまったために多くのゴミを生み出してしまったし,エネルギーを使いすぎてしまいました。まずは,私たち一人ひとりにできることから変えていくべきだと思います。

私が尊敬する人物はダイビングの雑誌で読んだ,ジャック・モイヤー氏です。彼は鳥類の研究者で,三宅島に渡りましたが,そこで美しいサンゴ礁の海に触れ,海洋生物学者となりました。そしてクマノミの性転換についてなど大きな発見をした方です。それから亡くなる前までは三宅島で子供たちに自然環境の大切さを教えていました。私も彼のような心から自然を愛し,大切に思い,環境保護の活動を積極的にできるような人になりたいと思っています。

私はダイビングを始めたことによって,様々なものを得ることができました。自然環境の大切さを知り,環境問題解決のために何ができるかとういことを考えるようになりました。人間環境学部に入学して,環境問題についてもっと詳しく学びたいと思ったのもダイビングのおかげです。ダイビングを始めていなかったら私は将来の進路についても考えることができなかったはずです。ダイビングに出会えたことを心から感謝しています。ダイビングは私にとって将来を決めることのできたすばらしいものです。

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柳瀬 「「地元」について」

私は,長い間生まれ育ってきた地元に強い愛着を持っている。長い間住み続け,地元のことをより詳しく知るたびに,愛着が深まっていく。そんな想いから,いつしか地元のまちづくりに関わっていきたいと思うようになった。地元がもっと住みやすく,ずっと元気でいてほしい,そのために貢献していきたいと思っている。

まちづくりを行う究極の目的は人々が本当に豊かで,幸せな暮らしを送るためだ。人々の生活の基盤になるのが,住んでいる地域だからだ。しかし,現在の日本のまちには人間が生かされていなかったり,そのまちに住む理由が打ち出せていないのではないかと思うことがある。その原因はこれまでのまちづくりでは生産性が重視されていたことにあると思う。戦後,日本では生産性の向上がひたすら求められ,まちづくりの主眼は道路などの建造物を造ることに置かれてきた。都市設備が急速に整備されたことで産業や生活そのものが高度化し,日本の経済成長を支える要因になった。しかし,まちの機能を追求する上で,自然環境や人と人との交流が失われ,全国どこにでも同じようなまちを出現させる「開発」が行われてきたのも事実だ。

戦後60年を迎えた今,人々は快適さを求めるようになったと言われている。これは量の充足の物質的豊かさが満たされ,次の次元の質の充足である本質的豊かさを求めはじめたからだと思う。これまでが豊かさのためのハード面の整備の時代ならば,これからはそのソフト面の時代ではないだろうか。

これからのまちに求められるのは,人間の居場所だ。これまで失われてきた人間性や自然環境を取り戻し,より豊かに暮らせる環境にせねばならない。

さて,まちづくりを行っていく上で欠かせないのが住民の関心だ。住民が自分の住むまちに関心を持っていなければまちづくりは進められない。しかし,今後の地域の担い手となる若い世代は地元にあまり関心を持っていないのではないだろうか。これは,私と同世代の友人との会話の中であまり関心が感じられないと思うことが多いからだ。実際,全国の同世代は地元に対してどのような考えを持っているのか,今回この講座を通して問いかけてみた。

反応は予想以上に良かった。やはり生まれ育ったまちには安らぎを感じ,愛着を持っているようだ。開発されるよりも今の姿の方が良いという意見も印象的だった。これらの意見からは,まちに人と人との関わりであったり,自然とのふれあいであったり,安らぎを求めていることがわかった。同世代も地元に関心を持っていることがわかり,安心した。

他のテーマでの議論も非常に役に立った。まちづくりはより住みやすく,より幸せに暮らせる社会にしていくための根幹に関わるからだ。

これらの議論の内容から,もう一度,これからの地域はどうあるべきかを考えてみたいと思う。これまでのまちづくりでは主に「造る」ことが重視されてきた。しかし,これはまちが便利になる反面,まちの個性や人と人との関わりや自然環境が失われる結果にもなった。

人々がこれらのことを価値と感じているということは,まちづくりのあり方を考え直す機会ではないだろうか。物中心のまちづくりから人中心のまちづくりへだ。これが本当に豊かな暮らしへの道筋だと思う。

まず,地域に求められているのは安らぎや人との交流,自然とのふれあいなど,形が無いものである。便利になったとしても,その引き替えにこれらが失われることには否定的な意見が寄せられた。これは,今までのようなただ造るだけの「開発」は受け入れられないことを示していると思う。やはり,これからのまちづくりではソフト面が重要になってくるのではないだろうか。例えば,街並みや地域の文化を大切にしたり,道路で分断された地域間のつながりを取り戻したり,住民が集えるオープンスペースを確保したり,過去の「開発」で失われた元来の自然環境を取り戻すなどといったことが挙げられる。

次に,環境との共生である。問題の深刻化は我々にライフスタイルの転換を求めるはずだ。

有限な資源による物の生産拡大は継続困難に陥ると思われる。文頭に述べたように人々は物質的豊かさから本質的豊かさを求めはじめたように思う。もしそうならばライフスタイル転換の好機だ。今まで価値とされてこなかった,前述のような形の無いものに新たな価値を見いだすことができるのではないだろうか。これらの価値を生かすことが,これからの時代に求められる物質に頼らない発展につながると思う。

加えて,少子高齢化とその進行による人口減少は地域に大きな影響を及ぼす。特に過疎地域では人口が他地域へ流出してしまったり,地域の担い手がいなくなってしまえば死活問題だ。地域の魅力を高め,地元に住み続けやすく,また,帰還者を受け入れやすくする必要がある。また,子育てや高齢者に対する地域での細やかな支えは問題対応への大きな力となるだろう。

様々な課題に対応し,持続可能な地域にしていくために必要なのが地域活性化だ。地域が持続可能にならなければ日本全体が持続できなくなる。人々が地域の価値を認識して地域が活性化すれば,地域での交流も深まり,地域の中に居場所が得られる。住民が地域に関心を持ち,もっと積極的に関わっていけば多くの課題の解決に繋がる。結局,まちづくりによって人間力がもっと引き出せると思うのだ。今すでにある様々なものを生かして,まだ地域は活性化できると思う。

終わりに

様々なテーマについて,全国の同世代とこれだけ深く考えを出し合えるのは,非常に貴重な機会だったと思います。色々な人達の考えを知ることで物事を多方面から見ることができました。自分の考えを他者に提示して意見をもらうことは初めての経験で,独りよがりになりがちだった,また,いまいち説得力が足りなかった自分の考えの問題点が見えてきました。

私はこれから大学で学んでいく上で下地として考えていきたいことをテーマに設定したので,将来にわたっても非常に有意義な経験にできたと思います。

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林 「そもそも結婚はする必要があるのか」

1. きっかけはプロポーズ(動機)

6年ぶりに再会した彼と2年間,友人とも恋人ともつかない関係を続けた末に,切り出された「秋田に来て一緒に暮らそう」という言葉。きっと彼となら,幸せな家庭が築けるだろうなぁと空想していたこともあったので,実際はとても嬉しい申し出だったし,突拍子の無いものでもなかったはず。けれど私は,与えられた半年の猶予の結果そのプロポーズを受けることができなかった。理由は沢山ある。大学を受験しようと思っていること,実家の保育室の経営のこと,東京を離れて新しい秋田という土地で暮らすということ。正直に何でも話せる彼だったので,その事情を話すと快く応じてくれた。

「それなら,ソウルメイトとしてこれからも励まし合おう」・・・彼の言葉を受けて,なぜか私の心は沈んでしまった。なんとなく,優しい彼の気持ちを裏切ってしまったような後ろめたさが残ったからだ。それに,私は,やがて来るであろう彼の結婚を,心から祝福できるだろうか?そもそも結婚って何なんだ?本当にややこしいこの制度,なんでみんな,愚痴を言いながらも結婚するの?結婚ってもしかすると必ずしもする必要の無いものなのでは・・・?

2. 結婚しなくても幸せ73%『読売新聞 朝刊(2/26)第一面より』

そんな私情の絡んだ今回の問いかけに,BBSにはいろんな立場の女性や男性から,コメントを頂いた。中でも面白かったのは,「結婚しなくても幸せ」と答えた未婚女性が73%もいた,という読売の記事だ。大久保さんにこの記事のことを教えていただいたとき,「そうは言ってもこの人たち,実は結婚したいんじゃないの・・・?」という気持ちが過った。独身女性向けのサイトを運営していた3年前に,独身女性を対象にして行ったアンケートでは,「やっぱり,結婚したい!」と答えた女性が9割いたからだ。そこで早速図書館でその日の新聞を見るとやはり,未婚者でも結婚はするべきと考えている人が42%いることが分かった。

女性の社会進出が進み,世の中の育児ケアが発達し,一人親でも子供を育てる環境は以前に比べるとずっと豊富になってきている。この時代にあってもなお,結婚をしたい,もしくはするべき,と思っている女性は多い。それは全くの他人事ではなく,「寒い冬,夕飯の匂いがこぼれる暖かそうな人の家の前を通ると心和んだり。だから幸せな家庭結婚を心は求めている,のかも。(Oさん)」「実際,世の中には,結婚して良かった!という方々もいらっしゃるわけで,羨ましいかぎり(Hさん)」「結婚でなくても付き合ったり(付き合うって何という疑問もありますが)していると,一体化を求めるという事があると思う(Yさん)」なんていう気持ちに「ウン,ウン。」とうなずく自分がいることに気づく。

好きな人と,なにか公に認められる形で一緒になりたい,という気持ち。そういう,理論とは別のところに存在する憧れ,みたいなものが,しっかりと人々の心の中にはある。それが,理不尽と知りつつも,愚痴りつつも受け入れてしまう制度を後押ししているんじゃないか,と思う。実際,データ上でも結婚のメリットとして,「精神面の安定」を挙げた人がアンケート回答者全体の約半数いた。

今,結婚しなくても幸せ,と言っている女性達がその心の奥で,大きなリスクを引き受けたいと思っている理由も,結婚することの現実面よりも結婚の持つ「暖かさ」「安定」というような,イメージに引きつけられているのでは,と思うのだ。

3. これからの結婚を考える(結論)

しかしその結婚,上手くいけば確かに良いけれど,上手くいかなかった場合,一人で幸せだった頃よりも不幸せになってしまう可能性もある。精神面の安定どころか,実際は不安な日々を送るリスクもあるのだ。事実うちの母,姉も離婚を経験しているし,私の勤務している保育室に来る人の大半がシングルマザーである。その誰もが,離婚が子供に与える影響を危惧している。

当の子供としては親同士がいがみ合っている姿を見るよりは,安定している姿を見ている方が良い。けれど,社会的な信用を考えて母はなかなか決断ができないようだった。私はそんな母を見るに見かねて「離婚しても良いよ」と母に言ったことがある。これは辛かった。家庭を壊したのは自分だ,という気持ちが,なかなか離れなかった。けれど長い月日をかけて,やっとこう思えるようになった。母と父が別れたからと言って,今までのことが0(ゼロ)になるわけでもない。

私にとっての母と父はきちんとそこにいるのだから。

当時私は14才で,もう既に男女のいろはについての知識はある程度あって,永遠に愛し合うなんてことが幻想に近いものだということも分かっていた。もちろんそりゃ素敵なことだけれども,現実はそうじゃないことの方が多い。

そういうリスクを考えると,よっぽどの出会いが無い限りは,結婚する勇気が湧いて来ない,というのが本音だ。リスクヘッジの為に,複数の男性とそういう関係性を築きながら,子供を産むベストな環境を探りたい。もしダメだったとしても,大丈夫,という状態に常に自分を置いておきたい,と思うのは自然の流れなのではないか。しかしそれでは,結婚のメリットである「社会的な信用アップ」はおよそ望めない。この辺が今の「負け犬」世代の悩みどころなのではないか。

調べると現行の結婚制度,導入が決まったのは明治と,その歴史は浅い。それまでは契約というよりは生活面での役割分担というゆるい結びつきで,必要があれば実家に帰って生活するということも行われていた。その中で,懇意にしている男友達が育児に参加する場面もあっただろう。

今我が家の保育室では,いろんな家族が保育室を媒介として混ざり合い,ボランティアや子供好きのスタッフと子供達とが時間を過ごし,母親と父親は仕事に行く,いう新しい関係性も生まれてきている。核家族化の影響で,母子だけが狭いマンションの1室に閉じこもり,母親が育児ノイローゼになってしまうという現代にあって,家庭そのもののあり方も変化を求められているのではないか。

表向きを取り繕って,実態は寂しい家族よりも,見た目は不格好でも笑い声が絶えないような家庭のあり方。そういうものは,制度的なイメージや幻想に囚われていてはなかなか作り出すことが出来ないと思う。逆に,一人一人が自分の気持ちに正直になって,本当に大切なことは何なのかをお互いが考えることで,結婚は幸せのきっかけ作りになるのではないか,とも思う。

事実,大変なことは沢山あるけれど,離婚を経験した母と姉は暖かい家庭を,父という存在無しで作り上げて来た。また父も,自由人として俳句を詠む等,寂しさの中で自分を表現しながら生きて来たのだと思う。父は何かあると私を呼び出して酒を飲む。こんな関係も,悪くは無いと思うのだ。もちろん,心からそう思うまでに時間はかかったけれど,その傷は私の味になっていると今は好意的に解釈することにしている。

そんな中にあって,私の結婚観は,揺れ動きつつも一つの結論に向かいつつある。それは,壊れるリスクを忘れるほどに好きになれる人が現れない限りは,結婚しない。というものである。ますます晩婚化が進んで社会問題になる?という懸念も,無くは無いけれど,それだったらもう少し,結婚についての世の中的な幻想が,現実に近づいてくることを望みたい。

今はだって,一人でも十分幸せ,なんだもの。

4. おわりに

レポートを書いたあとも,やはり揺れ動く女心,ではあるけれど,まとめて考える機会があったことで,結婚についての自分のスタンスがある程度まとまった気がする。また,関連トピックでレポートを書いている他学部の方から感想を頂き,そのレポートを読むという機会にも恵まれた。やはりこうやって関心に基づいて繋がっていくことの面白さは,この授業ならではだったと思う。

しかし,振り返るに,自分の意見の偏りにも問題があったのかもしれないけれど,もう少し活発な意見のやり取りが欲しかった。あと,相互自己評価については,フォーマットの規定がある場合は期間が始まる前にその説明が欲しかった気もする。

しかしこうやって人の意見を聞きながら文章を作るという授業はとても面白いし,新鮮だった。こんなにも人の文章を評価するのが難しいのか,と。しかし一番難しかったのは自分の文章の評価だった。

先生,TAの方どうもありがとうございました。

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鈴木 「モノの価値」

1. 動機

我々は,現代を生きて行く中で様々な価値判断に迫られる。しかし,それが身近な行為であるが故に,大半の者は無意識のうちにそれを行ってしまう。私は,高校三年間をヨーロッパで過ごした。そして,海外での生活を通して感じた周囲との強い差異は,私の自己意識を強め,価値判断について考える機会を与えてくれた。しかし,周囲に流されるのを拒むあまり,私の価値判断は単なる独断となってしまっていたように思う。価値判断が我々の日常生活で重要な役割を果たすことから,私は価値判断と人間形成,更には現代社会との間に相互関係があると考え,その関連性の追求に興味を持っている。今,大学という新たな社会に入る前に,現代の価値判断の実態を検証することでそれを証明すると共に,もう一度私の理想とする価値判断の在り方を考えていきたい。

2. 展開

第一に,「価値判断」の定義とは何なのだろうか。私は,「価値判断」を「モノの価値」に対し「自己」が下す判断であると考えている。すなわち,私の下した価値判断が独断となってしまったのは,「モノの価値を見出す」という行為が未熟な状態であったためだと言える。「モノの価値を見出す」この行為には終わりがない。「自」が在り「他」が在る以上,モノの未知の部分は残り,完全に掌握することは不可能であるのだ。また,例え対象が自己であっても,モノの価値を見出す際には「他」として捉えざるを得ない。よって,ここで言うモノの価値とは常に未完成であり,そしてそれ故に成長の可能性を秘めた状態なのである。独断でない価値判断を行うためには,モノの価値を見出す目が必要であるのだ。

「モノの価値」を見出すには,それが「絶対的価値」と「相対的価値」の組み合わせによって創成されており,両者において優劣を競うことはできないということを理解しなければならない。例えば,ここに一個の物体Aがあるとしよう。絶対的視点のみでこれを見れば,Aの存在がそのままAの価値となる。形,色彩,大小,重量,装飾,その良し悪しを決定するのは個人の主観であるが,その決定の指針となるAの存在は絶対なのである。

相対的価値はここに物体BやCの存在を加えることによって生まれる。他の物体との比較は,新たなAの価値を見出すきっかけとなる。しかし,Bよりも安定性がある,Cよりも表面積が大きい,などという相対評価のみに囚われた場合,比較情報によって架空の物体A´を生んでしまうのである。A´に多種多様の比較による情報が追加されたとしても,A´の芯は物体Aに他ならない。よって,Aの存在と言う芯を見失えば,A´は一人歩きし相対的な視点によってしか存在しない概念となってしまう。これがいわゆる,アイデンティティの喪失である。絶対的価値を伴わない相対的価値はモノの存在を歪め,比較することなしではその姿を見出せなくなってしまうのである。

しかし,かといって相対的な価値を見出すことがモノの姿を見失うことに直結するわけではない。大切なのは,常に絶対的価値つまりモノの存在を忘れないことだ。相対的価値を見出した上で,再び絶対的価値と照らし合わせてみる。そうすることで,A´と芯であるAの繋がりを確認することができ,またAのみを見ているだけでは気付かなかったAの魅力や欠点を見出すことにもなる。そして更にそれが新たな比較の切り口になっていく。

このように「比較」と「存在への還元」を繰り返し行うことで新たなモノの価値を見出していくことが可能となるのである。

すなわち,絶対的価値と相対的価値とは相関関係にあり,「価値」というひとつの「螺線柱」を創りあげていくのだと言える。芯である絶対的価値に相対的価値という弦を巻きつかせながら,より高い「螺線柱」はできあがる。その柱が高くなるほどそこから見える世界は広がり,広い視野を併せ持った価値判断が可能となる。私はそれを理想の価値判断の姿であると考える。しかし,絶対的価値と相対的価値のどちらか一方でも欠けてしまった場合,「螺線柱」は傾き,そこから下す価値判断には歪みが生じやすくなる。

それでは,現代のモノの価値は,絶対的価値と相対的価値が適度なバランスを保って創成されていると言えるのだろうか。現代では,過剰な物質や情報の増加が次々に新たな比較対象の出現を促し,物質の価値判断は情報処理された相対的なものになりつつある。しかしここで興味深いのは,対物質の価値が比較によって見出されるほど,逆に対人間の価値が絶対を重視する風潮に傾いてきているということだ。特に教育の場では,個性の重視,通信簿の絶対評価制など,個の存在が重要視されている。これらのことから,対物質にしても対人間にしてもモノの価値は時代によって変化し,偏りが見えつつあるということが分かる。

3. 議論と展開

教育界の傾向は既に我々の内部意識にも影響を与えている。BBSに提示されたコメントの中に,「人間に対して絶対的な価値は見出せない」,「他人との比較ではなくあくまで絶対的価値を重要視すべきだ」という二種類の意見が見られた。これらの意見こそが,我々の見出すモノの価値に歪みが生じているという表れである。前述したように,理想の価値の姿とは絶対的価値と相対的価値が「螺線柱」のような相関関係にある状態をいう。よって,どちらか一方のみの価値によってモノを捉えようとする意識は,私の理想とする価値判断から外れていると言わざるを得ない。

それでは,何が見出すべきモノの価値を偏ったものにしたのだろうか。私はまず,現在の人間に対する絶対的価値重視傾向の発端は,物質の氾濫や情報過多社会によって生み出された物質への相対的価値重視傾向であると考える。双方を比較すると,昭和30年代,物質過剰時代の幕開けともなった高度経済成長期に物質世界の相対的価値重視傾向は教育界にも波及した。結果,内申書による結果主義教育や学歴志向等によりアイデンティティの確立できない若者が増加したのである。成長期が終末を迎える昭和50年代,個性化教育が重視され始め,平成以後は絶対評価が相対評価に取って代わり,個性重視には更に拍車がかかっている。

そして現在,対人間の絶対的価値重視の傾向は,社会全体に浸透したと言っても良い。

それは,BBSの意見にあったように「NO.1にならなくてもいい,もともと特別なOnly one♪」という歌の大ヒットからもいえる。この現象の恐ろしい点は,対象が自身に向いた場合,他者の介入を拒む閉鎖的な世界に陥る可能性があるというところにある。例えば近年,増加の傾向にある引きこもりの原因には,競争関係を嫌がるなどの人間関係の脆弱さが原因のひとつとして挙げられている。現代社会におけるモノの価値の歪みとこのような現状とを不用意に結びつけることはできないが,将来,その歪みがこれに似た形で社会に影響を与える可能性も見逃せない。

4. 結論

理想の価値判断の姿とは,自分にとって都合の良いモノの価値を創り上げることではない。「モノの価値」を見出した上で,初めて「自己」を通しそれを判断することである。絶対的価値を尊ぶ傾向にある人間教育社会であっても,相対的価値を重視する物質競争社会であっても,偏向的な見方ではモノの価値を見出すことはできない。そして,歪んだ価値判断は現代社会の問題にも繋がるのだ。それを防ぐためにも絶対的価値と相対的価値の「螺線柱」を意識して保ち続けることが重要であり,それによって我々はどちらに偏ることもない価値判断を下していくことができるのである。

5. 最後に

まず,目安であった2000字を大幅にオーバーしてしまったこと,また独自に「展開」の章を足してしまったことについては,申し訳ありませんでした。より分かりやすい論文を書くことを優先し,今回の講義の趣旨に反するような事柄ではないと判断しましたので,敢えてこのまま提出させて頂きます。

今回の講義は私にとって新しい授業の形態でありました。レポートの相互評価は中学や高校でも行ってきましたが,それは実際に会って話し合い,ディベートをしながらより高度なレポートを創りあげていくというものでしたので,それに比べインターネット上でのディベートは違う空間で時間を置いて行われるため,より正確な日本語で相手の作品を批評しなければなりませんでした。相手に自分の意見がうまく伝わらず焦れたこともありましたが,意見交換を重ねたぶんだけ「相手に伝える」と重視したレポートに仕上がったと思います。

ひとつだけ,気になった点は,グループの分け方です。今回は学部別に振り分けられていましたが,もしまた機会があれば,その時はテーマ別のグループ形成を希望します。それぞれのグループを覗くと「歴史」「時事・社会問題」「道徳・モラル」「国際問題」等のテーマ別に分けられるように思いましたので,そのほうがより深い話し合いを行うことができるのではないかと感じました。

掲示板のほうへ書き込む機会を逃してしまったので,この場を借りて同じグループ内のメンバーやTAの方々にお礼を言わせて頂きたいと思います。三週間,ありがとうございました。

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傅 「「語ることのススメ」」

1. 動機

私は人との関わりをわずらわしく思っていた時期があった。2年前くらいだっただろうか。

私は友人達の輪に入ることを拒んでいた。私がこのように感じるようになったのはある出来事を経験してから,人間が動物的で汚らわしく見えるようになったからだ。人間という生き物は自分でもいまだつかみきれないでいる。人間はすばらしい生き物だと思いたいが,素晴らしいと実感するよりもまえに,私は人間の自己中心的な側面を垣間見てしまった。

自分も例外ではない。いくら人に優しくしたところで自己満足的な要素が自分の心の中に存在するのは紛れもない事実である。このことは自分自身が一番よくわかっている。私は友人達に自分の動物的で自己中心的な部分をのぞかれることをひどくおそれ,友人の中で素の自分をさらけ出そうとはしなかった。あのころは友人達と一定の距離を置き日々迷い悩みながら生活していたように思う。

しかしそんな私もある友人との出会いをきっかけに少しずつ迷いが解消されていった。彼の前では素の自分をさらけ出すことが出来た。学校で暇があれば語り,意見を交換するという日々が一定期間続いた。彼との対話を経て様々な悩みに対して次第に自分なりの結論を見出すことができた。もちろん全ての悩みが解決したわけでわないが再び前向きに生きる姿勢を取り戻すことが出来た。人間についてもまだわからないことが多いがこれからも自分なりに答えを探していきたいと思っている。

私が2年前の出来事を経て思ったこと。それは苦しかったが悩んだ時期が今の自分に確実にプラスになっているということである。この結果をもたらした要因のひとつは良い語り相手に恵まれたということである。もうひとつは「語る」というコミュニケーションを通じて自分なりに考え抜いたという姿勢にあると思う。抽象的なことではあるが人と語り考えるということは自分を高め人間として成長するためにすごく重要なことであると思った。

このころから私は人との「語る」というコミュニケーションの重要性を感じるようになった。

私にとって「語る」というコミュニケーションは自分の視野を広げるものであり,物事を多角的に見る能力を身につける上で非常に重要な手段であった。私は「語る」というコミュニケーションが人間の成長に重要であるということを自分の経験を通じて感じ,そのことをうったえたいと思い今回のテーマにいたった。

2. 議論

以前の私は「語る」というコミュニケーションを自らの価値観を膨らませ広げるためのものであるという閉鎖的な考えしか持っていなかった。

しかし,今回の議論を通じて「語る」というコミュニケーションの本来の重要な役割に気付かされた。私自身はその役割を認識することなく知らず知らずのうちにコミュニケーションをとっていたのだが,「語る」というコミュニケーションは人間同士が理解しようするための唯一の手段なのではないかと議論の中で言われ,そういえば,と今回はじめて本来の役割を認識した。議論を経て一般的に我々は自己を成長させるためというよりは「語る」というコミュニケーションを他人とわかりあうための手段として使用してきたという事実を再認識するにいたった。

3. 結論

議論の章でも記したとおり我々は「語る」というコミュニケーションを他人とわかりあうための手段として普段何気なく使っている。しかし,ただわかりあうだけでなくさらに,新たな価値観を取り入れ,自分を磨き,深みのある人間になることがコミュニケーションの醍醐味ではないかと思う。私は自分をさらに人間的に成長させるためにも柔軟な思考を持ち,これからの出会いを大事にしていこうと思う。当たり前のことを記してきたような気もするが皆さんもこのことを少し心にとめて置いてほしい。そうすれば人生がよりいっそう豊かになるのではないかと思う。

4. おわりに

私の価値観を広げるうえで非常に有意義な時間をすごせたと思う。パソコンの扱いに苦労したが,意見をくれた仲間達は皆とても積極的だったし,TAの方からもとても貴重なコメントを頂けた。この企画にたずさわった人たち全てにとても感謝しています。どうもありがとうございました。

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楡金 「白米」

私の一番好きなものは白米だ。炊飯器の合図で蓋を開ける。米のほのかに甘い,やさしい香りの蒸気があがる。私はこの瞬間が大好きだ。米所新潟県に住んでいる私は,米の旨さを最も引き立てるには塩とゴマをふりかけるだけで十分だと思っている。米の甘さと少し立つくらいの塩のしょっぱさ,そしてゴマの香り。私は生きている喜びさえ感じる。お百姓さんと自然の恵みに本当に感謝である。

日本人は古くから米食文化で,体質もそのように決定されてきた。また季節ごとに採れる食材を日本人の嗜好に合わせて調理し,保存してきた。このような日本の伝統食には風情や季節の移り変わりを感じ,日本の先人たちの知恵を学ぶ楽しさがある。

しかし現代では食の欧米化が進んだことで,日本食を食する機会は減ってしまった。またコンビ二に行けば既製食品が溢れ,何でも手に入るために食のありがたさを感じる機会も少なくなった。欧米食やコンビ二を否定するつもりはないが,私は子供達に日本の伝統食を通して,季節の風情や自然への感謝をもっと感じてほしいと思うのだ。

今回の議論で多くの質問が問われた。以下の質問によって私の食に対する立場がより明確なものとなった。

1. 私にとって“炊きたてご飯”とは何か

炊きたてのご飯に感じる幸せな思いは米を作ってくれる自然や農家の人の恵みを無意識の内に感じ取っているからではないかという意見をもらった。全くその通りだった。私の家の前には坂があり,その坂に沿って階段状に田んぼがある。冬の雪溶け,春の田植え,夏の日射しを浴びた青々とした稲,蛙の大合唱,空を行き交う何羽もの赤とんぼ,黄金色した稲の刈り入れ,新米。

そしてまた積もる雪。私はこのように小さな頃から四季を通した田んぼを五感で感じながら成長してきた。また,学校給食の炊飯をしていた祖母が洗米し,炊き,容器に詰めるという過程を幼い私はずっと側で見ていた。そしていつも私に塩とゴマのおむすびを作ってくれ,私はこれが大好きだった。今でも祖母の家に行くと懐かしいお米の匂いがする。

私の炊き立てご飯の幸せには,成長する過程で育まれた自然や作り手への感謝の気持ちが大きく関わっていたのだ。

2. コンビ二のおにぎりは果たして日本食か

コンビ二のおにぎりは外国から見ると日本食の代表として紛れもない日本食であるが,手間をかけるという視点から見るとファーストフードである。コンビ二のおにぎりと母が作ったおにぎりでは食べるときの気持ちの持ち方が違わないだろうか。私は母のおにぎりには手のぬくもりがあるから何倍も美味しく感じる。昔の日本は作り手と食べ手との関係が密着しており,四季により食材は限定され,料理に手間をかけていた。私が日本の伝統食が好きなのは,四季や作り手の心を感じるというスパイスがあるからなのだ。

しかし現代に目を向けて見ると,作り手と食べる側との距離が遠く,スパイスが効いている食材がどんどん少なくなっている。つまり,コンビ二のおにぎりはスパイスがないという意味では私の考える日本食ではないのである。

今日の食事情には,多くの隠れた問題がある。機械で大量に作られた食品を日常的に利用する子供や食品添加物の発達により手間をかけずに作れるレトルト食品を使う親が増え,豚肉が動物の肉であることや米がどうやって作られるのかを知らない子供が増えている。飽食の時代ゆえに食へのありがたさを感じる機会や関心が減少し,子供たちの個食という深刻な問題も起こっている。

私はよく食べることはよく生きることにつながっていると考える。食べることは人が直接的に自然と関わる場だ。食を通して海を知り,山を知り,命の循環を知り,そして自然への感謝の気持ちが培われる。これはヒトとしての基本ではないだろうか。この基本がなおざりになってしまったら人の心は廃れ,寂しいものになってしまう。家族で楽しく食べることもまた非常に大切な食の要素である。食は人間という生き物としての基本や生きる力を支える自然の大切さ,そして家族の絆を育む場でもあるのだ。未来を左右するからこそ,これらのことが軽視されている現代の食の問題は切実である。

世界では遺伝子組み換え食品や化学肥料を大量に使用した野菜栽培,成長ホルモンを使用した牛の大量飼育など,まるで自然を手の内に入れたような行為が行われている。私は牛の大量飼育の現状を見たときとても悲しくなった。広大な土地が真っ黒だと思ったら,すべてひしめき合っている牛であった。大量飼育された牛には広い牛舎で育つ牛と違って表情がないそうである。私たちはいつから牛の生き物としての表情を奪うほどに高慢になってしまったのだろうか。精神主義を謳うつもりはないが,もっと私たちが食に対して謙虚になれたらこのような過激な飼育方法は減少するはずである。

私の美味しい物好きは食の安全とも密接に関係していた。食の安全は子供たちの未来と私たちの生活に関わる重要な課題である。私はこれから自然を大切にした世界各国や日本のスローフードをもっと調べ,これからの食のあり方を模索したいと思っている。そして,日本の季節を感じられるのは日本食を食してこそであることや手間をかけ,家族で楽しく食べることの素晴らしさを多くの人に少しでも感じてもらえるような仕事を大学での勉強や活動を通して考えて行きたい。

最後に

私にとって日本食とは,私たちが忘れかけたとても大切な“生きることの基礎”を教えてくれる場である。